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平成生まれのケータイ事情を振り返る

私の生まれた年は、1995年。阪神淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件があった年で、この世代は、小学校入学から高校卒業までどっぷりと「ゆとり教育」を受けた、生粋のゆとり世代である。

と同時に、生まれたときからデジタルな環境に身を置いていたということから、デジタルネイティブ世代とも呼ばれる。

たしかに、私が携帯を初めて持ったのは、小学5年生のときであった。バスケットボールのクラブチームに入り、「帰りが遅いと心配なため」という理由で持たせてもらった。裏には、防犯ブザーのついた、おもちゃみたいなキッズケータイだった(本記事の見出し画像参照)。友達とお揃いで買った、自分の名前のストーンストラップをつけていた。待ち受け画像を赤外線で交換したり、デコメを送ったりするのが流行った。

中学に入り、放課後、クラスの子と連絡をするのにもメールをつかうようになった。気になる子には、メールアドレスを聞き出すところから始まり、いかに返信を早く返すか、「うん」「笑」みたいな、一言しかないメールを件名の”Re”が果てしなく続くまで送ったものだった。

メールのセンター問い合わせや、人によって設定を変えられる着信音や、光の色ー。何かしらの意味を含んだメールアドレス。今思い返すと、とんでもなくノスタルジックな気分になる。携帯裏のプリクラもね。

そして高校。私はmixiはやっていなかったが、高校の途中でFacebookとインスタを始めた。メーリングリストなんていうのもあったなあ。メーリングリストは登録したメンバー全員に一斉送信できるシステムで、部活やクラスのグループを作って使っていたけど、たまに誤爆する人がいたり。

何よりLINEが普及し、ガラケーからスマホへの移行期には、ガラケー勢が苦戦を強いられた。なぜならば、ガラケーでのLINEは、位置いちボタンを押さないと、最新のメッセージに切り替わらなかったからだ。私は、ガラケーだったのに、謎にスマホ勢に負けをとるまいという精神で、更新ボタンを逐一押しながら、いかに時差なく、コミュニケーションをするかに全力を注いでいた。なんて無駄な労力。(笑)
私はdocomoユーザーなので、最初に買ったスマホはi phone ではなく、Xperiaだった。(docomoが一番i phoneを販売するのが遅かった)

大学。携帯もi phoneに変わり、こっからは携帯というよりはSNSの変化が大きかった気がする。その中でも特にインスタの存在が大きかった。

インスタは、最初は、セピアみたいな加工が流行ったのに、そっから、複数写真を組み合わせられるフレームが流行って、かと思いきや、白枠で囲うのが流行って(黒枠派もいた)、そっからフェード系の加工が流行って、動画コンテンツが多くなっていって…と、どんどん変化していったように思う。最初は個人アカウントだけだったのに、趣味アカを作り、それが副業になったり、企業アカウントもできるようになったり。

ストーリーズで、逐一友達が何をしているか分かるようになった。直接会ったときには、「こないだ~行ってたよね~」なんて言うのが普通の世界。瞬時にメッセージを送り合い、いいねをする。匂わせストーリーや、消えている過去の投稿から察する人間関係。

暇だと目的もなく、インスタを開いて、数秒後また閉じて。

SNS疲れとよく言うが、もはやSNS憑かれだ。画面を開けば、憧れの有名人や、世界中のどっかの誰かと一瞬でつながれて。小学生の時首からぶら下げていた、おもちゃみたいなケータイから始まったものが、気づいたら、すごい世の中になっていた。

たまに今の高校生とかうらやましいなと思う。めちゃめちゃいい画質の写真や動画で思い出を残せるから。

けど、自分の生きてきた、不自由が混在した時代ケータイ文化の過渡期も悪くなかったかな~と思う。所詮は、ないものねだりだ。


ケータイと青春は切っても切れない。ありがとね、ケータイ。

そしてこれからもよろしくね。

たまに情報まみれの世界に嫌気がさすけど、あなたとは依存はしすぎず、うまく付き合っていきたいものです。

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