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恩師・小井土監督から学んだ指導者として大切なこと。

筑波大学蹴球部(サッカー部)の小井土監督と初めて話したのは、大学1年の新入生合宿の時だった。
緊張した僕ら新入生を前に、


「この中にプロを目指している人は何人いる?」
「次に教員になりたい人は?」

と、小井土監督は質問した。



僕を除いた、全ての部員が手を挙げ終わった。

最後まで手を挙げなかった僕を見つけて、小井土監督は言った。
「ん?お前は何になりたいんだ?」

一瞬ためらったが、思い切って言ってみた。

「社長になりたいです」


すると、小井土監督はニヤッとしてこう言った。
いいじゃねえか、社長になりたい奴がいても

小井土監督流、選手主体のチーム改革

小井土監督は2014年に筑波大学蹴球部(サッカー部)に赴任された。
その年に蹴球部は戦後初めての関東リーグ2部降格を経験
変革を迫られていた。
そんな中で小井土監督が着手したのが、選手主体のチーム作りだった。

改革の一つとして、選手が自主的に試合を分析したり栄養やトレーニングを学ぶ、パフォーマンス局を立ち上げた。(詳しい記事はこちら)



また、選手自ら考え、行動する力を育むために、160人全員に目標達成シートを書かせ、手書きでフィードバックすることも始めた。

この活動には小井土監督のこんな想いが込められていた。
"ただ強くなるだけではなく、社会に出てからも活躍できる人を輩出したい"


結果として1年後の2015年に1部復帰。その翌年には13年ぶりのインカレ優勝。天皇杯ベスト16という快挙を成し遂げた。

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そんな快挙を横目に、僕は「社長になりたい」という自分の夢に向かって歩みだしていた。

(当時は指導者を助ける、トレーニング共有サイトを運営)

僕の興味は、プレーヤーとして上を目指すことから、起業した会社を伸ばすことに移っていった

「選手としてチームに貢献できないのなら、部に所属する権利はない」
意を決して監督に相談しに行った。

外れ値を受け入れる器の広さ

「小井土監督、部を辞めようと思います。休学して、ビジネスの道で頑張っていこうと思います」

僕は「おう、わかった。それは仕方ないな」という返答を待っていた。

しかし、返ってきたのは意外な答えだった。

お前はその道でいい。筑波からは選手だけじゃなく、指導者、トレーナー、アナリスト、いろんな分野でスポーツを支える人材を育成したいと思ってる。それがITサービスを作るやつだっていいじゃねえか。お前のやっていることはサッカー界のためになってる。だから蹴球部に籍を置きながら、このまま頑張れ

この言葉のおかげで僕は、部に残りながら起業に専念させてもらうことができた。


休学が終わり、最後の年。
僕は選手として復帰。ピッチに立って引退試合に出場することもできた。

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少年サッカーで教えていた子供達も、僕の現役最後の試合に駆けつけてくれた。


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「今までサッカーを続けていて本当に良かった」
心からそう思える瞬間だった。



あの時小井土監督の言葉がなければ、この体験は経験できなかったと思うと、感謝しかない。

小井土監督から学んだ、指導者として大切なこと

監督に言われた言葉の中で、一番心に残っていることががある。

お前の強みはITだろ?だったらそれを活かさないともったいないだろ
俺にできることは、一人ひとりの強みが発揮されるのを邪魔しないことだけだ。困っていたら手助けはするが、お前は自分の強みを自分で磨いたんだ。だから木村、お前はもっと自分を誇っていい

小井土さんから学んだ指導者として大切なこと。

それは、選手一人一人の強みを生かすことが指導者の役目

だということ。

当たり前で、単純だけど、忘れがちなこと。


その上で、困っている時は手を差し伸べる
。
大事なのは助けすぎず「自分でできた」という成功体験を本人に感じさせること。

スポーツの指導者だけではなく、どの組織においても意味のあることだと、僕は思う。

小井土監督のおかげで僕は4年間、自分の強みを存分に伸ばすことができた。

そのおかげで今、小井土監督のように"選手一人一人の成長に寄り添いたい"と思っている指導者を助けるサービスに辿り着けた。

僕には、このサービスを成長させて、達成したい夢がある。

それは、自分の会社で蹴球部のスポンサー企業になることだ。

「社長になるやつがいてもいいじゃねえか」

5年前、認めてもらえた恩を自分なりの形で返せたら、こんなに嬉しいことはない。



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