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東大生が東京大学を訴えた件で

杉浦からMessengerが来て、彼が東京大学に訴訟を起こしたことを知った。

元担任としては応援したいが、応援すると言っても何ができるわけでもない。生暖かく見守るしかないので、彼にはそれなりの激励を返信として送った。それが昨年。

NHKをはじめとするさまざまなメディアが、ひとりの東大生が東京大学を相手に訴訟を起こしたことを報じた。判官びいきがその特徴である日本人であるから、杉浦を応援する声が高まるのではないかと推察した。TwitterやFacebookに書かれたコメントや反応を見るにつけ、ほぼ予想通り。

元担任としては彼のことをよく知っているからこそ、静かに見守りたかった。訴訟を起こしたといっても、まだ始まったばかり。勝ち負けが決するのは何年も後だろうから、それまでは粛々と静かに研究を進めるほかない。あまり第三者がやいのやいの騒ぎ立てるのは愚の骨頂だと考えた。

だからこの件に関しては、FacebookにもTwitterにもブログにもどの媒体にも書いてこなかった。が、今回ようやく「差し戻し」が東京新聞に報じられ、それなりに動き出した。再度、彼からの連絡が届いたので、少し書いておこうと思う。

彼は灘校在学中から、すでに医師になることを意識して行動していた。詳細は知らないが、本人曰く「学外の医学団体と」勉強会を行っていると。そんな彼にとって、受験勉強などつまらない基本の積み重ねだっただろうし、東京大学合格が単なる通過点であったことは言うまでもない。

それでも彼は天才ではない。成績がいいから理Ⅲを選ぶような受験オタクでもない。他の灘校生の多くと同様に、努力を積み重ねるタイプであったことは担任であった私がよく知っている。医学を研究する環境が最も整っている東京大学を選んだのであって、ファッションライクに「リサン」を選んだわけではない。

杉浦は、彼が師事する上昌弘先生のご指導のもとで英語での医学論文をすでに1本発表している。上先生から直々にその旨をご報告いただいたとき、中学時代から医学の勉強をしてきた彼にとっては素晴らしい環境で研究しているのだなと、私は嬉しく思ったものである。

その彼が新型コロナウイルスに罹患し、大学に通えなくなったことで留年が決定する。留年そのものはそれほど大きい問題ではない。旅をしていた、東京六大学野球でプレーすることを先に選んだ、起業してそちらを優先したなどの理由で、つまりポジティブな理由で留年をみずから選ぶ教え子は少なくない。もちろん遊んでばかりいて留年するものもいるが、だからといってコイツハダメダという烙印を押すようなものではない。高校とは違う。

ただ、彼の場合にはその理由が納得できなかったということである。納得できないのであれば、交渉するしかない。交渉する手立てとして最も手っ取り早いのが直接交渉ではあるが、東京大学サイドが応じないならば、訴訟をすればいいのである。制度がそうなっているのだから、それを選んだのは賢明であり、当然であろう。

日本人は訴訟慣れしていないのでなにやら大きい話になっているが、納得できないのであれば訴訟をするのは当然である。ちなみに私は二十代から訴訟を経験しているので、ネット上で名誉毀損に当たると思われる書き込みを見つけると顧問弁護士に相談している。納得できなければ相手を訴え、第三者に公正に判断してもらえばいいのである。泣き寝入りするのは馬鹿馬鹿しい。そのための弁護士である。

杉浦には「二十代で良い経験ができているじゃないか」と送った。彼からは「東京に来られたら飲みに連れていってください」という返事が来た。訴訟の結果がどうなるかは問題なく、裁判所に判断を委ねることが大事なのである。その考え方をも上先生から教わったのであれば、医学の教えだけでなく、素晴らしい社会教育をしてもらっているのだなと、元担任としては嬉しく思っている。


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