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お腹のベビーが先天性横隔膜ヘルニア・心室中隔欠損症と診断され、出産に至るまでの話

長女が1歳になり、そろそろ二人目が欲しいなぁと思っていたところ妊娠が発覚。

楽しみを膨らませていた矢先、安定期に入ったはずの16週頃からなんとなく不調が始まり、22週に先天性横隔膜ヘルニアの診断、32週に心室中隔欠損症の診断、33週に転院、そして37週に緊急帝王切開にて出産となった。
今回の妊婦生活は、先の見えない迷路の中を歩きながら、突然穴に落とされたり、突然あるはずだった道が消えてしまう、そんな目まぐるしい日々だった。

ただ、産まれてみてから思うのは、妊娠中に病気のことがわかっていて良かった、ということ。
確かにドタバタではあったけれど、3ヶ月かけてゆっくりと心の準備ができたから。

今回は、お腹のベビーに先天性横隔膜ヘルニア、心室中隔欠損症と診断された時のこと、そこからのドタバタの様子をまとめてみる。

先天性横隔膜ヘルニアと診断される日まで

妊娠初期。一人目の時と同様つわりはそれほどひどくなく、妊婦健診でも順調。
一人目のときは、常にお腹を気にしていたけれど、二人目となるとそうもいかない。日々の生活に追われ、お腹にベビーがいることを忘れてしまいそうになるときも。

妊娠中期。安定期といわれる時期に入ったあたりから、どっとしんどさが増してきた。お腹が張ることが増えたり、少し歩いただけで疲れたり。
そのときは、一人目のときと比べたら体力的に負担がかかっているのかなぁ、やっぱり子育てしながらの妊娠は大変だ!と思っていたけれど、今から思うと、ベビーの病気のことも関係していたのかもしれない。

そして、妊娠22週の胎児スクリーニング検査の日がやってきた。
検査室に入って、エコー検査。
長い。異常に長い。先生が、何も言わない。

一人目のときも同じ病院で同じ検査があったけれど、先生と話しながら、「うんうん、問題ないね〜」と言って終わったよ?

白と黒の画面の中に、時々映る赤と青の血流の流れ、ぐいんぐいんぐいんと波打つ波形。
何度も何度も同じような画面が映る。
私もじっと画面を見ていたけれど、何もわからない。募る不安。お願い先生何か言って。

「今までの健診で何か異常があるって言われたことある?」
これが検査中に先生から掛けられた言葉。不安で目がうるむ。

そして検査後にお腹のベビーが「先天性横隔膜ヘルニア」であるということを告げられた。
本来心臓のある位置に胃があって、心臓が右側にある。
横隔膜に穴が開いているから、本来下の方にある腸などの臓器が上の方に上がってきている、らしい。

はて。
おそらくあっけにとられた顔をしていたと思う。

私にできることは何もなく、とにかく正期産までお腹で育ってもらうしかない。
そのことだけを理解して、病室を後にした。

頭が混乱していてこのまま運転して帰るのは怖かったので、病院近くのちょっといいカフェでいつもなら絶対頼まない贅沢なランチを食べる。夫からの電話で号泣。

通院、検査の日々が始まった。

先天性横隔膜ヘルニアと診断されて、私の気持ち

一言で「先天性横隔膜ヘルニア」といっても、程度の差はそれぞれ。
産まれてから手術をすれば普通に日常生活を送れることもあれば、合併症があり重大な障害が残ることもある。
医療従事者である父から信頼できる情報を取得することもできたが、あえて調べなかった。
いくら確率が1割でも、9割でも、私が知りたいのは我が子がどうなのか。1か10しかないから。

私が一番恐れたことは、10ヶ月間の妊婦生活を耐えて、出産の恐怖に耐えて、産後の痛みに耐えたのに、子どもと笑い合う未来が訪れない、ということ。
でも、そうなるかもしれない。
その悲しさをどうにかして和らげるには。少しでも予防線を張るには。

お腹のベビーにもしものことがあったとしても、
「あなたが私のお腹にきてくれたおかげで、ママはこんなに幸せな妊婦生活が送れたんだよ、きてくれてありがとうね」と言えるような状態にしておくことだと思った。
だから、私のこれからの目標は、「とにかく私自身が楽しく生きること」「ベビーに外の世界はこんなに楽しいんだよ、と伝えること」に決めた。
今までにないくらい自分を甘やかせて、心地よいものを選択して生きることにした。

心室中隔欠損症と診断されるまで

先天性横隔膜ヘルニアと診断されてからは、毎週のように通院することになる。
本当に手厚く、VIP待遇。MRI検査や、小児外科の先生の診察を受け、病状を丁寧に丁寧に説明していただき、あぁ、私大事にされているなぁーなどと呑気なことを思いながら、病院へ通う。
先天性横隔膜ヘルニアの程度としては、低〜中程度。
出産後、合併症が見つからなければ、日常生活を送ることができるだろうと言われていた。
ただ、身体が小さめなのが気がかりだと言われ続けていた。

32週の健診で、循環器専門の先生にエコー検査をしていただいた。
これまた長いエコー。でも長いエコーはいつものこと。

「心室の間に小さな穴が開いている可能性があります」

もう何を言われても驚かないと思ってたけれど、不安に胸が揺れる。

「結論をお伝えすると、この病院でのお産が難しいので転院していただく必要があります」

絶句。
ここまできたのに。もうあと1ヶ月なのに。
今までこんなにしっかり検査していただいて万全の体制を整えてくださっていたのに。
一人目と同じ病院で産めると安心していたのに。
県内で一番大きい病院でも産めないってそんなに大変な病気なの?

心室中隔欠損症は100人に1人程度が発症する、割とよくあるもの。
穴が小さければ産まれてから勝手に閉じることもある。
ただ、今回の場合は先天性横隔膜ヘルニアとの合併。
管理しなければならないことがたくさんあるらしい。

こんな妊娠後期の段階で、あっけなく転院が決まった。
(転院先の病院が実家の近くだったことは本当に幸いだった。)

しかし、「あともう少し!頑張ろう!」と気持ちが前を向いていただけに、これにはかなりめげてしまった。
ここまで準備したのに。入院の書類だって揃えた。あとは正期産まで待つだけと思っていた。
それが、また新しい場所で、また検査や説明が始まるのか…。
そして、ベビーはこうやって少しずつ新しい病気が明らかになっていくのかな、合併症がある可能性も高まったんじゃないか、いろんな不安がぐるぐると押し寄せてくる。

このあたりが私のどん底。

転院してから

転院先の病院は自宅から車で1時間ほど。
毎回夫が仕事を休んで連れて行ってくれることになった。
案の定、検査や説明をスタンプラリーのように巡り、毎回4、5時間は病院内をうろうろ。健診の日はそれだけでもうヘトヘトだった。
出産まで近いので、検査も手続きも短い期間で一気にやらなければならないのだから仕方がない。
ずっと保留になっていた帝王切開の日も、ベビーの先天性横隔膜ヘルニアの手術日もここでやっと決まった。
(私は一人目が帝王切開のため今回も帝王切開の予定だった)

毎週病院へ通うのは体力的にも精神的にもしんどかったけれど、そのおかげで少しずつ、出産までの覚悟を積み上げていくことができたように思う。

無事に37週(正期産)を迎えられた日には心底ホッとした。
と思ったのも束の間、翌日に陣痛が始まるのだが、その話は別の記事で。

さいごに

病気が発覚して、不安で不安でたくさん泣いた。
先天性横隔膜ヘルニアも、心室中隔欠損症も、医療が発達したおかげで、通常の妊婦健診の中で見つけられるようになった。
病気であることを知りたくなかった、と一瞬頭をよぎったことはあるが、今なら自信を持って言える。
出産までに、病気のことがわかっていて良かった。納得いくまで説明してもらえて良かった。
産後の私にはこの事実を受け入れるだけの余裕はなかっただろう。

病気発覚後から3ヶ月間、感情のジェットコースターに乗りながらも、出産という最初のゴールに向けて、覚悟を固めていくことができた。夫の「大丈夫、絶対に最後はうまくいく」という何の根拠もない自信に何度も救われた。

「とにかく私自身が楽しく生きること」という目標も、達成できたと思っている。
病気の発覚後は、お仕事も休ませてもらった。(職場の方々には大変ご迷惑をおかけした。ご配慮いただいたことを本当に感謝している。)
お休み中は、自分の理想の生き方を目指して、自分のペースで新しいことを学び、実践し、わくわくした気持ちで過ごすことができた。
思うように身体が動かず、行きたいところに行けないことは多かったけれど、やりたいことはたくさんあり、基本的には前を向いて、充実した生活を送ることができた。

今までは「やらなければならないこと」に忙殺されがちだった私だけれど、ベビーがお腹にきてくれたおかげで、「自分が心地いいと思うことを選択する」練習ができたと思っている。

このマインドは、ベビーから私へ最初の贈り物だね。ありがとう。

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