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面倒くさいの話

亡くなった母は施設に入るまでは一人暮らしをしていた。私は隣県に住んでいて、一人で、時には娘を伴って母の家に顔を出すのだが、その訪問が常にいくらか憂鬱だった。母に会うこと自体は楽しいことではあるし、老いた母のことは心配でもある。だが、彼女はいわゆる「片付けられない人」だったのだ。

現在はそれは症状として病的な分類に分けられ治療法も対処法もあるらしい。当時、そういう母の日常は親戚には「まだらボケ」と呼ばれていた。70代の母は会話は普通にできるし、火の始末や金銭の管理も自分でできる。元々整理整頓の苦手な人であったので、私は彼女のそういう性癖を認知症の一端とは思わなかった。

母を訪ねる度、部屋に散乱しているゴミをまとめたりするのは、嫌がられない限り実行した。そのソファに腰掛けて、と勧められるソファは荷物の山で、取り込んだ洗濯物らしき塊をエイヤッとどけると、食物の残っているコンビニ弁当の殻がグシャッと半分に潰れて顔を覗かせたりする。慣れてもいるので、無言でそれをゴミ袋に入れたりするのにいちいち感情が波立つほどでもない。

しかし、なんだかうっすらとシワシワした悲しさが襲ってくるのだ。ひとしきり母と話をして引き上げる帰り道に、その情けないようなはっきりしない悲しみはやってくる。かつて絶大な権力者だった母が老いていくのが悲しいのか、毎度片付けに追われる滞在が辛いのか。帰路の1時間余り、私はいつもため息の出るような、色が褪せたような気分だった。

やがて母は施設に入り、亡くなった。そして、10年近くが経って、そのことをすっかり忘れていた先月、似たような感情を味わった。それは友人と夕飯後に夜の賑やかな駅前のカフェでお茶を飲んでいた時のこと。彼女が言った「面倒くさい」ということばに、私はああ、これこれ!と何かしら思い当たった。随分色褪せちゃったけど、このちょっと悲しいような気持ち、知ってるなぁ。

あの豪快なズボラ選手権代表みたいな母と一緒にしては友人が気の毒だ。けれど、彼女はあの晩、自分の肌や髪などの手入れを「面倒くさい」と言ったのだ。まぁ、それも無理からぬ年配になったのかも知れないのよ、お互いに。

還暦周辺の私や友人は、若い頃と比べると異性を得るとか、評判を気にするとか、そういう類い、つまり傍目を気にすることがずいぶん減った。自分の手入れは放置していたって別段構わない。ずぼらな人、という定評を得てしまえばいっそ楽でもある。そうだ、かつての母のように。

けれど、その「だって、面倒くさいもん」という発言は、彼女が自分を丸めてポイッと投げ捨てるように聞こえたんだ。もちろんそれは私の一方的な受け取り方の問題なだけではある。私は一息ついた後に、彼女にダメ出しした。自分のことをもっと面倒見てやってよ、と言えた。肌も髪も健康も、あなたがあなたを粗末にするのを見るのは、私は辛いよ、と。

言ってから、ああ、それだけのことだったのだ、と思った。しかし、人の楽しみ方にはさまざまある。見た目の手入れには関心がなくても、趣味や楽しみに投資したり没頭したりしていることもある。見た目や住まい方だけで自分を大切にしていない、というのは決めつけに過ぎない。

それでも、あの母の家から帰る時の、うっすらした青ざめたような、小さな失恋みたいな、ヒョロリとした悲しみはこれなんだ。好きな人が自分をぞんざいに扱っているように見えるのが、私はどうやら悲しいらしい。母にもそう言えればよかった。お母さんは私には一人しかいないのだから、このお母さんを大切に扱ってよ、と。