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「春の雨の香り」を探して

写真展に行って、あるいは美術館で、「いい展示だなあ…」としみじみ思うことはどれくらいありますか? わたしはそれほど多くはありません(5回に1回くらいです)。それは、わたしの見る展示がつまらないからでしょうか。それとも自分がつまらない人間だからでしょうか。


おいしいマグロは「春の雨の香り」がする。
それを知ってから、世界が少し広がりました。

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瀬戸内の出身なので、マグロを食べ慣れていません。
魚と聞いて思い浮かぶのはアジ、メバル、カレイ、カワハギ、タチウオなどで、こどものころにマグロを食べた記憶はありません。

だからかどうかわかりませんが、大人になってもマグロをおいしいと感じたことがほとんどありません。質の良い本マグロの赤身などはおいしいのでしょうけど、普段、口にできるレベルのマグロに感動することなんてめったにないのです。

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今ではマグロを口にする機会は決して少なくありません。キャンパス内のお寿司屋さん「お魚倶楽部はま」には毎日のように通っていて、これまでに2000回くらいランチ丼を食べました。週に1回はネタがマグロなので、400回くらいそこでマグロを食べているはずです。でも、おいしいと思ったのは数えるほど。イワシやニシンがだいたいいつもおいしいのに比べればマグロの成績の悪さは驚異的です。

でも、それはマグロのせいばかりではありませんでした。

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きっかけは昨年の夏。

いつも通る道を少しそれたところにお寿司屋さんがあることに気づき、お昼にそこに行ってみたのです。それは、わたしの人生にとって記念すべき日だったと言っていいでしょう。運命的な出会いでした。

「ああ、これが寿司だ」

おおげさにいえば、そのお寿司を食べた時、わたしははじめて寿司を「知った」のです。自分の中で「寿司とは何か」を理解するための回路がつながるのを感じました。

中でも心をつかまれたのは漬けマグロ。
何度か通っているうちに、そのマグロが教えてくれました。

「おいしいマグロは春の雨の香りがする」



それ以降、わたしとマグロの関係は変わりました。

いまでは「お魚倶楽部はま」のランチ丼を食べる時にも「春の雨の香り」を探します。すると、これまでなら何も感じずに食べていたようなマグロにも、かすかな春の雨の気配が感じられることがあります。それは「おいしい」という感覚を連れてきます。「おいしい」と感じるための扉が開くのです。


「春の雨の香り」
それは「マグロの扉」を開くための鍵でした。

そう、「鍵」が必要だったのです。


美術館やギャラリーで心を動かされなかったとしたら、その理由は自分にもあります。きっと、その作品を受け入れるための扉が開かれていないのです。わたしたちには、扉を開くための鍵、マグロに対しての「春の雨の香り」のようなものが必要です。多くの場合、それは他人とは共有できない自分だけのものです。あるときは「夜の波の音」かもしれませんし「肩を抱かれる感覚」かもしれません。さまざまな作品を自分の中に受け入れるためには、もっと広くいえば「世界を楽しむ」ためにはたくさんの鍵が必要で、その「鍵を見つけるための冒険」を「学び」と呼ぶのだと思います。


恋に落ちる時、その相手が「世界一完璧な女性」であることはまずないでしょう。でも、必要なタイミングで出会い、心を動かされたなら、自分にとっては紛れもなく「世界一の女性」です。食べ物屋さんとの出会いも同じです。もっと高級なお店はたくさんあるはずですが、「ひらご寿司」さんはわたしにとって運命の相手、「世界一の寿司屋」です。典型的な「町のお寿司屋さん」であるそのカウンターでお寿司を食べることは、海辺で一冊の小説を読むことに似ています。


「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。