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ぼくらが恋に落ちる理由:カメラ編


※注意※ この記事には「必要のない新しいカメラを買うこと」を肯定するような内容が含まれます。


着実に遠くまで行こうとするのが愛なら、刹那の衝動の中であたらしい世界を見ようとするのが恋。愛は積分値を、恋は微分値を最大化しようとします。

どちらかが上位にあるわけではありません。
人生には「愛」も「恋」も必要です。

それはカメラとの関係にも言えることです。使いやすくて信頼できるカメラと、高揚感をもたらしてくれるカメラ。そのどちらも大切です。

「愛」の側のカメラ、つまり信頼できるカメラはスペックなどを検討して理性で選ぶことができます。あるいは、長く使っているうちに大切なパートナーになることもあるでしょう。多くの場合、カメラへの愛には過程があります。

でも「恋」は違います。
それは突然やってきます。

タイミングも相手も自分で選ぶことはできません。



カメラとの恋に落ちるもっとも多いパターンは一目惚れではないでしょうか。わたしにもあります。白鏡筒のハッセルブラッドSWCや50mm F1.1つきのニコンSP。それらは、衝撃的な一目惚れのあと、やっとの思いで手に入れました。

でも、「恋」には、もっと厄介で、沼らせてくるパターンがあります


ラブストーリーは突然に

「最初は嫌なやつだと思っていたのに…」というありがちな展開は恋愛ドラマの中だけのものではありません。それも恋に落ちる主要ルート、だから「ダメなカメラ」には注意が必要です。

わたしにとって新ロゴの67などもその例ですが、代表格はニコンF3
ずっと「嫌いなカメラ」の筆頭に挙げていた一台です。

「使ってみたらいいカメラだった」というわけではありません。ファインダーはやっぱりいまひとつだし(new F-1を持つと、やっぱりnew F-1最高!ってなります)、露出表示は見にくくて使い物にならない(のでほとんど見ていない)し、見た目もあまりタイプじゃない。

でも、そんなことは関係ないのです。
手に持ち、巻き上げて、シャッターを切る。それだけで、カメラに恋をしていることがわかります。理屈ではなくカラダでわかるのです。

「恋に落ちる」のはパズルのピースがはまるのに似ています。いびつなピースどうしのほうが、はまった時の喜びが大きく、結びつきも強くなります。

「燃えるような恋」には、お互いの「欠点」も必要なのです。


そして(ここが大事なところですが)、そんな「恋カメラ」を手にしていると、「この世界」が輝いて見えるのです。


「いいカメラ」とは「この世界に恋をさせてくれるカメラ」です。


世界に恋をしていれば、素敵な写真を撮るなんて簡単なことです。
「スナップの極意」の記事でも最初にそんなことを言っていますね)



「一台のカメラを使い続ける方がかっこいい」
なんとなくそう思っていませんか?(わたしはちょっと思っています)

でも、運命のカメラに出逢ったら、ためらわずに恋に落ちてみるべきです。理由とか価値とか打算的なことを考える必要はありません。


その恋はきっと新しい世界を見せてくれるはずです。


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「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。