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ペンタックス67との和解。 そして恋。

中学校の理科の先生はSシリーズの一眼レフを全て集めているというペンタックス好きで、理科準備室には私物の6x7が置いてありました。

それは、初めて目にする中判カメラです。

その頃のわたしは6x7に惚れていました。
近所のカメラ屋にカタログがあり、その姿に一目惚れだったのです。"ASAHI PENTAX" のロゴのかわいさ。それが全体のどっしりとしたスタイルと調和し、神々しさすら感じさせました。

ある夏の日、先生の6x7を借りる機会がありました。
ずしりと手にくる存在感、深みのある黒い塗装、貼り革の独特の感触、空気を揺るがすシャッター音。川沿いを走る列車を撮りながら、ますます6x7の虜になりました。

1987.7.23 岩日線 椋野ー南桑

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でも、その片想いは予期せぬ形で終わりを迎えます。

6x7は67に名前が変わり、チャームポイントであるロゴまで変えられました。新しくなった67の "ASAHI" のない "PENTAX" のあまりにも投げやりなロゴ…そのせいでカメラの印象までもまったく変わってしまいました(どうしてどのメーカーのロゴもどんどん下品な太字になるのでしょう)。

一目惚れのカメラが不恰好なカメラになってしまったショック。そのせいで67はどちらかと言うと嫌いなカメラになりました。

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それから数十年が過ぎ、いま、手元には一台の67があります。
5年前に、写真仲間である和歌山のOさんに譲っていただいたものです。

いまのわたしの目には、新ロゴの67は愛嬌のある素敵なカメラに見えます。間伸びしたロゴのアンバランスさが逆に独特の魅力を醸し出しています。旧ロゴの6x7も相変わらず素敵ですが、完璧すぎて逆に物足りないほどです。

67のデザイン、その軽妙さと重厚感のバランスは円空の仏像を思わせます。それは、それ自体が仏なのではありません。見る人、手に取る人の心の中に仏を生じさせるのです。

一時は絶望的な気持ちで眺めていた67のデザインをそんなふうに受け入れられるようになったのは、数十年の間に自分が成長したからかもしれません。

いま、わたしは67に恋をしています。
きっと終わることのない恋です。

不完全で個性的なものに惚れてしまうと、なかなか抜け出せないものなのです。

中判カメラはハッセルブラッドが大好きで、ずっと使ってきました(500C+シルバーのCレンズの気品ある佇まいは弥勒菩薩のようです)。67はそのハッセルにも劣らない、素晴らしいカメラです。大きなファインダー像と昔ながらのざらっとしたスクリーンは、世界をいきいきと見せてくれます。そして、67の魅力をさらに高めているのが、標準レンズの105mm F2.4。何を撮っても勝手に絵にしてくれる魔法のレンズです。同じような魔法のレンズとして思い浮かぶのはコンタックスのPlanar 50mm F1.4ですが、Planar 50mmの魔法が西洋的なのに対し、67の105mmは目の前の光景に日本的な魔法をかけるレンズです。このレンズにハマる人が多いのも頷けます。

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