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モノクロフィルムと「春」の問題

春を甘く見てはいけません。

「春の曲」と聞いて最初に思い浮かぶのは、スピッツでもHysteric Blueでもなく南野陽子の「春景色」です。そのせいか、春は海辺の私鉄電車に乗りたくなります。
あたたかくのどかな春。でも、それにだまされていませんか。
春、 桜の花は一息に咲いて散り、窓の外の風景は1日ごとに変わっていきます。
「春という定常状態」はありません。「変化している状態」が「春」なのです。
変化は人を楽しませます。同時に、変化は人をかき乱し、疲れさせ、不安にさせます。
漫画「じゃりン子チエ」の中で、猫のアントニオジュニアは春になるとノイローゼになります。猫ですらノイローゼになる春。うちの長女も「春に正気でいられるほうがおかしい」と言います。
無理もありません。春は急な階段を一気に駆け上がらないといけない季節。そして、明るさの裏に影を持った季節なのですから。
春の階段に踊り場はなく、春の影はその明るさと同じくらい深いのです。
一見すると、春はやさしい季節に見えます。でも、それにだまされてはいけません。
春がやって来る前に、わたしたちは覚悟し、準備すべきなのです。
その影を受け入れながら、階段を一気に駆け上がる。そのための準備を。

2019年の春、東京都写真美術館で開催された志賀理江子さんの「ヒュ-マン・スプリング」は不思議な展示でした。なんとなくわかったのは「人」と「春」の関係は簡単ではないということ。その時のインタビューの中で、志賀さんが『「春」の問題 』という言い方をされていて、その"The"がついた感じの、「誰もがわかってると思うけど」という感じの、さらっと出てきた『「春」の問題 』という言葉にとても共感しました。だれにとっても「春」の問題 は大問題なのです。

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