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一眼レフという小さな劇場

「かくれんぼの鬼の面白さは、目を開けると、世界ががらりと変わっているところにある。」

今朝(10月24日)の朝日新聞、天声人語の冒頭、
目を開けて新しい世界に駆け出す時の気持ちを思い出す一文でした。

これに近い感覚を知っています。
短い暗闇のあいだに一変する世界。

それは一眼レフのシャッターを切ったときの感覚です。

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カメラにはいろんな種類があります。
どんなカメラを使うか、それは世界の捉え方を左右する大問題です。

目の前の光景をさっと切り取るのが写真の醍醐味なら、それはレンジファインダーカメラの得意とするところでしょう。

思い通りの写真を撮りたいなら、ミラーレス一眼やスマホのカメラが適しています。仕上がりを見ながらシャッターを押せるなんて夢のような話です。

一眼レフは?

一眼レフが目指した「見たままに撮れるカメラ」は、ミラーレスでその究極に達しました。「思い通りの写真が撮れること」をカメラに求めるのなら、一眼レフは過去の遺物と言われても仕方のない状況です。

でも、わたしは一眼レフが好きです。
そのファインダーが好きだからです。

一眼レフのファインダーは劇場なのです。

そこは、レンズを通った光が投影され、それをひとりで見るための場所です。じかに見ているだけでは気づけない、物語性を帯びた世界がそこにあります。それは、光景を切り取るフレームであるレンジファインダーや、センサーが捉えた情報を表示するミラーレスの画面では触れることのできない世界です。

まさに「スクリーンに映された物語」と向き合う、小さな劇場。

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その物語の山場を決めるのは自分自身です。

シャッターを押す。
ミラーが上がる。

クライマックスのその瞬間、場面は暗転します。
そこで起こることを見ることはできません。

でも、それでいいのです。

撮影は世界と自分の間の秘め事。暗闇の中で行われるべきなのです。

ミラーが暗闇で拍子を打ち、再びスクリーンに光が戻ります。
そこに映し出されるのは、シャッターを切る前とは別の世界、「自分と関係を結んだあとの世界」です。

「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」

シャッターを切ること、それは自分と世界の関係を深めることです。

わたしたちは「小さな劇場」で、世界に物語を見出し、心を交わし、関係を結ぶことができます。

一眼レフでの撮影はまさに神事なのです。

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追記
残念ながら、劇場と呼べるほどの魅力的なファインダーを持つ一眼レフは、今はもうありません。「ファインダーの質は人生の質を左右する」、カメラメーカーはそんなふうには考えないようです。でも、フィルムカメラであれば、あなただけの「小さな劇場」を安く手に入れることができます。1970年代から80年代にかけてのカメラのファインダーは、今よりずっと倍率が高く、なによりそこに映し出される世界が生きています。フィルムMF時代のカメラが映画館なら、今のカメラは定食屋のテレビ、と言っては言い過ぎでしょうか。

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