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『百人一首』31文字に、歌い込まれた人生模様

 日本には、世界に誇る「カードゲーム」があります。「かるた」です。
「かるた」といえば『小倉百人一首』。江戸時代には、競技として、かるたが大ブームとなり、大名から町人まで、楽しんだといわれています。

「31文字の和歌には、どんな意味があるのだろう?」と思っていると、京都の嵐山に、国内唯一の、百人一首ミュージアムがあるという情報が入ってきました。「嵯峨嵐山文華館(さがあらしやまぶんかかん)」です。

 嵐山といえば、京都で一番人気の観光スポットです。早速、訪ねてみました。
 JR嵯峨嵐山駅から、嵐山のシンボルである渡月橋(とげつきょう)を目指して歩きます。
 世界遺産として有名な天龍寺(てんりゅうじ)の前を通り過ぎると、間もなく、桂川(かつらがわ)に架かる大きな橋が見えてきました。長さ155メートルもある橋です。

桂川に架かる渡月橋

 鎌倉時代に、ここで月を眺めていた文化人が、その美しさに感動し、「まるで、月が橋を渡るように動いていく」と言ったことから「渡月橋」と名づけられたそうです。
 橋のバックには、嵐山がそびえています。春は桜、秋は紅葉、冬は雪景色と、日本の美を象徴する絶景ポイントとして人気がありますが、遠い昔から、貴族や文化人に愛されてきた景勝地なのです。

 渡月橋から、川の上流へ向かって数分歩くと、嵯峨嵐山文華館が見えてきました。『百人一首』ゆかりの小倉山を背にして建っています。

嵯峨嵐山文華館

 京都ゆかりの芸術や文化に出合えるミュージアムであり、『百人一首』の歴史や魅力を伝える展示が常設されています。

 展示室へ入り、まず、目を見張ったのが、黄金色の「百人一首かるた」です。上の句、下の句に金箔を散らし、裏地は純金! 漆の二重箱に収められています。江戸時代に婚礼道具として製作されたもののようです。

婚礼道具として製作された「百人一首かるた」(嵯峨嵐山文華館)

 もう一歩、中へ進むと、『百人一首』の選者である藤原定家(ふじわらのていか)の肖像画と、彼の日記の復刻版が置かれていました。
『百人一首』とは、飛鳥時代から鎌倉時代初期までのすぐれた100人の歌人の和歌を、ひとり1首ずつ選んだ歌集のことです。
 江戸時代には、この歌集をもとに「絵入りかるた」が誕生。そして、現代の「競技かるた」へ発展していく流れが、分かりやすく解説されています。
 とてもユニークで、圧巻だったのが、壁面いっぱいに並べられている百首の和歌です。すべてに英訳と、歌人の像が添えられていました。

百首の和歌と作者の人形

 作者の人形を見ながら、和歌を読み、英訳を確認するのは、このミュージアムならではの楽しみ方です。

清少納言の人形と和歌

 さらに、嵯峨嵐山文華館の近隣五カ所の公園や公有地に、『百人一首』に選ばれた和歌の歌碑が百基あるそうです。最も近い嵐山公園亀山地区へ行ってみました。
 ミュージアムから、さらに川の上流へ向かって数百メートル進むと、公園の入り口がありました。階段を上ると、小高い山のあちこちに、和歌を刻んだ大きな石が置かれています。

嵐山公園亀山地区には49首の歌碑が設置されている(左側は清少納言の歌碑)

 和歌を詠んだ人々は、31文字の和歌に、どんな思いを込めたのでしょうか。そこには、言い尽くせぬ人生模様があるはずです。
 百首の中から、いくつか選んで、歌の意味や、作者の生き方を調べていきましょう。

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