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かみさまと話をする

かみさまとおしゃべりしたいと思う。今日みたいに真っ青な空だとよけいに思う。春の光の中では何もかもが許されているようで、そっと打ち明けてみれば真実を話してもらえそうな気がする。
「まあ、座りなよ」と、白い服を着たかみさまが椅子を勧めてくれたりして。

きっと、子どもの頃はいつでもその椅子に腰掛けられた。
友だちから預かった小鳥に最初のお水をあげる瞬間とか、夏休みのプールの帰りに足を踏み入れた路地の奥とか。そんな場所で、僕は目には見えないその小さな椅子に腰掛けてかみさまと透明な言葉を交わしてたんだろう。

今じゃ大きくなりすぎて、強引に腰掛けようとしたらゴロンと後ろにひっくり返ってしまう。透明な言葉も耳に入らない。大人って、かわいそうなくらいかわいい生き物だ。できないことが多すぎる。

そこで、2歳の娘をかみさまのところに連れていくことにした。住所は知らないけれど、きっとここでいいのだろう。信仰心なんてちっともないのに、足は勝手に鳥居をくぐっていた。どうやら、この静かな森の奥でかみさまとお話できるらしい。

先に駆けていった娘が早く早くと、ピョンピョン飛び跳ねていた。
「かみさまにおかねいれるのねえ」

「はいはい、お金は賽銭箱に入れようね」
僕は笑って、五円玉を子どもの手のひらに潜り込ませる。

「ブン!」と音が聞こえそうなくらいだった。
思い切りよく娘が五円玉をぶん投げて、お賽銭はきれいな弧を描いて消えていく。
チャリン。
きれいな音。
娘は顔の前でゴシゴシと手をこすり合わせている。お祈りしているらしい。

娘の目が開くのを待って、僕は聞いてみた。
「かみさま、なんて言ってる?」

「あのね」と、
娘は僕をしゃがませてささやく。

「チャリチャリしてねって、いってる」

「チャリチャリ?」

「おかねチャリチャリして、もっとおいのりするのねえ」

娘がバンザイしてそう言うもんだから、なんだかお賽銭をだまし取られたような気分になってしまった。
「ははー」と、
思わずひれ伏してしまう話を期待してたのになあ。かみさまって想像以上に正直なんだね。がっくりきたあと急におかしくなって、大声で笑ってしまった。

「かみさまバイバイねー」と、
娘は小さな靴を鳴らして参道へ駆けていく。

参道はあいかわらずひっそりしていて、敷かれた玉砂利がジャリジャリと音を立てた。立ち止まればピタリと音はやんだ。いやでも人の存在を知らしめるその音は、
「いるね、そこにいるね」
とささやくかみさまの声のような気がした。僕たちと一緒になって動くその声に耳を傾けていたら、子どもの頃座っていたあの椅子の感触がよみがえってきた。

小さな子どもの背中を追って、僕は春の光の中を歩いていく。
あいかわらず信仰心はなかったけれど、この光が消えてしまう前に何もかも、すっかりかみさまに話してしまいたいと思った。

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