見出し画像

早すぎる探し物

聞こえなかった。
だから、「なんて言ったの?」って。

そう聞いてしまうほどに、声はささやかだったんだ。
がらんとした公園は風の音ばかり。ジャングルジムの中身は空っぽで、滑り台はあいかわらず斜めに傾き、ピーチクパーチクここからは見えない空でヒバリが鳴いている。

「何が欲しいって?」
もう一度聞き返しても、4歳の娘ははっきりしない。ほんの少し目を伏せ、もじもじっとしている。

なんだろう。何が欲しいんだろう。おやつかな? 楽しいお話? それとも、ワクチン?
ばかだな自分。そう思いながらも、この子に聞いてみたくなる。ねえ、本当のところはどうなの? 今の世界ってどう見える。教えてよ。お父さんにはわからないんだ。

「おとうさん」
娘は僕をじっと見つめ、それから身をよじると小さな声でこう言った。
「わたし、スズメのなみだがほしいの」

笑っちゃった。不謹慎なくらい、わっはっはって。

「だってね」
と、娘は僕の手を取ってにっこりする。
「スズメさんのなみだって小さいんだよ」

そうだねと僕は微笑み、それからこう思った。小さいだけじゃなくて、それは別の何かを見つけるためのものなんだよ。

子どもの頃、探し物がたくさんあった。なのに、たとえ見つけ出せてもまだ足りない気がしてた。どこか見えない場所で本当の探し物がキラキラ光っているようで、胸がしゅんとするんだ。

今ならわかる。探し物は幸せのありかを知るためにある。幸せの⻘い鳥のように、いろんなところを探し回った後に「ここだよ」って家の中で美しく鳴いている。人は幸せが最初から手元にあったことを知る。ただ、それだけ。それだけを知るために人は必死に何かを探しつづけるのかもしれない。

娘は僕の手をぱっと放すと、「さがす」と駆けていく。
「慌てなくていいよ」
僕はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。

スズメの涙はきっと見つからないだろう。そして見つからないものを探していくうちに見つけてしまうんだろうな。大好きな人とか、仕事とか、本当の幸せとか。それが、親の願いなんだよ。

駆けていった娘が「おとうさん!」と声を上げて空を指した。スズメの群れがやってくる。まるで、この子の胸に向かって馬を走らせる王子様のように。大きく腕を広げ、手には婚約指輪まで握ってたりして。

僕はまいったなと頭をかいた。
いくらなんでも早すぎる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?