『ボタニカル・ライフ』から始まった、私の植物男子遍歴
私の家は東京都心部といえば都心部に近いあたりにありますが、(それゆえに?)地方の人が見たら、「なぜこんな狭いところに一戸建てを・・・!?」と理解に苦しむような狭小住宅です。
当然、庭などありません。
しかし玄関周りのわずかなスペース、隣家との境界にある小さな植え込みスペース、2FのベランダーにDIYで作った棚の上、果てはリビングルームの隅々で、所狭しと鉢植えを置いて、色々な植物を育てては枯らしています。
最近は慣れてきたのもあり、また、あまり頻繁に枯れる植物は買わないようになったので、ローテーションは固定してきましたが、それでもプランターにスペースができるや、新しい植物を植えたり、種をまいたりしています。
こんな事をもう5〜6年は続けていますが、これが全然飽きないです。
次から次へ育てたい植物、咲かせたい花が出てきます。
元々植物は好きで、一人暮らしの時分から、いや、実家にいた高校生ぐらいの頃から、サボテンのひと鉢くらいは部屋にいつもありました。
しかし、本格的に「植物男子」になったのは、この本、
『ボタニカル・ライフ』(いとうせいこう)を読んでからです。
ミュージシャン、タレント、その他マルチな活動でその存在は元々知っていました。
しかしこの本で書かれているような、植物を育てることに熱中し、隅田川の辺りにあるマンションのベランダには所狭しと鉢植えが置かれ、毎日毎日その成長に一喜一憂しながら生活しているとは、本書を読むまで知りませんでした。
せいこうさんは庭付き一戸建てでイングリッシュ・ガーデン風だのなんだの、きれいに手入れされた庭を「ブルジョワ趣味」とこき下ろし(しかし実は羨しそう)、自宅の軒先や電柱の根本、道路の植え込みの隅などに勝手にトロ箱を置いて、
好きな花を育てている路地裏の婆さんに同志の意識を抱く。
「ガーデナー」に対して「ベランダー」と自らを呼び、
狭い、夏は暑い、乾燥する、と何かと条件の悪いベランダでの園芸を、
「いい加減に」楽しんでいる。
それにしてもせいこうさんの植物を観察する目は鋭く、それでいて愛に溢れている。例えばこんな箇所。
本来雑草であるハーブをタネから育て、後生大事に見守っているとなかなか育たず、ちょっと乾燥するとへばってしまう苗に呆れ、
またはこんな日も。
偏愛するアマリリスを甘やかすがあまり(この場合の甘やかすは球根を掘り上げて成長を止めたりせず、年中ベランダの過ごしやすいところに置いていたこと)、
美を忘れてしまった(花を咲かせなくなってしまった)アマリリスに嘆くあまり、新しいアマリリスの鉢を買ってしまったせいこうさん。
何を楽しんでいるんだか、せいこうさん(笑)
この日記形式の本の全編が、せいこうさんの鋭い観察眼によって見出された、
普段はじっとみていてもほとんど何も動かない植物が、次の日ふと見ると劇的な変化を遂げたりしている瞬間に感じた感動と、そこから引き出された豊かな想像で彩られています。
そして私も、ページをめくるたびに、「あるある!」という共感と、
「そこまで考えたことないわ!」という驚きが交互に現れ、1ページも飽きることがありません。そして読み終わると、猛烈に新しい植物の鉢を買いに行きたくなるのです。
私はそれに加えて、このような植物についてのエッセイ、小説、学術書、図鑑に至るまで、「植物本」にもハマっていくことになるのです。
最後に、本書で一番ハッとした言葉。
この見立て、すごくないですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?