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ツイ哲20200810の記録①

参加者 Kimura FUMITO, Letranger, 波乗りオーク, hitsuji, はも, 哲学探偵, Ris哲(参加順)


ラインA
A1 Kimura FUMITO 8/10 12:00
【スタート】Twitterでゆったりのんびり哲学対話(20200810-0816) #ツイ哲20200810
このツイートにコメントする形で、ご参加ください。
テーマ 「他者の尊重」
まず、以下のnoteのルール、注意事項をよくお読みください。
緊急企画 Twitterでゆったりのんびり哲学対話(20200810-0816)|Kimura_FUMITO|note

A2 Kimura FUMITO 8/10 12:02
さて、開始時間となりましたので、「Twitterでゆったりのんびり哲学対話(20200810-0816)」(#ツイ哲20200810)をはじめたいと思います。
他者を尊重するとはどのようなことでしょうか? どうすれば、他者を尊重することに(尊重したことに)なるのでしょうか?

A3 Letranger 8/10 22:13
相手を理解しているということが、かならずしも相手を尊重しているということになるわけでもない、ように思われる.
即ち、相手を理解していなくとも尊重はしうるし、逆に相手を理解していても尊重していないということがありうるようにも思われる.#ツイ哲20200810

A4 Letranger 8/10 22:53
「相手を理解していても尊重していない」の例として,
「相手を理解している」というのが「お菓子をあげたら喜ぶ」という意味だとする.
そしてその理解に従って,何かに悲しんでいるその相手に対し「とりあえずお菓子をあげとけばいい」と思うのは,尊重とはいいがたい様に思われる.#ツイ哲20200810

A5 Letranger 8/10 23:26
「相手を理解していなくとも尊重はしうる」としたのは,
もしそうでなかったら,よく知らない初対面の相手に対しては尊重することができない,ということになってしまい,それには違和感があるからである.
相手に対する認識不足は,かならずしも尊重と対立するわけでもない様に思える.#ツイ哲20200810

A6 Kimura FUMITO 8/11 0:00
Letrangerさん、よろしくお願いいたします。
しかし、その人を知らないがために、尊重したつもりの言動が、結果尊重できてないこともありそうな気がします
「相手を理解していたほうが尊重しやすい」とはいえるのではないか、ということです。
それともやはり、理解と尊重とは別々なのでしょうか?

A7 波乗りオーク 8/11 0:34
こんばんは波乗りオークです。
今回は、忙しくて中々参加できそうにないのですが、なんとか時間を作って頑張ってみたいと思います。今回も何卒よろしくお願いたします。

A8 波乗りオーク 8/11 0:34
理解と尊重について、例えば、ご高齢の方を尊重するために席を譲ったところ、そのご高齢の方が席を譲られることを非常に不愉快に感じた場合、この尊重は失敗している気がします。故に、尊重するためには理解が必要な気が…

A9 波乗りオーク 8/11 0:35
いやでもどうなんでしょう…Letrangerさんの言う通り、尊重する人が、心から尊重しようと思って行為した時点で尊重は起こっているような気もします。自分視点と尊重される人視点や第三者視点の違いなのでしょうか(自分視点のみで尊重はあり得る!?)

A10 Letranger 8/11 2:12
理解とは何か?に依る様に思えてきました.
もし「相手は麻薬を使いたい意志をもつ」という事を私が知っているのを「私は相手に対する理解がある」といえるとしたら,
私がその理解に従い麻薬を提供する事は,相手を不愉快にさせませんし相手の意志に寄り添ってもいますが,尊重とは言い難い様に思えます

A11 Kimura FUMITO 8/11 5:23
「相手の人格を尊重する≒相手が大切と考えているものを尊重する」とは必ずしもいえないということでしょうか?(麻薬の場合など)
相手の大切にしているものを否定し、不快にさせたとしても、なお相手を尊重していることもありえるのでしょうか?

A12 Letranger 8/11 8:22
そのように今は思っています.
それは私の価値観の押し付けともいえますが,
遊びたがっている子どもに勉強させる,自殺したがってる人に思いとどまらせる,というのも,遊びたがったり自殺したかったりといった相手の意志を否定し不快にさせはしますが,相手を尊重しているからこその行為のように思えます

A13 Kimura 8/12 8:29
「他者の尊重」とは、「他者の〈意志/欲望〉の尊重」ではない、ということですね。
その場合、尊重されているのは他者の存在?他者自体?でしょうか?
また、他者のある行為を推進⇔抑止する際の基準は、何なのでしょうか?

A14 はも 8/12 11:00
こんにちは。今日から時々参加させていただきます。
「尊重」という言葉が難しいなと感じます。例えば「あの人のここが嫌だけど、ここはいいと思うから良しとしよう」と考えているときは相手を尊重していることになるのでしょうか。
やはり他者の存在そのものを尊重しなければいけないのでしょうか。

A15 Letranger 8/12 14:27
例えば,嫌でしかない相手の意見でも,ひとつの意見(意志)としてそれを尊重する事は,相手を尊重する事の様に思えます.
この時,相手の意見を無視しないといった私なりの「行為」を伴ってはじめて「尊重した」といえる様に思われ,ただ心の中で敬う事(敬意?)との違いがそこにあるかも,と思ったりしています

A16 Letranger 8/12 17:32
相手の訴えが,生きざまを示す意志ではなく,未熟さや正気を失った事による欲求であれば,それを抑制するのは相手自体の尊重になりうる.例えば自殺志願者に生きる事を,遊びたがっている子どもに勉強を求める場合.
基準は善さ.
善さを感じられれば,訴えは生きざまを示す意志で,それは相手自体と同義,かも

A17 hitsuji 8/12 21:36
例えば「死にたい」という意思が、本人を取り囲む社会によってもたらされていると考えた場合、否定されるべきは本人ではなく、本人を死へと追い込んだ社会のほうである、とは考えられないでしょうか。「死ぬ」以外の選択肢を勧めることは、本人の「生」を尊重したと考えられないでしょうか。

A18 Letranger 8/12 23:33
考えられると思います.
もしそんな社会でなければ,本人は自殺欲求などもたず,本人のあるべき生きざまからくる別の(善き)意志をもっていただろうと思われ,私が本人にそんなあるべき生きざまを生きて欲しいと願って自殺を思いとどまらせるのは,本人の生の尊重ならびにそんな社会の否定であると思います

A19 Kimura FUMITO 8/12 23:55
たとえば、自殺欲求を持つ方にとっては、自殺が「善き」行為となっているわけですが、それは本当の?「善さ」ではないということですね。
その場合の本当の「善さ」とは何なのでしょうか? 生を尊重することが「善」ということになるのでしょうか?

A20 Letranger 8/13 10:35
自殺と話がずれて済みません,
3.11のとき原発に放水しにいく人たちには死ぬ恐れがありましたが,その人たちの意志に対し,赤の他人が「私はやらないが,やってくれると助かる」という思いから任せる“見せかけの尊重”ではなく,
例えばご家族など関係者が,その意志を尊重できるとしたら,そこには,(続)

A21 Letranger 8/13 10:36
その人たちが決死隊に参加しない場合よりも死ぬ恐れが高い事も含めて,その意志に「善」を認めうるが故に,尊重しうる様に思えます.
逆にいえば,ご家族など関係者が,そこに「善」を認めうるその人たちの意志は,かならずしもその人たちが生きながらえやすい側に寄ってる事を示すわけでもない様に思えます

A22 はも 8/13 20:21
約1日議論から離れただけで「生と死」「善と悪」という視点が出てきていて、とても興味深く思っています。
Letrangerさんの意見をうまく汲み取れているかわかりませんが、原発作業員の方々のご家族が、「彼らは素晴らしいことをした」と言えるのなら、それは最上の「他者の尊重」なのでは(続きます)

A23 はも 8/13 20:23
ないかと思います。
しかし、もしもこれが本当に最上の他者の尊重なら、戦争の特攻隊も「とても良いものだった」と言えてしまう気がします。難しい限りです。
問題提起だけになってしまいますが、思ったことは以上です。

A24 Letranger 8/14 13:31
大本営の作戦の杜撰さ,または国・東電の津波対策の杜撰さに対する命がけの尻拭いという点で,特攻隊と,原発事故対応の決死隊は重なる様に思いますが,前者は,
・戦争.
・(恥の文化から)機体の衝突という戦果をあげても隊員の脱出帰還は許されなかった.
・特攻対策された後は効果が殆どなくなった.
(続)

A25 Letranger 8/14 13:36
・そもそも勝ち目がなかった.
といった点があり,それらを踏まえても尚なされる特攻隊への志願が,本人のあるべき生きざまと言えるか否かに,善性の有無がある様に思えます.
そしてもし善性が感じられ,本人の意志に任せるのは,尊重と言いうる様に思えます.
(特攻隊についての私の意見自体は控えます)

A26 Kimura FUMITO 8/14 17:36
「本人のあるべき生き様」が「善(性)」と関係するのですね。その場合、「あるべき」や「善(性)」は、時代・地域に限定されたものと考えますか? それとも、普遍的なものと考えますか?
(別の分岐の議論とも関係した質問となってます)

A27 Letranger 8/15 13:22
まず,利己的なものには善は感じられません.
また衝動的なもの,粗略なもの,無思慮なもの,即ち,他者や自分の生に対して無責任なものにも善は感じられない様に思います.
以上を踏まえて私の思う善性の内容は,利己的でないのみならず,今知りうるあらゆる事情・他者・自分の事が深く鑑みられている事(続)

A28 Letranger 8/15 13:24
即ち,“利己的でない卓越性”,であるように思われ,それが本人に窺えるときに「本人に任せる」のが,尊重である様に思います.
では,上記善の内容に普遍性があるか否かについて,まず私たちがいう善という語で表す,“人が向かうべき方向性の様なもの”がなければ,社会が成り立たない様に思われます(続)

A29 Letranger 8/15 13:26
そしてその内容が“利己的でない卓越性”であれば,皆が卓越し協力しあう方向性をもちやすいので,より社会が存続しやすい様に思えます.
とはいえ,各個人で善という語で表される方向性がなくとも,またその内容が違っていても,また社会としてその内容が違っていても,存続できる可能性もあるかもと思います.


ラインB
B1 hitsuji 8/11 0:59
相手の存在を認めること。認めるためには、相手の意思に耳を傾けることや存在理由を想像することが必要そう。また、それは自分の価値観や存在理由とは違うことを認めることとも隣り合わせに思える。他者を尊重するとき、それは自分を尊重することでもあるのか。#ツイ哲20200810

B2 Kimura FUMITO 8/11 17:19
hitsujiさん、よろしくお願いします。
「相手の存在を認める」とは、すごく大切な気はしますが、具体的にはどのようにすれば「認めたこと」になるのでしょうか? あるいは、どうすれば「認めていること」を相手に伝えられるのでしょうか?

B3 hitsuji 8/11 17:43
「他者を尊重するとはどのようなことでしょうか? どうすれば、他者を尊重することに(尊重したことに)なるのでしょうか?」
「尊重する(尊重した)」は「相手に伝わる」ことが前提なのでしょうか。

B4 Kimura FUMITO 8/11 22:01
相手に尊重していることが伝わらない状態、極端な例ですと、相手は自分が蔑ろにされていると思っているにも関わらず、実は相手を尊重することが成立するとすれば、「伝わる」ことは必要条件ではないことになります。「尊重する」とは「気持ち」と「(客観的な)状態」、どちらなのでしょうか?

B5 hitsuji 8/11 22:22
これまでの対話に齟齬が生まれているように思います。あなたの「どうしたら伝わるのか?」という問いは、何を聞きたかったのでしょうか。この問はあなたにとってら「尊重することは、相手に伝わっている状態である」ことを必要条件としているように読み取れました。

B6 Kimura FUMITO 8/12 8:24
意図としては、「伝わる」ことが必要条件なのかどうかを検討したいという趣旨でした。昨日申し上げた、「相手は自分が蔑ろにされていると思っているにも関わらず、実は相手を尊重することが成立する」場合、必要条件ではないといえそうですが、そういうケースは想定可能でしょうか?

B7 hitsuji 8/12 9:26
あなたからの「どうしたら相手に伝わるのか?」という問いを受けて、わたしは「あなたのその問いは、”尊重する”は”相手に伝わる”が前提条件になっていると思うのですが、そもそも”相手に伝わる”は前提条件にする必要があるのでしょうか?」という意図で問いをお返していたので、(続)

B8 hitsuji 8/12 9:30
そのわたしの問いに対して、あなたは「~の場合は、必要(前提)条件ではないことになります」と説明をはじめたため、あなたの主張が反転しているように見受けられ混乱しました。

B9 Letranger 8/13 11:04
ある人の事業の意志に私は善さを感じ,援助資金を口座に入金したが,その人はそれに気づかないままであるとき.
気づかない理由としては,多忙,不慮の事故での死など.
この場合,援助資金の提供という私の行為はその人に伝わっていないが,私の行為はその人とその人の意志に対する尊重と言える様に思えます

B10 hitsuji 8/13 0:26
この例の場合は「共感する」という言葉を連想します。「尊重する」という行為は、自分の気持ちと合うかどうかといった、自分の気持ちを伝える行為ではないのではないでしょうか。

B11 Kimura FUMITO 8/13 17:45
hitsujiさんは「相手の意思に耳を傾けること」や「存在理由を想像すること」が必要と最初に仰られましたが、それは尊重するためには、その前段階でコミュニケーションは必要であるが、尊重する際には(尊重していることを「伝える」ことを含む)コミュニケーションは必要ない、ということでしょうか?

B12 hitsuji 8/13 17:53
例えば、自分と直接知っている相手だけではなく、知らない人であっても、その人を尊重する、ということをしている気がします。例えば、相手(知らない人)のセクシャリティの自由を尊重する、といったケースが思い浮かびます。ここでは、この場合を「存在理由を想像すること」と記しました。

B13 Kimura FUMITO 8/14 20:01
成程成程。知らない人でも尊重は可能なのですね。その上で、質問です。
①-1 初めは知らなった人をその後によく知ることで、尊重が深まることはあるでしょうか? 
①-2 良く知るようになることによって、当初尊重だと思っていたことが、「そうではなかった」となることはあるでしょうか?

B14 Kimura FUMITO 8/14 20:02
続けてすみません。
②最初の発言で、「他者を尊重するとき、それは自分を尊重することでもあるのか」と述べていましたが、一見すると、他者の尊重と自分の尊重とは別々に可能であるようにも思えます。両者の関係について、もう少し詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?

B15-a1 hitsuji 8/14 22:26
②「他者を尊重する」際に、自分と他者の存在理由の違いを認めるプロセスが起こりうるとすると、他者を尊重したとき、自分自身も尊重されうる、ということが起きているのではないか、と思いました。他者の存在理由と自分の存在理由が違ったとしても、独立してそれぞれが尊重されうることを考えました。

B15-b1 hitsuji 8/14 22:26
①-1 「尊重が深まる」という表現は初めて聞きました。どのような状態でしょうか?
①-2 「そうではなかった」というのは、たとえばAさんが社会通念への理解が深まって「尊重すべき対象ではなかった」と考えが変わることですか。それともAさんが「尊重したくない」と好意が変わることですか?

B15-b2 Kimura FUMITO 8/15 2:28
①-1,2を一緒に。
例えば「相手の意志を尊重する」の場合は、その意志を想像し、尊重している「つもり」だったのに、実は後になって当人の意志にそぐわない態度だったというケースがありえます。相手についての知識が深まることで、尊重もより適切になされるという意味で「深まる」と表現しました。

B15-b3 Kimura FUMITO 8/15 2:43
以上は「意志の尊重」の場合ですが、hitsujiさんの「存在の尊重」では、そういう見当違いが起こらないのでしょうか?
起こらないとすれば、「存在の尊重」とは何で、知らない場合と知っている場合でそのあり方が変わるのかどうかが重要そうな気がします。
(別のラインでの議論とも関連しそうですね)

B15-b4 hitsuji 8/15 9:31
相手への理解が深まることで「相手を尊重できていなかったかもしれないと認識する」ことはあると思います。一方で「尊重がより適切になされる」は相手が認める状態を指すとすると「相手への理解が深まること」と「相手にとって尊重がより適切になされる」は主語が変わり、別の話に思えます。

B15-b5 hitsuji 8/15 9:34
「意思」は本人が置かれている状況によって左右されうるもので、本人であっても自身が望んだ意思かわからない場合もあると思います。一方で「存在の価値」はそうした置かれた状況に左右されない価値に対しての尊重を指しました。この価値は個人が生を全うするといった根源的な欲求に関わると思います。

ラインC
C1哲学探偵 8/13 3:05
「他者を尊重する」には普遍性が必要だと思います。他者から自分に向けられたとき、自分が尊重されていると感じられないなら、その条件は普遍的ではなく独善的だろうと思うからです。普遍性が必要なら自分の条件も満たす必要があるので、まず自分が求める条件を考えて足場にしたい。#ツイ哲20200810

C2 哲学探偵 8/13 3:28
問い:自分が尊重を感じる必要十分条件は何か
①尊重されている
決定権の保証、前提や意志の確認、意味や解釈を強制しないがすべて満たされている
②尊重されていない
支配しようとする、何らかの決めつけがある、意味や解釈を強制するがひとつでもある
私の場合は以上です。#ツイ哲20200810

C3 Kimura FUMITO 8/13 18:17
哲学探偵さん、よろしくお願いいたします。確認の質問です。
①「普遍性」ということですが、これは「相互性」ではだめでしょうか? 万人に当てはまらなくても、お互いに尊重についての了解を同じくしていればよいのでは?
②「すべて満たされている」とは、具体的にどういうことでしょうか?

C4 哲学探偵 8/13 18:57
①相手次第で尊重の意味が変わるのでは尊重の意味を特定したことにならないと思います。尊重の意味を特定したいのですから、普遍的であるという条件は必須と思います。
②【決定権の保証】【前提や意志の確認】【意味や解釈を強制しない】の3つが欠けることなく揃っていることです。#ツイ哲20200810

C5 Kimura FUMITO 8/13 23:12
ありがとうございます。さらに確認を。
①「普遍的」とは、どの程度の普遍性でしょうか? 人類全体なのか現代の日本人なのか、さらに広い/狭いのか?
②「普遍的」は「客観的」に言い換え可能でしょうか?
③普遍的な尊重の成立にも関わらず、相手がそうは考えないということは可能でしょうか?

C6 哲学探偵 8/14 10:34
①普遍性の言い換えとして私はよく「いつでもどこでも誰にでも」と言います。私が普遍的と言う場合は時代・場所・相手を限定しません。

②尊重するもされるも普遍的主観だと思いますので客観的とは言えません。

③普遍的「主観」なので相手と一致しないことは十分ありえます。#ツイ哲20200810

C7 哲学探偵 8/15 0:02
尊重の説明ではなく個人的なやり方ですが、私は自分が尊重できているかどうかを判断するために「自分も他者も同じくいつでも間違いうる不完全な存在」という自覚を保ちながら他者と向き合っているか、自分を神様(絶対の善)にしていないかと、自分に問うようにしています。#ツイ哲20200810


ラインD
D1 Kimura FUMITO 8/15 13:54
【ご提案①】現在ツイ哲は、三つのラインに分岐しています。徐々に判明となってきた、それぞれの「尊重」の考え方は重なっている点もありますが、相違点もありそうです
 本日これから、ラインの統合を提案します。このツイートに返信するという形で、お互いの立場への感想・質問・返答をお願いします

D2 Kimura_FUMITO 8/15 13:58
【ご提案②】(途中でのルール変更はできるだけしないほうが望ましいですが)最終日を迎えるに当って、議論に悔いを残さないために、15,16日はツイート数の制限を6回までとしたいと思うのですが、いかがでしょうか?
皆さんの了承が得られましたら、①②の方針で、続けたいと思います。

D3-a1 Letranger 8/15 14:00
賛成致します。
宜しくお願いいたします。

D3-a2 hitsuji 8/15 17:53
皆さんのご意向を優先ください。わたしは当初のルール以上の参加は致しかねるのでご承知おきください。

D3-a3 Kimura FUMITO 8/15 17:59
hitsujiさん、ありがとうございます。途中でのルール変更でご迷惑をおかけいたします。ご無理のない範囲の参加で、勿論結構です。
皆様、18時を過ぎましたら、また別のラインを新たに立てて、再スタートしたいと思います。

D3-b1 哲学探偵 8/15 14:57
統合には賛成です。
しかし、お互いの意見への質問や回答を十分にするためには、質問と回答のツイートを回数無制限にした方がよいと思います。その代わり感想(質問でも回答でもない意見)は三回に制限するというのはいかがでしょうか。

D3-b2 Kimura FUMITO 8/15 16:30
【ミーティング】ツイ哲主催者として、ルール変更に関しては、もう少し議論が必要と判断いたしました。本日18時まで、ツイートの回数制限を解除し、ご意見を募集したいと思います。
哲学探偵さんのご懸念(6回でも少ない)というのはよく分かります。しかし、「ゆったりゆっくり」という(続)

D3-b3 Kimura FUMITO 8/15 16:35
コンセプトが形骸化してしまうことは避けたいという気持ちもございます。
案①1日6回
案②無制限
に加えて、
案③一時間に二回というツイ哲第2回のルール(をやや緩めたもの)
を折衷案として提案いたします。皆さんの意見を聞いて決定したいと思います。

D3-b4 哲学探偵 8/15 16:54
補足というか…
案②が私が提案したものでしたら、

・質問と回答は無制限
・(質問と回答ではない)意見は1日3回まで

という趣旨です。甘いルールですから質問に見せかけて意見を述べることもできますが、その辺は各自の自制心に任せてよいと思います。

D3-b5 Letranger 8/15 16:59
私はどれでも構いません、
宜しくお願いいたします。


D3-c1 Ris哲 8/15 15:59
こんにちは。ris哲の管理人をしている者です。遅ればせながら、少しでも参加できればと思い発言させていただきます。
kimuraさんの言われている3つのラインとは、
①尊重の普遍性
②尊重と利己性
③存在の尊重と意志の尊重
でしょうか。
それに加えて浜さんの発言にある、
④尊重と占有(続)

D3-c2 Ris哲 8/15 16:01
という視点も新たなラインかなと思います(②に関わりそうではありますが)。
これらを確認した上で、議論を進めていくと参加者全体にとって分かりやすいかなと思います。よろしくお願いいたします。#ツイ哲20200810

D3-c3 Kimura_FUMITO 8/15 17:09
私の言ったラインとは、Letrangerさん、hitsujiさん、哲学探偵さんのツイートを始点とするやり取りのことです。それぞれのラインのなかで、テーマは様々に展開されているかと思います。

D3-c4 Kimura FUMITO 8/15 17:10
それぞれの「尊重」の意味合いがはっきりしつつありますので、それぞれの立場から/について質問、回答をして頂きたいという趣旨です。
(勿論、三人以外の方も質問や異論などで議論にご参加頂きたいです)

D3-c5 Ris哲 8/15 18:01
ありがとうございます。
私のツイートと合わせると、
① 哲学探偵さん
② Letrangerさん
③hitsujiさん
となると思います。
それぞれの議論を深めることで、繋がる点も多い気がしています。

D3-c6 Ris哲 8/15 18:07
発言回数に関しては、哲学探偵さんの意見が良いかなと思います。
質問と回答は無制限として、自分の意見は3回までで良いかと。
kimuraさんの③の提案によってそれらが解決されるような気もしていますが…
1時間に2回発言であれば、ゆっくり考える時間も取れるように思います。

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