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「Twitterでゆったり哲学対話」#ツイ哲20200516の記録


Kimura FUMITO
「Twitterでゆったり哲学対話」#ツイ哲20200516

日時 5/16 9~5/17 23
テーマ 「オンラインで哲学対話は可能なのか?」

時間になりましたのではじめましょう。このツイートへのコメントという形でご発言ください。

オンラインで哲学対話は成立するのでしょうか?
https://note.com/kimurafumito/n/n304698d88e2a

午前9:02 · 2020年5月16日

Letranger
哲学対話ルールの遵守をもって哲学対話の成立とするなら,ルールの遵守がオンラインで可能なら「オンラインの哲学対話」は可能といえる

が,例えば「よく聞く」は,オンラインを通した声のみならず「リアルでしか受け取れない話し手の何か」も感じ取ってはじめて遵守しうるというなら,それは不可能になる
午前9:56 · 2020年5月16日

波乗りオーク
おはようございます。波乗りオーク です
よろしくお願いします

私もルールは哲学対話に重要な要素だと思います
ただ、私はそれ以外にも重要なものがあると思い、オンラインではそこが心配です

例えばサッカーはルールを守ればサッカーでしょうか
闘志、やる気、仲間意識なども重要なのでは
午前10:47 · 2020年5月16日

Letranger
(現行の)ルールの遵守は哲学対話が成立するための十分条件ではなく、哲学対話が成立するための重要な(ルールに無い)要素がありそうに私も思います。

その一方で、哲学対話が成立するための十分条件でさえないかもしれない(現行の)ルールの遵守でさえも、オンラインでは不可能かも?とも思っております
午前11:40 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO
皆さん、おはようございます。参加していただいてありがとうございます。

ルールが話題となっていますが、そのルールとは具体的に何でしょうか?
午前11:49 · 2020年5月16日

波乗りオーク
まずルールは実行しようと思えば、どんな時でも即実行可能であるものである必要があると考えます

その上で哲学対話におけるルールは基本的に
1、何か一つのテーマについて対話する
2、人の話を遮らず最後までしっかり聞く
3、相手を尊重する
4、専門知識を前提としない
の4つかなと思っています
午後0:41 · 2020年5月16日


Letranger
よく聞く/否定しない/難しい言葉を使うときは説明する/偉い人の言葉をつかわない/知識ではなく自分の経験にそくして話す/ひとそれぞれはなし/何かを決めなくていい/結論がでなくていい/ゆっくり考えよう/わかったふりをしない/互いに問いかける/参加者が不快になるようなことや乱暴な物言いはしない
午後0:43 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO
成程成程。オークさんのルールには顕著に現れていますが、それらは、それらを守らないと(哲学)対話といえない条件であると思いますが、それらを守っただけで哲学対話となるとはいえないように思います。つまり、1-4を守ったうえでなされる日時会話もありそうな気がします。
午後1:07 · 2020年5月16日

Letranger
1~4以外の要件として,例えば「探求心」はどうでしょうか?

例えば,「友達」をテーマとして話すとき,なんとなく自分が納得している言説(例えば「友達とは利害関係の一致する関係」)に対し,敢えて「利害関係が一致しない友達関係もあるのでは?」と疑ってみるなどして,正しい定義を求めにいく「探求心」。
午後2:21 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO

あらゆる探求心が「哲学対話」に繋がるわけではないようにも思います。「探求心+ルール」でも、たとえば科学的なテーマについての対話ということはありそうです。ただ、「探求心+ルール」は対話を成立させる条件とはいえるでしょうか?(確信なし)
ただの探求心ではなく「哲学的な探求心」としては?
午後3:27 · 2020年5月16日

てるともき
初心者の私としては「何の為のルールなのか」と感じます。

例えば、スポーツの試合でのルールが試合結果を公認する為の条件だとすれば、試合の醍醐味は勝敗(分)をつける事で、それを楽しむかは個人の自由になるはず。

哲学対話で参加者が共有すべき醍醐味ってなんでしょうか。質問ですみませんが…深くお辞儀する男性
午後2:21 · 2020年5月16日

Letranger
特定の人しか興味をもたなそうな自然科学等の謎に対する「探求心」ではなく、誰しもが興味をもっていそうな(自分自身の)心の謎(私はなぜ美しいと感じるのか?/私はなぜ怒るのか?など)に対する「探求心」が、哲学対話が(てるもときさんの「参加者が共有すべき醍醐味」を有して)成立する条件かも、と。
午後4:13 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO
「心」を脳科学的に探究することもできるでしょう。「哲学的」には、①問いの対象ではなく、②問い方こそが重要で、それによって他の問い(対話?)と区別できるのではないでしょうか? たとえば「友だち」について、アンケートを取ったり辞書を調べたりする探究は、あまり哲学的という感じがしません。
午後5:33 · 2020年5月16日

Letranger
話がズレていたら済みません、
「問い方」について思ったのは、

問いが
「相手になんらかの刺激を与えて、相手の反応(回答)を観察し、なにか結論づける」
という意図でなされるなら、それは尋問や実験であって、対話とはいえないと思います。
アンケートや脳科学的アプローチはその部類だと思いました
午後7:00 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO
先のツイートの哲学の「問い方」とは、問いに対する答えの方向性の限定といったほうが適切だったと考え直しています。
ただ、科学と対話では「問い(方)」が異なるのではないか、というLetrangerさんのご指摘は大変啓発的です。それでは、どのような問い方をすると、対話となるのでしょうか?
午後9:53 · 2020年5月16日

Letranger
相手を私の問いに共感しうる存在として、実際に私の問いに共感させようと試みるのが、対話になる問い方、ではないかと今は思います。

他方、相手を心というメカニズムをもった生物とみなし、(問いという)刺激を付与してその反応(回答)を引き出そうとするのが、科学の問い方、であるように思います。
午後10:41 · 2020年5月16日

Kimura FUMITO
他者の人格を尊重するのか、その人格を自身の探求の手段として利用するのかという違いといえるでしょうか?

ここまでの議論をまとめると、
・ルールを守らないと、対話とならないが、ルールを守るだけで哲学対話となるわけではない
・ルール以外の対話を駆動するものとして「探求心」がある(続く)
午前0:39 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
・科学的はなく、哲学的な探求心である
・さらに科学と哲学対話では、問い方も異なりそうだ

となるかと思います。
最初のころにオークさんは「ルール以外にも重要なもの」がありオンラインではそこが損なわれる、と指摘されましたが、オンラインでも以上のような哲学的な対話は可能でしょうか?
午前1:43 · 2020年5月17日

Letranger
空想に過ぎませんが、

実際に触れあえる距離にいる相手との会話では、“無意識レベルでの身体間でのやり取り”があり、それがあってはじめて、“真の意味で相手の人格を尊重しての問いかけ”に達しうるのかも、と。

オンラインではそれがないので、問いへの共感期待度が低く、科学的な問い方の姿勢に陥る
午前5:56 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
成程成程。相手の人格の尊重には、同じ時間と空間を共有する身体が必要ということですね。最初のころの「リアルでしか受け取れない話し手の何か」とはそのような身体性といえそうです。
しかし、身体性は相手の人格の尊重のための不可欠な条件でしょうか? 他の手段で代替できないのでしょうか?
午前8:10 · 2020年5月17日

Letranger
逆に、名前や視覚情報をなくし、ボイスチェンジャーで声による個々人の判別もできなくすると、

会話を構成する個々人が消えて“自問自答する一つの集合体”のようにしか見えなくなるかもと。

Kimura FUMITO
そうなると、(個人による特定の一連の発言が分からないので)個々人の思いを汲みとれなくなるように思います。
午前8:52 · 2020年5月17日

個性がわからなければ、その人格を尊重することもできない、と。
逆に言えば、声がないよりもあったほうが、映像がないよりもあったほうが、という仕方でオンラインでも身体性を強めていけそうに思います。それによって、他者を尊重できるようになるとすれば、オンラインでも哲学対話は可能なのでは?
午前9:37 · 2020年5月17日

Letranger
感謝や謝罪を伝えないといけないと思うとき、可能なら,メールよりは電話,電話よりは実際に会う,を選択するのですが、それは,私に誠意があるか否かを相手に検分してもらう、という意味合いもあるように思われ、またそれは,身体から発せられるものは誤魔化しがききにくい、という思いがあるから、かも,と
午前10:23 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
その身体性は、たとえばVRなどで代替できないのかな、と思います。

身体があったとしても相手を尊重しない関わりはありえますし、身体性が希薄であっても尊重した関わりもありえそうです。とすると、尊重さえできるのであれば、リアルな身体は不要ともいえるのでは?(極端な意見ですが…)
午後0:05 · 2020年5月17日

Letranger
対話における尊重から逸れてるかもですが,

コンサートやスタジアムにおいて(観客どうしで肩を組んだり,リズムをとって共にジャンプしたり,といったことをしなくとも)肌で感じる臨場感,は,「まさにその同じ空間」を共有する身体がなければ味わえないのでは,と思いつつ,しかしそれも“完璧なVR”なら可能?
午後0:41 · 2020年5月17日

波乗りオーク
相手を尊重するのって存外難しいのでは?

最初の頃の意見と異なってしまうのですが、尊重しようと意識してるのに尊重できないみたいなことがある気がします(尊重しようと努力しているが話が入ってこず相槌だけになってるみたいな。。。)

尊重に持っていくにはリアルな身体が必要な気が。。。
午後0:49 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
身体があったほうが尊重が成立しやすいとは思います。しかし、過去の奴隷制や現在のいじめまで、身体があっても尊重が成立しないことはあるでしょう。対して、このTwitter対話は身体性が限界まで低減されていますが、お互いに尊重しあって対話ができている気がします。
午後1:22 · 2020年5月17日

てるともき
尊重と身体性の関係…難しいですね。
私としては、現実での出会いってまずは相手を尊重する気がします。ほぼ無条件で。一方オンラインで人と出会う時、相手を詮索する心がまず生まれがちです。
そう思うと現実で尊重を表す行動も、実は尊重出来るか試しているのかも。信頼して自分を表現出来るかを。
午後2:29 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
少し話がずれる(戻る?)かもしれませんが、今回の文字のみの対話では、相手の身体性が希薄となるからこそ、ルールが大切な気がします。ルールを守ることで、相手を尊重していることを示すというか、相手を尊重しているからこそ、ルールを守るというか。日常でも同じなのかもしれないと思いました。
午後4:10 · 2020年5月17日

Letranger
忌憚なく問いを深めあうには,各自が相手に対し,まさにあなたという人格でなくてはならない,という「尊重」が必要な一方,「踏み込み」も必要で,両者のバランスには,同一空間を共有する際に生まれる身体感覚の“間合い”が有効かもと

“間合い”がとりにくいオンラインならではの接し方のルールが必要かもと
午後5:00 · 2020年5月17日

Letranger
前の発言で
「尊重」と「踏み込み」のバランスには身体感覚の“間合い”が有効
としましたが

「尊重」には,「間合い」と「踏み込み」のバランスが必要で,そのためには身体感覚の助けが有効
と言い直したく

それに準じれば
波乗りオークさんの「相槌だけ」の例は“「間合い」の取りすぎ”と言えるようにも
午後6:24 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
成程。「尊重」のバランスを調整するのが身体性であり、ルールであるといえるでしょうか。
今回のルール(一時間一回)は、その間に相手の発言を何度も読み返したり、それについて考えたり、自分の発言を推敲することを不可避とするので、結果として他者を尊重することを促していると思いました。
午後7:00 · 2020年5月17日

Letranger
読み返したり推敲したりをtwitterでは寝転んでやっても良いかと思いますが,リアルの会話で(たとえ良く聞いてくれても)私が居ずまいをただしているのに相手が寝転んでいたら尊重されたと思い難く

つまり何を尊重とするかが違っていて,1時間1回なら,「書きもの」に暗に求められる尊重の形を為し易いかと
午後8:50 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
そろそろ終わりが見えてきましたね(本日23時終了)。あと発言はそれぞれ1、2回でしょうか?

結局、オンラインでの哲学対話は、可能だと思いますか?
午後9:17 · 2020年5月17日

Letranger
波乗りオークさんの「意識してるのに尊重できない」の例や,バランスの話から,尊重とは,“内面”の問題でなく“外面的な”技量の比重が大きいかもと

なので1時間1回などの外面的ルール(ハウツー)で尊重を引き出しえて,実際にこの場でも互いを尊重した対話になっているように思いますので,

可能と思います
午後10:02 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
私も可能であると考えていますが、従来の対話と比べると、失われるものもあると思います。しかし、そのことで、対話が純粋で自由なものとなるともいえるのでは、と。たとえば、相手の年齢や性別、容姿などは、見えると気にしないようにしても気にしてしまいますが、それらから解放されるのでは?
午後10:37 · 2020年5月17日

てるともき
オンラインにおけるルール、特に対面しない中での「尊重」に関するルールを参加者内でシェア出来ていれば可能だと感じました。
今回で言えば私は2回しか発言していませんが、ルールによって許された参加方法であり、コメントし続けない=対話を尊重していない という気持ちにならずに参加出来ました。
午後10:56 · 2020年5月17日

てるともき
また、1時間に1発言というルールによって、現実生活を送りながら議論についていく事ができたと思います。発言を見た合図としていいねボタンをより活用すれば良かったという反省もありますが。
最後に、現実よりも言語が文語表現になりやすい事が、対話内容や参加者に影響があるのでは?と感じました。

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Kimura FUMITO
時間になりましたので、今回の「Twitterでゆったり哲学対話」はここで終了としたいと思います。皆さんありがとうございました。

ここからは一時間一回という制限に捕らわれなくてもいいかなと思いますので、感想などありましたら、どうぞ。

てるともき
すみません、最後の発言で感想も無理やり入れてしまいました口を開けて冷や汗をかいた笑顔
あまり力を入れて参加出来ませんでしたが、それでも私にとって有意義な時間となりました。ありがとうございました。
午後11:19 · 2020年5月17日

Kimura FUMITO
こちらこそありがとうございました。現実の生活を送りながらの哲学対話を可能にする(各々のスタンスで参加するという自由を実現する)ことも、今回の企画の趣旨でしたので嬉しいです。

哲学カフェ特有の非日常性や没入感はなくなりますが、これもひとつのあり方なのではないかな、と再確認できました。

Letranger
ありがとうございました。

言いたいことを1ツイートに詰め込みがちだったかもと反省してます。

端的な表現や考えになるよう、文字数制限(1ツイート制限)があるのも、良かったように思います。

とはいえ、2~3ツイート分くらい続けて書きたいと思うこともありました。
午前6:41 · 2020年5月18日

Letranger
それと、現実生活を過ごしながら、というのもあるかもしれませんが、1時間は意外と短いとも感じました。

それで例えば、対話期間を1~2週間、1日3ツイートに制限し、この3ツイートはバラバラに使ってもいいし、1度に長めに書きたい場合はつなげて使ってもいい、というのも良いかもと思ったりしています
午前6:53 · 2020年5月18日

Kimura FUMITO
こちらこそありがとうございました。たくさんご発言頂いたLetrangerさんがいなかったら、寂しい企画となったのではと思います。1ツイートの制限に関しては全くその通りで、自分の文章を精査するよい機会であるとともに、なかなか言いたいことを詰めきれない、十分な表現ができないと感じました。
午前10:38 · 2020年5月18日

Kimura FUMITO
ご提案いただいたようなルールでの対話も、いつか実現したいですね。ありがとうございました。
午前10:39 · 2020年5月18日

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