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(3)変革の時代

※冒頭の写真は2008年1月宮崎市内の産地の様子です。
(昨日からの続き)

1970年代頃からは南九州(宮崎県・鹿児島県)が
本干し沢庵の生産地として台頭し始めた。


一方、漬物業界では、1980年代後半からは、青果で取り扱う「青首大根」の
漬物加工が始まった。

青首大根を生のまま数日塩漬けにして、
その後、濃い砂糖水のような調味液で約1週間ほど漬け込む新しい製法です。

調味液の浸透圧によって大根にしわがよる「糖絞り大根」と呼ばれた。


そのまま出荷するメーカーもあったが、
愛知県のキムラ漬物では、たくあんメーカーとして、
米ぬかで再度漬けて、ぬか漬けにして出荷していた。


青首大根本来の甘みと調味液の甘さ、そしてぬかの風味が
あり、大人気となった。



1991年に私は愛知県のキムラ漬物へ入社。

この頃になると、生だいこんのセリ市はすでになく、
農家さんたちが自宅でぬか漬けした原料のセリ市のみで
その量はごくわずかとなっていた。


もう干し大根といえば、南九州という産地形成
となっていた。


まもなく中国産の割り干し大根の輸入も始まり、
その醤油漬けが大人気となった。


愛知のキムラ漬物は、山形県産の塩押し大根の加工を
メインとして、糖絞り大根、割り干し大根の漬物加工、
そして、地元で取れるキャベツをキムチに加工などにも
取り組んだ。


この期間に、先輩上司に、白菜キムチの漬け方や
ナスのわさび漬け、摘果メロンの塩漬けなど
今思えば、いろいろな作物での漬物づくりを
教えてもらったことは、
今の活動にとても役に立っていて、
とても感謝しています。


そして、1997年、私は宮崎県新富町へ家族で移住、
キムラ漬物宮崎工業株式会社へ入社。


さてさて、そこからこれまでの25年余りは
明日へ。


(続く)

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