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【本】保田與重郎・小堀邦夫という先人からの遺産

●(保田與重郎について)●

明治以降の優れた文芸評論家を三人選ぶとしたら、僕は小林秀雄・江藤淳・保田與重郎の三名の名を挙げる。

保田與重郎は、文芸雑誌「日本浪曼派」を創刊し、伝統主義と近代文明批判を展開した。

小林秀雄・江藤淳に比較すると、書店や図書館の棚に並ぶ点数は少ないが、吉本隆明も若い頃は、保田與重郎を愛読したという。

小堀邦夫は、その保田與重郎に18歳の時分から弟子入りし、指導を仰いだ。

小堀邦夫著『第六十三回神宮式年遷宮、奉賛の道理と課題』(和器出版)


この本に掲載されている保田與重郎の「遷宮お木曳き」を読むと、保田與重郎・小堀邦夫の思想が鮮明になる。

以下、「遷宮お木曳き」の引用。

「・多くの国々では、古代より農業を直接にすることはいやしい業とみているところが多い

そ ういう国では、とくに階級制がはなはだしく、奴隷や農奴の制がきびしい

しかし、わが国で は農をいやしい業と思うものはない

わが国の始めの時の神話によると、天皇は天上の神々か ら、米の種子をさずかられ、これをあしはらの中つ国にうえよ、そうすれば、国のくらしは天 上と同じ風儀のものとなるとの約束を得られた

このゆえに、天皇の神聖な仕事の第一のもの は、ご自身で米をつくることである

・「百人一首」の巻初に出る天智天皇の御製にも御自ら農業を行われているさまをうたわれているのである。

・このことが、わが国の本姿であって、日本の神話では、建国の大本は、天皇が御自ら農業を されるものと定めている

農業の実際を農奴や奴隷にさせたような国ではない

そういう実務 を農奴のようなものに行なわせ、上流者はただ祭祀をつかさどるというような国柄ではないの である

・この神話をそのまま実現されたのが神武天皇の建国なのである。

・わが国では、祭祀はすなわち農業、米作りがすなわち祭りだったということから、祭政一致 といわれるのである。

・この米作りがすなわち祭りであるということは、天皇の即位の大典を見 ても神宮の祭祀根本なす四つの大祭を見ても、ただちにわかることである。

神宮の祭祀や国中の神社の民間祭祀をよく了解しなければ、日本の歴史は正しく理解できないのである

神宮祭祀はどんな神領よりも正しく、永久不変に伝承されたものである。」

●(小堀邦夫について)●

著者は、27歳の頃より伊勢神宮に奉職、68歳には靖国神社の宮司を務められた。

『第六十三回神宮式年遷宮、奉賛の道理と課題』(和器出版)では、戦後長く神宮に奉職し式年遷宮の歴史と実際に通暁した著者が、十年後に迎える六十三回目の式年遷宮を前に、戦後「宗教法人」の枠組みの中で行なった過去二回の式年遷宮の経緯を振り返り、「千三百年の伝統」を「現代の日本において継承していくことの難しさ」をあえて率直に指摘している。

そして、伝統の継承という希望につながる道筋が拓かれることを願い、〝現実の壁〞とそれを「乗り越えていくための道理」を綴っている。

類書に例を見ない異色の式年遷宮本と言っていいだろう。

著者は、令和5年9月にお亡くなりになられた(享年72歳)。『はじまりの神道神学、希望への道標』(和器出版)が遺作となった。

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