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【病】★【何か】が最高の治療家なのではないか?

2000年わけのわからない病気になった。度重なる手術が引き金となり、突然、亜空間にワープしてしまったのだ。24時間拷問にあっているような感覚、世界が反転してしまったような感覚、そこから脱出できず、病院に通う以外は、ただ寝たきりの生活だった。

多くのドクターショッピングをしてしまった。誰も自分の病気を理解し得なかった。診断名もつかなかった。回復のための手がかりも得られなかった。

極限の苦しみの中、ありがたかったのは、私にNLP(神経言語プログラミング)を教えてくれた松戸市生まれのMさんが、無料でカウンセリングをしてくれたこと。Mさんの紹介してくれた、チャネリングのNさんのセッションで、「こんな徒労感は初めてです。開業以来初めて味わう無力感です。」とアドバイサーらしからぬ正直な感想を寄せてくれたこと。新松戸でホメオストレッチをしているストレスケアセンターの優しい女性の先生が、私の窮状を見て、治療の最中に泣いてくれたこと。

私は患者の立場から悟った。

重い病気に直面すると、医者・治療家に病気を治して下さいとすがる気持ちになってしまうが、【医者・治療家が治せる病気と治せない病気がある】

医者・治療家が治せない病気にかかった者に必要なのは、苦しみへの【真の共感】である

医者・治療家でも治せない、自分でも治せない、それでも治してくれる【何か】がある

私は、【何か】に触れて、今でも生きている。今回は、その【何か】について語ろうと思う。

通っていた催眠療法のI先生が、京都で重症の患者を集めて合宿を行うこととなった。

私は、そこで回復のきっかけが得られなかったら、死ぬつもりで合宿に参加した。2002年の春のことだった。

全国から20人くらいが集まった。メンタルな疾患を抱えた人ばかりだった。I先生が、世の中で一番自分が苦しいと思う人は手を上げて、と質問したら、全員が手を上げた。

数泊の合宿で、精一杯言われることに取り組んだ。しかし、回復のきっかけは得られなかった。

合宿が終わり、私はI先生に、「この合宿で何も得られなけれなれば死ぬつもりでした。苦しみになんの変化もありません。死ぬしかありません。」と言った。先生は、「この世で、たった一人、君にしかできないことがあるとしたら何だろう?それがわかれば君は治る!」と教えてくれた。

私は、この公案のような言葉だけを手がかりにして、京都駅の近くにある一泊2500円の安サウナに一週間とどまった。

ここで、父親と同じ年頃の老人に出会った。その人は、現在の医療では治らない、しかし、10年後には治る技術が開発されるかもしれない、だから、サウナに通いながらその日を待つのだという。世の中には、こんな闘病生活をしている人がいるのだ、と思った。

私は、サウナに入ったり、風呂に浸かりながら、発狂しそうな頭脳で、「この世で、たった一人、自分にしかできないこと」を考え抜いた。

サウナに滞在して数日、
温冷浴を繰り返していると、
「まつり」
そんな答えが浮かんだ。

全身に戦慄が走った。風呂場から出て、階段を登り、外に出ると空に稲妻が見えた。

「まつり」をしよう!

そう思い始めると、全く回復の見れなかった症状が劇的になくなっていった。

病気は少しづつ軽くなり、社会復帰できるようになった。

医者・治療家でも治せない、
自分の努力でも治せない、
それでも治ってしまった、
というか、【何か】が治してくれた。

私はそれ以降、【何か】が最高の治療家なのではないか?と思いはじめた。

【何か】とは、今の理解している範囲内では、「自分と神との合意のシナリオのようなもの」と表現できる。

私は、【何か】自分と神との合意のシナリオのようなもの)に従って生きてゆこう、という流れに乗って生きるようになり、「まつり」を実体験すべく、行動を開始した。

(つづく)

★NLP(神経言語プログラミング)を教えてくれた松戸市生まれのMさんが経営していた「ワンセルフインターナショナル」(ビジネスコーチング・ビジネスカウンセリング研究所)★

★通っていた催眠療法のI先生★


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