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【まったり骨董日記_vol.28】城崎にて。志賀直哉ゆかりの旅館へ

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骨董好きの我が夫、気は穏やかだけれど少々偏屈。
独自のルールとスタイルで営まれるその暮らしは、ときどきちょっとヘンテコです。お役に立つ情報はありませんが、くすっと笑ってもらえるような話をひとつ。
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あっという間に今年も12月。そろそろ温泉が恋しい季節ですね。
我が家にとって温泉の定番といえば登山後の立ち寄り湯くらいですが、私が常々「いつかは行ってみたい!」と思っていた温泉地のひとつが、城崎温泉。
今年10月、緊急事態宣言明け直後に訪れることができたのは、本当にラッキーでした。

兵庫県豊岡市にある城崎温泉は、2020年に開湯1300年を迎えた関西有数の名湯。ここでは何といっても7つの外湯めぐりがいちばんのお楽しみでしょう。地元の人々から旅館の宿泊客、立ち寄りの観光客まで、誰もが街をそぞろ歩いて共同浴場を訪れ、それぞれに個性豊かな湯処の趣に癒されるのです。

ノスタルジックな風情あふれる街並みもまた、城崎温泉の大きな魅力。柳並木に彩られた大谿川(おおたにがわ)に沿って、昭和初期の木造三階建建築が軒を連ねているのですが、日本国内でも木造三階建建築がこれだけ集積しているのはとてもめずらしいのだそう。

古いモノ好きにとっては、この景観を眺めるだけでも訪れる価値ありですが、さらにここ城崎温泉は、白樺派の中心的存在であり、骨董好きとしても知られる作家・志賀直哉お気に入りの温泉地。

白樺派というと、てっきり明治後期・大正前期を飾った文学史上における一流派と思っていましたが、日本の文学史だけでなく美術史にも大きな影響を及ぼした思潮だったそうです。

ルノワールやセザンヌ、ロダンなどを日本ではじめて本格的に紹介したのは白樺派だそうですし、また、美術評論家の柳宗悦に加え、岸田劉生、梅原龍三郎、バーナード・リーチのような芸術家たちも白樺派の活動に参加しており、白樺派によって培われた芸術観は、現代日本に生きる私たちの美術的嗜好にもダイレクトに結びついているようです。

というわけで、骨董・古美術好きとして城崎温泉に来たら見逃せないのが、志賀直哉が長年、定宿としていた老舗旅館「三木屋」さん。志賀直哉が実際に小説『城の崎にて』を執筆したのも、この旅館の客室だったそう。

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執筆当初の建物は、残念ながら大正14年(1925年)の北但大震災で焼失してしまいましたが、その後も志賀直哉は「三木屋」さんを定宿としており、ゆかりの客室が今も残っています。

聞けば、『暗夜行路』のなかで主人公が宿泊するのは、現存する客室なのだとのこと。美しい庭園を望むこの客室は、志賀直哉が滞在していた当時のしつらえをいまだ残しており、通常は「三木屋」さんに宿泊すると見学することができます。(このときは、写真撮影ツアーの特別拝観!)

窓際に置かれた椅子に座り、よく庭を眺めていたという志賀直哉。
文机の前には古い李朝の花瓶が置かれており、その古美術趣味を今なお匂わせているかのよう。このゆかりの客室に宿泊することもできるそうなので、いつか泊まってみたい!とも思う私です。

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さて、志賀直哉といえば有名なのが「骨董品を買いに行くと言って出かけて、犬を買って帰ってきた」という逸話です。骨董・古美術を愛してやまない一方、わんちゃんにも目がなかったようで、奥様には「これ以上犬が増えたら困りますので、もう骨董品は買いに行かないでください」と言われたのだとか。

そういえば、我が夫は「歯医者に行くと言って出かけて、室町時代の曼荼羅の残欠(小さい切れ端)を買って帰ってきた」ことがありました。私も「これ以上骨董が増えたら困りますので、もう歯医者には行かないでください」と言いたいところですが、健康上のことなのでそうもいきません。
たとえ言ったところで、ネットオークションに注ぎ込まれるだけですし。

夫の趣味が高じれば、妻は迷惑をこうむるというのがこの世の常。
時代は変われど、変わらないものってありますよね。。。

<今週のおまけ>
志賀直哉の小説『暗夜行路』や『小僧の神様・城の崎にて』などは、新潮文庫になっていますが、このカバー装画に使われているのは熊谷守一(くまがいもりかず)の作品です。

熊谷守一といえば、今なお絶大な人気を誇る明治〜昭和の画家。没後40年を迎えた2017年には各地の美術館で回顧展が開催されるとともに、その半生を描いた映画『モリのいる場所』が山﨑努さん・樹木希林さん主演で公開されたほど。

“小説の神様”と呼ばれた志賀直哉と、“画壇の仙人”と呼ばれた熊谷守一とのコラボレーションが、こんなにお手軽に楽しめるとは!なんとも贅沢なことですね。

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