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【まったり骨董日記_vol.26】秋の「茶碗がえ」

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骨董好きの我が夫、気は穏やかだけれど少々偏屈。
独自のルールとスタイルで営まれるその暮らしは、ときどきちょっとヘンテコです。お役に立つ情報はありませんが、くすっと笑ってもらえるような話をひとつ。
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我が夫のモーニングルーティンといえば、朝食後に抹茶を点てること。
これは夫が10年来続けている習慣で、もともとは朝コーヒー派だった私も、今ではすっかり「朝抹茶」に慣れてしまいました。

「我が家では毎朝、抹茶を点てるのが習慣です」などと夫が言うと、表向きの物腰のやわらかさとも合間って、特にご年配の方々にはすこぶるウケがよろしいのですが、
実のところ、我が夫が抹茶を好んで飲む理由は、イメージするような風流風雅とはまったく無縁。

我が夫にとっての、抹茶の魅力とは
①茶葉が残らず、急須もいらず、片付ける手間がかからない
②茶葉を捨てないので、もったいなくない
③茶葉の栄養素をあまさず摂れるので、これまたもったいなくない

近頃は、SDGsの実現に向けてサスティナブルな消費活動への関心も高まっており、本人は「やっと時代が自分に追いついてきた!」などと満足げですが、要するに「ムダなしテマなし」ですむ抹茶が、夫の貧乏性とぴったりハマッているというだけのことです。

さて、寒さも深まってきた今日この頃。
我が家では、夏に使っている平茶碗をしまって秋冬にふさわしい茶碗へと、衣がえならぬ茶碗がえを行っています。
いや、本来であれば8月はじめには「立秋」が訪れますから、もっと早くに替えないといけないのでしょうが、なにせ世界的に温暖化が進んでいますからね、最近。
あくまでも体感する季節に準じての、茶碗がえです。

秋冬に夫が好んで使っているのは、なじみの古美術店さんから入手した会寧(カイネイ)の茶碗。
会寧とは、現在の北朝鮮にある都市の名前です。
13世紀頃から中国陶磁の影響を受けた焼き物がつくられていた窯業地で、一説には古唐津のルーツでもあるのだとか。

古唐津といえば、酒器マニア垂涎の斑唐津(マダラカラツ)の盃が有名です。我が家の会寧茶碗にも、還元焼成(カンゲンショウセイ)による青みがかった藁灰釉(ワラバイユウ)の変化があり、そう言われてみれば、なんとな〜く斑唐津に似た風合いが感じられます。

また、我が家のものは、おそらく李朝初期〜中期(15世紀頃)、会寧茶碗のなかでも比較的古い時代のものとなるそうで、その姿には堂々とした古格も。荒々しく野太い高台、ざっくりキリリとした力強いろくろ目、器の内側には岩山を想わせる火ぶくれと、シャープな火間(ヒマ/釉薬がかからず素地が見えている部分)が印象的な景色をつくっています。

一方、もともと日用雑器としてつくられたものだからか、ぽってりと厚みのあるものの決して大振りすぎず、手の小さい私にもしっくりと馴染んでくれる親しみやすさもうれしいところ。
今や、日本からすれば“世界でいちばん遠い国”になってしまった北朝鮮から、その昔、こんなにもほっこり心温まるような器が数多く届いていたとは。この一碗にも、長く深い歴史の重みを感じてしまいます。

ところで茶碗は替えたものの、抹茶を点てるときに使う茶筅(チャセン)は長らく古いものを使い続けている我が夫。
竹を細く裂いてつくられている「穂先」と呼ばれる部分が、すっかり折れまくってボロボロになっており、私がこれでお茶を点てようとしても思うようにはいきません。

けれども「弘法筆を選ばずで、腕があればこの茶筅でもちゃんと上手に点てられるから!」と、我が夫はどこ吹く風。
まあたしかに、夫が点てるときれいにふんわりと抹茶も泡だつんですが、この間、そのお茶を飲んでいたら、茶のなかに紛れ込んでいた穂先の破片が私の舌に刺さりました。
そろそろ、茶筅も替えどき!でしょう。

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