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笑う技術で、子育てがもっと楽しくなる説〜とにかく笑えれば〜 #子育て #イノベーション

2歳児によってタイ土産にもらった高級ハンドクリームが、見事にキャップの上に盛り付けられてました。…ウケる。

でも、こういう犯行が続くと、うんざりして疲れる人もいるかもしれません。僕もそうでした。

タイトルでネタバレ感がありますが、今回は笑いと子育てについて書きます。

子供に振り回される状況を笑う技術

ものすごく唐突で恐縮ですが、最近お笑いの本を10冊ほど読むことがありました。

そのとき、「お笑いの定説」と子育てと相性の良さに気が付き、勢い余ってなが〜い記事を作ってしまいました…。

でも、

子供の予想外の行動に付き合っていると、疲れます。でも、お笑いの思考法を使うと、子供の行動は「オチ」の宝庫なのです。

「笑う技術」を使うことで、今まで疲れの種だったことが、楽しさの種に一転します。

…既に読者を置いてけぼりにしている感がありますが、続けます。

笑う技術は、強力な子育てソリューションです。

なぜなら、事実(子供の行動)は変わらないのに、解釈によって評価がネガティブからポジティブに逆転できるからです。

ネガティブがポジティブに変わると、大きいインパクトになります。

今回は、「疲れたなぁ」と思いがちな状況を逆転させるために取り入れた「笑うコツ」を紹介していきます。

目次
・子育ては予想外の事件の連続
・お笑いの大原則「緊張と緩和の法則」
・冷静に考えると危害はほぼ無い
・被害がなければ、安心してツッコもう
・ツッコミは常識がある親とも相性が良い
・ツッコむための「なのに方程式」
・ツッコむつもりで、メタ認知
・一度笑ったら勝ち
・笑いは学びにも?
・まとめ
・参考文献

子育ては予想外の事件の連続

小さな子供と過ごすと、不測の事態の連続です。

期待を裏切る数々の行動は、日々の疲れが抜けきっていない親の心身を容赦なく消耗させます。

大人だと躓くはずがない平坦な大通りでも、子供は顔面から盛大に突っ伏し、事件化することは珍しくありません。

そんな毎日の「事件」の被害者になると、イラつき、疲れてしまいます。

しかし、この「事件」を「ボケ」だと思えば、ツッコむだけでお笑いが成立するのです。

いきなりの展開に戸惑うかもしれませんが、話を続けます。

お笑いの大原則「緊張と緩和の法則」

お笑いの大原則として多くの本に書かれているのが、「緊張と緩和の法則」です。

枝雀師匠が唯一の笑いの原則としたもの、それこそが「緊張の緩和」の理論です。それを、枝雀師匠は「緊緩(キンカン)の法則」と名付けました。この理論は、いたってシンプル。人は緊張が緩和された時に笑うのです。
「初対面でも話がはずむ おもしろい伝え方の公式」石田章洋 

お葬式でのオナラ、プレゼンで噛む、PKキッカーのお尻が破れてる、など、みんなが注目して緊張が生まれる場面で予想外の緩和が生まれると、つい笑ってしまいます

仕事のあと、居酒屋などで上司の悪口で笑って盛り上がるのも「緊張の緩和」です。また、下ネタがおもしろいのも、"性"といったある種のタブーを破ることで緊張が緩和され、笑いが生まれているのです。
もっと身近でわかりやすい例を挙げれば、漫才も同じ理屈で説明できます。漫才の演者は、基本的に「ボケ」と「ツッコミ」に役割分担がされていますが「ボケ」は"非日常"です。日常ではありえないことが起きれば、聞き手の頭の中には「?」が浮かびます。それをツッコミが訂正したりして"日常"に戻すことで、緊張が緩和されて笑いが起きているのです。
「初対面でも話がはずむ おもしろい伝え方の公式」石田章洋 

子供の行動は、親にとって「ありえないこと」だらけです。

何もないのに、コケます。

やめろというのに、やります。

タイのお土産にもらったハンドクリームを、盛大にキャップに盛り付けます。

まさに子供は緊張の発生源です

ここで大人が「緊張」のまま受け取ると疲れてしまいますが、ここで「緩和」に移行できれば笑けてしまいます。

「普通に考えると○○だろ」とツッコむだけで結構笑えます。心の中でツッコむだけでOKです。

直近で子供を叱った時、イラついた時のことを思い返してください。

その時の状況を改めて描写してみると、それだけで結構笑えるシチュエーションではありませんか?

見事に期待を外してくる子供と、それに巻き込まれてアタフタする大人は、既にコント状態です。

こじつけ感がありますか?気にせず、まだまだ続けます。

冷静に考えると危害はほぼ無い

笑えないのは、子供の行動で被害を受けている意識があるからかもしれません。

そもそも「緊張と緩和の法則」は「予想と実際のズレが大きいと笑う」という「不一致説」に分類されます。

不一致説は、適用範囲が広く、世界でもメジャーなお笑いの考え方なのですが、「『不一致説』を満たしているのに笑えないものを説明できないじゃないか!」と意義を唱えた人もいます。

新しいお笑い統一理論を作るために、世界の笑いを調査し回った(ちょっとブッ飛んでる)ピーター・マグロウさんです。

ピーターさんは、「不一致」だけでは不十分で、「無害」と思えることが必要な条件だ、という「無害な逸脱」理論を提唱しています。

ピートとカレブは、ヴィーチの理論に改善を加え、新たな「笑いの原理」に辿り着いた。それが「無害な逸脱」理論だった。ものごとが「正しくない、不安な、または危険な状態」(逸脱)でありながら、同時に「問題ない、受け入れられる、安全」(無害)と思われる場合にのみ笑いは発生する、という理論だ。
「世界“笑いのツボ”探し」ピーター・マグロウ (著), ジョエル・ワーナー (著), 柴田 さとみ (翻訳)

この理論には、説得力があります。

例えば、見事に聞き手の期待を外す秀逸な下ネタトークでも、下ネタの対象が自分だと思うと面白くなくなります

予想外の行動でも、「フォークでスマホをぶっ壊された」とか、「噛まれて鎖骨を骨折した」みたいな出来事だと、被害が大きすぎて笑えません。

また、子供自身も、「自分の存在が笑われてる」と思うと、笑いに攻撃性を感じて楽しく思わないでしょう。

でも、おそらく子供の事件のほとんどの行動は、些細な被害しかもたらさず、笑い話になりえます。

子供自身の洋服を汚しても、「そもそもきれいな洋服なんて残ってましたっけ」と気づけば「些細ないつものこと」だし、

思った時間に出社できなくても、その数十分で何かが崩壊するような仕事の仕方は既にしてないはずです。

冷静に考えると、個々の事件の被害は小さいです。昔の事件による大きな被害の印象が強く残っているだけかもしれません。

過去に大事件が起こると、それを一般化してしまい、何か起こるするたびに反射的に叱ったりイライラしてしまいがちです。

しかし、何かが起きても、毎回「あれ?この行動ってどれくらい被害あるっけ?」と考えてみると、あんまり被害は見当たりません

振り返って状況を笑い、ちょちょっと対処すれば、だいたいのことは笑い話に変わります。

大きい被害があったときは、、、盛大に疲れましょう(ご愁傷様です)。

それでも、ほとんどのことは一週間も経てば笑い話になります。

ここまで読んだら、なんか笑える気がしませんか?…安心してください。まだまだ続きますよ。

被害がなければ、安心してツッコもう

「緊張と緩和」と「自分に被害がない」事に気づけば、あとは事件をフォローすれば笑えます。

ある漫才の入門本に、「緊張と緩和」を別の言葉で言い換えた話があります。

別の言葉で言うと、「フリ・オチ・フォロー」です。例えば、紳士が歩いていて、バナナの皮が落ちていました。紳士なので、カッコつけて歩いてます。で、バナナの皮ですべってしまいました。
この場合、「紳士」というのが緊張であり、フリです。で、「バナナの皮ですべった」というのが緩和であり、オチです。
そして、フォローというのは、「バナナの皮ですべったことがバレないように平然と歩く」ということです。このフォローに、紳士の感情が表れているんですね。紳士は恥ずかしいから、バナナの皮ですべったことをなかったことにしたい。だから、周りを見ながら、バナナの皮ですべっていないよという感じで平然と歩くわけです。重要なのは、フォローで初めて笑い声になるということです。フリとオチだけでは、笑い声にならないんですね。
このフォローというのは、漫才で言えばツッコミです。紳士が歩いてバナナの皮で滑りました、というオチがボケで、それに対する「いやいや、こけてるやん。周りにバレないようにしてるけど、バレてるわ!」というツッコミがフォローです。そこが笑いになります。
「しゃべくり漫才入門 ボケとツッコミの基本、ぜんぶ教えます」元祖爆笑王 

子供が事件を起こしたとき、子供はこの紳士のような振る舞いをしていませんか?

子ども自身も「やっちまった」「悪いことかも?」と、ちょっとは思っています。

そのおかしい状況をツッコんでフォローすることで、面白さがこみ上げてきます。

ツッコミは常識がある親とも相性が良い

「ツッコミは難しい」と思うかもしれませんが、親とツッコミの相性は良いです。

むしろ、笑えるツッコミの要素として「常識人であること」をチャド先生が挙げているぐらいです。

じゃあなぜツッコミがいると声に出して笑いやすくなるか。
それは、冷静なツッコミがいることで、ボケのアホさが際立つというのが第一。
第二に、ツッコミは常識人であると同時に観客の代弁者であり、笑いやすくしてくれる存在だということ。観客が内心「なんでやねん」と思っているところに、鋭いツッコミが入ると、観客は安心して笑うことができます。つまり、ツッコミは笑う合図でもあるのです。
そして第三に、これが僕の中ではいちばん重要だと思っているのですが、どんなにボケが大風呂敷を広げても、ツッコミが現実に引き戻し、笑いに回収してくれることです。
「世にも奇妙なニッポンのお笑い」チャド・マレーン (著)

子供と比べると、大人は圧倒的に常識人です。

常識を振りかざして、遠慮なくツッコみましょう。

ツッコむための「なのに方程式」

それでも「ツッコミは難しそう」という人のために、簡単にツッコめる方法「なのに方程式」を紹介します。

別に誰か知らない人を笑わせる必要もなく、自分を笑わせるだけで良いなら、簡単にツッコみが作れるツールを使うのが一番です。

「なのに方程式」
《フリ(矛)》
+(なのに)
《オチ(盾)》
「なぜ、あなたの話はつまらないのか?」美濃部達宏 

「フリ」には自分の期待、「オチ」には子供の事件を入れるだけ。

それで笑い話が完成します。

フリオチには、
・フリ:聞き手に「この先、この話は当然こうなるんだろうな」という想定をさせる
・オチ:その想定を裏切るような意外な結末を用意する
というルールがあります。
「なぜ、あなたの話はつまらないのか?」美濃部達宏 

子供がいれば、フリやオチを探す必要はありません。

子供が事件を起こしたときには、既にフリもオチも揃っているので、方程式に事実を当てはめるだけで笑い話になります。

子供のフリオチ例
・玄関から忙しそうに靴を持ってきてプレゼントごっこでもしてくれるのかな?と思っていたのに、靴底を耳にぎゅっと当てて電話のマネをし始めた。
・納豆をスプーンで上手にこぼさずに食べられるようになったと感心していたのに、手づかみでバクバク食べ始めた。
・芝生に落ちて草まみれになった餃子を、そのまま拾ってモシャモシャ食べた。

ちょっと嫌な事件たちですが、冷静に思い返すと結構笑えます。

ツッコむつもりで、メタ認知

突然ですが、子供のハプニングの動画って、結構面白いと思うんですよ。

他人事だったら。

だから、他人事だと思って一連の流れを振り返ってみるだけでも、面白がれるかもしれません。

ユーモアの複雑多岐な形を貫いて、一つ共通することは、「いったん自らを状況の外へ置く」という姿勢である。「対象にのめりこまず距離を置く」という余裕がユーモアの源である
「初対面でも話がはずむ おもしろい伝え方の公式」石田章洋 

一度笑ったら勝ち

次に、下の動画も見てみてください。

人の笑いを見ていると、自分も面白くなってきます。

子供も同じです。

なにか事件が起きたときに、不穏な空気を出したり、泣きそうになっているときでも、目の前の大人が笑っていると、気まずい雰囲気の子供も「ふふっ」と笑ってしまいます。

とにかく笑う技術を身につければ、その笑い自体が子供の機嫌も良くしてくれます。

笑いは学びにも?

ここまで色々書いてきましたが、笑いを使えば、楽しく常識を学べる面もあります。

子供は日々いろいろな「当たり前」の壁にぶつかり、なぜか叱られ、つらい思いをしながら社会のことを学びます。

笑いというツールを使えば、「これは人と違うことをしているかも?」「ルールがあるのかな?」というのを、楽しみながら学べるようになります。

たとえば「なのに方程式」は、人や社会の期待と、自分の行為のズレを利用したもの。それが笑うこと=自分の行動の不自然さを示すことにならないでしょうか。

子供が笑いを通じて社会を学ぶ過程を書いている本もあります(ちょっと斜に構えた書き方ではありますが)。

幼い子供は社会のルールを知らず、いろいろとルールから外れたことをする。親はそれを見てふつうたしなめたり叱ったりするが、ルールから外れた行為に図式のズレを感じて吹き出してしまうこともある。その笑いに、子供は敏感に反応する。たいていは「なんだろう?」とけげんな顔をするか、侮辱されたと感じて腹を立てるかだ。後者の場合、親はただおかしくて笑っただけなのに、子供は「笑いもの」にされたと思うのだ。そして子供は、それ以降、「笑いもの」にされないために、おなじことはしないようになる。つまり意図せざる結果として、笑いは叱るのと同様な社会化の手段となるのである。
「もっと笑うためのユーモア学入門」森下 伸也

この引用部分に続いて、嘲笑(攻撃的な笑い)といじめの話も書いており、少し身が引き締まる思いがするのですが、子供を笑うのではなく、困る親や、困っている状況を笑えば、みんなで楽しく笑って学べる気がします。

子供を笑うのではなく、自分(自虐ネタ)か、状況が対象なら、誰も傷つきません。

親はすでに少し傷ついていますが。

まとめ

だいぶ長くなりましたが、笑う技術を使えば、事実(子供の行動)は変えずに、解釈をかえるだけで、楽しくなれます。

ここまで読めた人は、次の辛いことも笑えそうな気がしませんか?

ぜひ一度試してみてください。

こんなにお笑いのこと書いてるのに、この記事自体が全く面白くないことは、逆に事故だと思ってウケていただけますと幸いです!

参考文献

興味ある人のために、今回紹介した本の一言紹介をします。お笑い芸人、放送作家、研究者、それぞれ書き口が違って面白いです。

↑「緊張と緩和」の法則を軸にしつつ、「空気を読む」こと、その重要性を噛み砕いていてわかりやすい。シチュエーション別の事例もある。

↑脱線は多いが、「無害な逸脱」という理論は秀逸で、他のお笑い言説への批判も多く、読んでいるうちに色々な「お笑い論」の整理ができる。

↑「構成」を軸にし、お笑い要素の優先順位も明確にしており、まとまりが良い良書。「なのに方程式」なども使い勝手が良く、応用しやすさは1番?

↑漫才が題材なので普段遣いには難しそうだが、実際の話し言葉に落としたときの面白さをイメージしやすい。

↑オーストラリアより日本のお笑いを選んだチャド先生の体験記とお笑いの考察。お笑いの歴史もしれっと書いてて面白い読み物。

↑社会学の先生で、書き口は全体的に斜に構えていて、知識も求められて読みにくいが、アカデミックならではの議論の幅広さがある。僕は好き。

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