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砂漠の中で針を1本探すような

和裁を生業にするようになって数年。
実はまだ和裁だけでは食べていけていない。
本業だけで食べていけていないだなんて、悲しすぎて周囲の人にも詳しいことは伝えられていない。四十の手習いならぬ三十後半の大きな転職。

元々は外国資本の職場でで事務員として働いていた。
その国を始めとした一帯の文化に惚れこみ語学を始め、留学をし、縁あって勤務することに。ある意味とんとん拍子ともいえる人生。和裁に転職した時には少々レアな職であったため、多くの知人から『もったいない、なんで辞めちゃったの?』という質問をたくさん受けた。

特に仲良くない知人ほど言ってきた。
全く持って余計なお世話というものである。

確かに他の仕事では関わらないであろう珍妙な仕事が多々あり、そういう意味では飽きの来ない仕事でした。
〇〇の購入・本国への輸出方法を探すにしても、想像だにしない物だったりするところが本当に面白かった。
一つ例を挙げるとすると”「純金のトイレ」を探してほしい”という依頼があった。そんなのあるの?と探すとある。彼らの情報への感度は大変良好でいつも感心していた。純金のトイレの事の顛末はよく覚えていないが、たしかメリット・デメリットを洗い出した時点で希望にそぐわない点があり、確か買わなかった気がしている。

その他勤務時代にはプライベートの探し物のお手伝いもよくした。
タキシードの形のバスローブが欲しい、〇〇できる宿泊施設を探してほしい。結婚式の洋服をフルオーダーするのでサイズを測ってほしい。等々。
※真面目に事務作業もしておりました。

充実感も面白さもあった職。
そこからの(実際は1つ別の仕事を挟んで)の和裁は、ギャップが本当にありました。何が違うかられるすることもできないほど何もかも違う。
個人の自由度とトップダウンはもしかしたら同レベルかもしれないけれど、働く心構え以外はすべて違いました。

和裁所での日々は
・仕立て上げた商品に欠陥が無かっただろうか…
・縫い終わった後に寸法が違ったら…
・縫い終わって下げてみたら釣り合いが良くなかった…

等精神が削られることもあるものの、自分修行に大いに繋がっていると感じています。
どの仕事でも自分の行いには責任を持って臨んでいましたが、チームで動いたりする分責任を分かち合ったりしている状態。

でも和裁では独りで反物の汚れなどの確認、そして裁断を行う。
縫っている途中にも衿肩明という一度切ったら取り返しのつかないところにハサミを入れたりする。
『自分の仕事に責任を持ちなさい』職業訓練校時代の先生に言われた台詞です。実際に和裁の道に入ってから、その言葉がより分かるようになりました。

ハサミを入れてなくても、印を付け間違えてしまったら目立ってしまう生地もあるし、一回縫ってしまうとやり直し後に汚くなってしまう生地もある。
全ての自分の行動に責任が目に見える形で付きまとう。
そして自分の考えを捨て、先生の言っている通りにまずは何でもやってみる。

日々和裁の技術だけでなく、精神も鍛えられています。

見習い期間につきお給料も減って、文字通り日々修行の日々ですが、それでも楽しく満足して修行してます。
あの時に転職を決意して、和裁の職業訓練校に合格できそのまま和裁所に修行に入れて幸せ!
転職して、砂漠の中で針を見つけられたような気持ちです。

#自分で選んでよかったこと

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