砂漠の中で針を1本探すような
和裁を生業にするようになって数年。
実はまだ和裁だけでは食べていけていない。
本業だけで食べていけていないだなんて、悲しすぎて周囲の人にも詳しいことは伝えられていない。四十の手習いならぬ三十後半の大きな転職。
元々は外国資本の職場でで事務員として働いていた。
その国を始めとした一帯の文化に惚れこみ語学を始め、留学をし、縁あって勤務することに。ある意味とんとん拍子ともいえる人生。和裁に転職した時には少々レアな職であったため、多くの知人から『もったいない、なんで辞めちゃったの?