見出し画像

映画#62『ジョーカー』

『ジョーカー』(Joker)

監督:トッド・フィリップス
原作:DCコミックス『バットマン』
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ブレット・カレン、ビル・キャンプ、シェー・ウィガム、グレン・フレシュラー、リー・ギル、他
配給:ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ
公開:2019年10月4日
上映時間:122分
製作国:アメリカ合衆国

Wikipediaより引用

「生きて苦難を乗り越えたら、人は……イカれちまう」
『ジョーカー』、開演。


あらすじ

舞台は1981年のゴッサム・シティ。大都市でありながらも、財政の崩壊により街には失業者や犯罪者があふれ、貧富の差は大きくなるばかり。そんな荒廃した街に住む道化師、アーサー・フレックは、派遣ピエロとしてわずかな金を稼ぎながら、年老いた母親ペニーとつつましい生活を送っていた。彼は緊張すると発作的に笑い出してしまう病気のため定期的にカウンセリングを受け、大量の精神安定剤を手放せない自身の現状に苦しんでいる。
しかしアーサーには一流のコメディアンになるという夢があった。ネタを思いつけばノートに書き記し、尊敬する大物芸人マレー・フランクリンが司会を務めるトークショーが始まれば彼の横で脚光を浴びる自分の姿を夢想する。

Wikipediaより引用

アメコミヒーロー「バットマン」の宿敵・ジョーカーのオリジンを描いた今作。

先に言うと私はこの作品が大好きだ。「この監督が好きだから」というフィルターを除けば、今作が個人的に一番好きかもしれない。

従って、その理由を語り尽くそうものなら、それはそれはとんでもない文字数になることだろう。ということで細かい感想を知りたい方は下記の記事を是非ともご購読していただきたい(丸投げ)


劇場で2回、TVで2回ほど今作を鑑賞した私、今回の鑑賞で遂に5週目となる。流石に初見ほどのインパクトが私を襲うことは無くなったが、それでもシーン一つ一つに込められた意味などを考えると、未だに鳥肌が立つ。

私個人的に好きなシーンは、証券マンからリンチにあったアーサーが、銃で彼らを射殺した後に、トイレに逃げ込み踊り出すシーン。

一見すると意味不明なものの、殺人という罪を犯した後にとった行動が「ダンス」というのにどこか惹かれるし、カメラワークや音楽や照明など、その全てが魅力的に見えてならない。


過去にもテーマに取り上げ記事を書いたほどにこの映画を愛してやまないこの私だが、当然思う所もある。今回の鑑賞で真っ先に感じたのは「これ、ジョーカーってキャラクターを使う必要あったんすか?」という感想。

別に「ジョーカー」というキャラクターを主役に添えなくてもいいような気がするし、別のキャラクター……なんならオリジナルでも十分成立するような気がする。

「あのスーパーヴィラン・ジョーカーが主役の映画!?」と宣伝し、その結果世界中で大ヒットを記録したのもまた事実。だがこんなにも踏み込んだ内容の映画なのに、そういったことを考えると途端に何だか萎えてしまう。


こう言ってはなんだが、我々の中の「ジョーカー」というイメージを、ほぼ完璧に投影したとさえ言えるのが、あの『ダークナイト』のジョーカーなのだ。

バットマンの強靭な心をも惑わし、その圧倒的なカリスマ性でゴッサムを恐怖に陥れた……まさに「完全悪」たる象徴。それがジョーカーというヴィランが持つ、最大限の魅力だと私は思っている。

だが今作におけるジョーカーには、正直「悪のカリスマ」といった印象はあまり見受けられない。むしろ「可哀想」だとかそう言った感情が入れ込まれるせいで、いざ「ジョーカー」たる存在となっても「今までの仕打ちを考えたら仕方ない」と感じてしまうのだ。

ヒース・レジャー演じるジョーカーは「完全悪」
ホアキン・フェニックス演じるジョーカーは「悲しき悪役」
私はこんな感じで差別化している。でもやっぱり好みで言ったらヒースの方が好きかも


さて、これは非常にどうでもいいことなのだが、前回の『ダンケルク』を踏まえまして、初見の映画は家でじっくりと、2回目以降の映画は電車の中での暇つぶしに、といったスタイルに落ち着きました(いいのかこれで)

じゃないと話が入ってこないのでね……私の集中力のなさの問題のようにも感じるけれど。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?