見出し画像

映画#37『アバター』

『アバター』(”Avatar”)

監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーヴン・ラング、ミシェル・ロドリゲス、ジョヴァンニ・リビシ、他
製作会社:20世紀フォックス、ライトストーム・エンターテインメント
配給:20世紀フォックス
公開:2009年12月18日(米国、カナダ)12月23日(日本)
上映時間:162分

Wikipediaより引用

映画という枠組みを越えた「一つの世界」

続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の公開に先駆け、9月23日より二週間限定で公開されたIMAX映画『アバター:ジェームズ・キャメロン3Dリマスター』を鑑賞。

言わずと知れた、全世界興行収入ランキングで堂々の1位を誇る超大作。だが私はまだ未鑑賞だった。続編も公開されるとのことでいつ観ようかと難儀していた所、IMAXにて3Dリマスター版が公開されるという情報を耳にした。

「初見の映画は可能であれば劇場で、もっと欲を言うならIMAXで」という謎の信条を持つ私は、すぐさま鑑賞を決行した。3Dだと目の負担が大きいが、かの超大作をスクリーンで観れなくなると考えれば、天秤に掛けるまでもない。謎に前から持っていたIMAXの3Dメガネを持参し、いざ映画館へ。

ハッキリ言おう。あれはもはや異次元と呼べるほどの映像体験だった。

舞台は架空の惑星「パンドラ」…そう、地球ではない。まるで本当にそこにあるかのように見えていたあの星は、言うなれば全てフィクションだったのだ。

天を貫くが如き巨木、美麗な蛍光色に包まれし森、空に浮く島…。
フィクションだと頭では分かっていても、心のどこかでは「本当に実在しているんじゃないか」とさえ思ってしまう。

そしてパンドラには原住民の「ナヴィ」が住んでいる。人間よりも長身かつ細身、そして真っ青な肌に尻尾を持つ知的生命体。驚くべきことに、パンドラへ調査に向かった人類はナヴィと人間のDNAを組み合わせハーフを作ることに成功した。それこそがタイトルにもなっている「アバター」である。

主人公のジェイクは「アバター」に意識を移し、原住民のナヴィと交流を開始する。生身の身体では下半身不随の彼は、アバターとしての活動を続けていく内に本当の現実を「夢のようだ」と錯覚するようになる。

「現実を夢のようだと錯覚する」…これは『アバター』を鑑賞している我々にも当てはまる言葉だと私は解釈している。それほどまでに世界観に没入させられる、恐ろしい映画だ。

そしてこのナヴィという種族も、人間と同じように笑い、悲しみ、そして仲間を愛する。その様は何ら人間と変わらない。

しかし悲しきかな、人類はどこまでも愚かな種族だと痛感せざるを得ない。彼らはナヴィとの共存よりも、故郷の地球の復興の道を選んだのだ。挙句の果てには、希少な鉱脈を目当てに彼らの居住地である巨木「ホーム・ツリー」を薙ぎ倒し、多くの命を奪っている。

本編では地球は登場していないものの、劇中では地球は「瀕死の状態」と示唆されている。他の惑星に移住できるほどの技術力を持っていることから察するに、技術の発展に伴い環境が破壊されてしまったのだろう。

もし人類がパンドラに完全に適応できてしまったら、それこそ地球の二の舞になってしまうだろう。だからこそジェイクはナヴィとして生きることを選んだのだ。

一見SF映画のように見えるものの、その根底には生命の神秘に満ち溢れている。ナヴィの唱える「自然に神が宿っている」…いわゆる「汎神論」をはじめとして、その神秘性をキャメロンは圧倒的な映像美を以てして描き切ったのだ。


まとめ

久々に映画でウルっときたような。特にジェイクがイクランに乗って大空を駆け巡るシーンと、最終決戦でパンドラの生物たちが人間に攻撃し始めるシーン。本当に鳥肌が止まらなかった。

最初は正直「3Dだし目痛くなりそうだしやめとこうかなぁ」と思ってたけど、もう目の痛みとか疲れとかどうでもいいぐらいに感動した。二週間しか上映しないの、本当に勿体無い気がする。

感想ももっと早く書けばよかったなー。なんせ今日で上映終了だからね()

兎にも角にも、続編が非常に楽しみ。最後に特別映像的なのが流れたけど、CGもさらに綺麗になっていて…いやはや、期待度やばいっす。

それではまた、次の映画にて。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?