映画#47『インターステラー』
遠い宇宙、次元の彼方で果たされた、親子の絆
「Interstellar」とは、「星と星の間」を意味する言葉である。
私が最も敬愛するクリストファー・ノーラン監督の代表作の一つである今作。かなーり前に鑑賞したのでもう一度観てみた次第だ。
タイトル通り、滅亡一歩手前な地球と他の移住可能な惑星までの長い長い道のりを描いた、いわばスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』のような映画である(実際ノーラン監督も、今作を制作するにあたって『2001年宇宙の旅』は常に念頭に置いていたという)。
今作の特徴として、何よりも設定が緻密な点が挙げられるだろう。相対性理論、ニュートン力学、その他諸々の数多くの物理学が物語で取り入れられている。文系の私では理解が追いつかず狼狽えてしまったのは内緒で。
そしてもう一つ挙げられるのが「家族愛」だ。これはこの映画の根底にある最も重要なテーマだとも言える。
主人公クーパーは娘と息子を持っており、「必ず帰ってくる」と約束を交わし宇宙へと旅立った。しかし宇宙は果てしなく広く、時間の流れも当然地球とは違う。果てには重力の関係で、その惑星で過ごした1時間は地球での7年に相当する、なんていうこともありえてしまう。
地球を救うべく旅立ったものの、クーパーは英雄ではなく父親なのだ。誰よりも家族を愛する彼にとって、この宇宙の旅は苦難の旅でもあるのだ。
特に知らぬ間に地球で20年も経過していたと知った時の、クーパーの表情には胸を締め付けられる(子持ちの方はここのシーン刺さるだろうなぁ)。
しかしこの「家族愛」という要素が、やがて世界を救うほどの大きな要因になっていくのだ。クーパーの娘マーフが、幼い頃に経験した「幽霊」の悪戯。落ちた本から読み取ったモールス信号。砂塵によって描かれた座標。そして父から譲り受けた時計。
物語序盤、宇宙へ旅立つ前のクーパーが経験した出来事。その真意が、終盤になってようやく明かされる。ここの伏線回収の連続には正直度肝を抜かれた。一体どんな人生を送ったらこんな脚本が書けるんだ、ノーラン兄弟よ。
「愛は人間が開発したもの。愛は観測可能なんだ。」
家族との間に結ばれた愛と絆はどこまでも繋がっている。それがたとえ、違う次元にいたとしても。
まとめ
『メメント』の時も言ったけれど、ノーラン監督は本当に伏線回収の仕方がうますぎる。あまりにも芸術的すぎるんよ。
私なんか家族ものにめっぽう弱いんで。今作で何度ウルっと来たか。「この映画、脚本えぐいなって思った映画ってなんですか?」って質問きたら間違いなく今作を選ぶと思う。それぐらい衝撃的だった。既に一回観てるのに。
あとハンズ・ジマーの音楽もベストマッチですた。宇宙の神秘さというか恐ろしさというか雄大さというか。そういった類のものを完璧に演出できてたと思ふ。
それではまた、次の映画にて。
(明日はLOTR3のIMAX観に行ってきやす。楽しみ。)
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