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【解説】recycle

どうも~、kimmyです。
今回は「recycle」について解説していきまーす。

さてさて、recycleって聞くとなんか環境問題とかペットボトルとかプラスチックとかそういうのを思い浮かべがちだと思うんですけど、テーマは「愛」です。

なんというか、愛が循環しているような、そんなイメージ。

誰かから自分に対して好意を抱かれているけど自分は相手のこと好きじゃないとか、

自分はもう吹っ切れているのに別れた相手から愛情表現があるときとか、

これ以外にもいろんな場面があると思うんですけど

なんか、そういうのってすごく重たいというか胃がもたれるというかなんというか…

誤解を恐れず一言でサクッと言うなれば「迷惑」なんですよね。笑

迷惑と感じつつ、でもなんかおざなりにできないというか。

せっかく相手は自分に対して誠意をもって(?)言ってくれているのに、自分はその気持ちを無下にするのか、と。

迷惑と感じつつも、どうにかその気持ちを受け取った方が相手に失礼がないのではないかと考えてしまうんですよね。

で、そこで気づいてしまったんです。

気持ちってもらったからって必ず答えなきゃ(返さなきゃ)いけないわけじゃないんだ、ってことに。

プレゼントとかも、なんか「もらったからお返ししなきゃ」ってのが結構あると思うんですけど、それに似た感覚で。

でもそれって自分も相手も「この人にこれあげたい!」とか「これをあげたら喜んでくれるかな?」って自分が「したい」からしているわけで。

お返しを求めてるわけじゃないんですよね。

まぁ恋愛だとなかなかそうも言ってられないこともありますが。

で、もらったものに対して毎回「返さなきゃ」とか「~しなきゃ」みたいに考える事って、別に悪いことじゃないけど、いつの間にか自分を苦しめてる、重荷になっているってことがあったり、なかったり、ラジバンダリ。

(以前のkimmyは大いにあった)

でも、返さなきゃいけないなんて決まりがあるわけではない。

自分だってお返しするときって大体は「返したい」って思ったから、「したい」からしているんじゃないかなって。

本当にいやだったらどうにかうまい具合にごまかしたりするだろうし。

まぁ、そんなことは言いつつも、お返しをしないことに対して多少の罪悪感があることは否めないような気がするような、しないような、するような。

それはなんでなんだろうって考えたときに、たぶん、わたしの場合は「もらった」っていう事実があるのと、気持ちとかの目に見えないものでもいったん受け取ってしまったらそれを自分のどこかにしまっている感覚というか。

うまく表現できないけど、胃にある食べ物が消化しきれなくてまだ残ってる感じのあのちょっとした不快感というか、それに似た感覚になるというか。笑

だから、もらってもその当の本人にお返しをしたいと思わなかった場合、もらったものは、自分が他の誰かに分け与えてあげることで消化できるのではないかと思ったんです。

もらったらその人にお返ししなくてもいい、いらなかったら他の人にあげたっていい

そう気づいてからは、なんだか少し気が楽になったような気がしました。

だから、自分と同じ気持ちだったり、もし誰かからの一方的な気持ちで悩んでる人がいたりしたら、無理に受け取らなくていいんだよ、受け取ったって返さなくていいんだよ、他の誰かにあげてもいいんだよって教えてあげたいなぁなんて思いました。

ちょっと話は若干ズレるかもですが、恋愛以外にも身の回りの生活とかでもいえることなのかなって。

例えば自分が好きじゃないとか苦手な仕事が世の中にあるとして、苦手を克服しなければいけないって思ってあえて自分が嫌いな仕事をしていたとする。

でも、自分以外の誰かは、その仕事を心から好きだと思って楽しみながらやっている。

あえて自分がやらなくたって、他の人が喜んでやってくれるんです。
だってその人はその仕事を愛しているから。

自分が愛せないものでも、誰かはそれを愛すことができる。

自分がこうやって毎日当たり前のように過ごせているのも、世の中を支えるいろんな仕事とかがあって、それぞれに愛情を持った人たちが働いていて…

そう思うとなんだか、世の中って愛で成り立っているんだな、愛であふれているんだなって思ったり。

そんな感じで、愛っていろんなところに溢れているから、自分がいらないと思った愛情は他の誰かにあげることで、うまく循環していくんじゃないのかなって考えて、それでできたのが「recycle」というわけです。

そんなこんなで、今回の解説はこれにて終了っ!
これを読んでくださったあなたの1日が素敵なものになりますように。

ではでは。


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