フリーペーパーの力

「奈良県の山奥からなんですが、『山歩みち』をおかせてもらえませんか」というメールが届いた。なんでも、晩秋にフィルムフェスをするそうで、そこに集まる多くのひとに、アウトドアの魅力を伝えたいから今回連絡したという。こういう問い合わせは、制作者としてすごくうれしくなってくる。

内容が先か、体裁が先か

フリーペーパーの強みは、まさに無料であることである。その意味で、フリーペーパーの勝負は、まずは手に取ってもらえるかにある。どうやって冊子を手に取ってもらうのか。よく聞かれる質問に「それは内容? 体裁?」というのがあるが、いずれも大事。いちばん大事なのは魂だ、と答えることにしている。

山歩みちの手法

ちょっと話しが飛んだのだが、内容にしても体裁(デザイン)にしても、『山歩みち』では「シンプルに」「わかりやすく」「伝えたいこと」を表現するよう心がけている。知り合いの編集者やライターさんに「『山歩みち』ってがんばっているとは思うけれど、デザインは今っぽくないし写真もよくない(注:本人談)。内容をみても最新の話しは載っていないし(注:そんなこともない)、正直どんなひとが読者なのかよくわからない」などと言われることがある。たしかに指摘された面はある意味理解してもいいかなと思う面もあるが、けれど、まさにその張本人が言うように、想定している読者と『山歩みち』の読者はまったく異なっていることに注目したい。感想アンケートによると「デザインがおしゃれで写真がきれい」という言葉をよく見かけるという点も、おもしろい。

読者とはなにものか

自分でタイトル立てているにも関わらず、これは正直むずかしい問題である。読者とは媒体があり初めて成立するものだが、一方で媒体とは読者によって育てられるものだからだ。『山歩みち』はとくに後者を意識しており、いわゆる有料雑誌が仕掛けている「スタイル」「用具」「流行」という内容で媒体が読者をリードしていく形ではなく、読者ニーズを念頭におきながらも「安全」「基本」「自立」の3つをキーワードにした編集を心がけている。こうした編集により、登山歴数年程度の初心者層にリーチしていることがアンケート結果によりわかっているが、では、その属性(登山歴数年、初心者)はいったいなんの意味を持っているのだろうか。

属性からこぼれ落ちるもの

属性とは、簡単に言えば平均値である。全体を把握するにはとても都合がよい面がある一方、ざくっとし過ぎてわからない面も当然出てくる。属性だけではわからないのでそこでアンケートをとるのだが、おもしろいのが、登山歴数年、初心者という属性でも、憧れの山の上位は「テント泊・2泊3日・岩稜縦走」であり、ひと昔前の山岳部や山岳会と同じような意識が見えているという点だ。そこにすぐ行けないから憧れになる、という考え方もあるが、『山歩みち』ではそうした山を特集しているわけでもないのに、そういった意識が芽生えている点が興味深い。

地方の山への志向が強い

そうした傾向があるなかで、「好きな山」(上記は「憧れの山」であることに注意)では、地方にある低山を上げるひとが非常に多い。憧れはわりと想像しやすい一定した山なのだが、好きな山は身近な山であるというところが従来の山岳雑誌ではあまり考えられなかった傾向のように思われる(今は知らない)。そしてまた、『山歩みち』の誌面では、全国的な有名な山より地方の山を紹介している点も指摘しておきたい。

魂とはなにか

本題に戻る。編集とは、内容なのか、体裁なのか。すでに書いたようにそのふたつは当然大切なことではあるが、いずれも読者ありきの考え方である。特定の編集者やライターさんにとって『山歩みち』はダサイもので内容は薄いといわれるものだが、一方で特定の読者にとっては、それはおしゃれでしっかりとした内容だと映っている。内容も体裁も、所詮、その程度のものでしかないと思う。であれば制作で大切なものとは…制作者の魂…なんだか小難しい言い方をしたが、ようはなにを「伝えたい」のかということにあると思う。『山歩みち』で伝えたいことは、シンプルに「山登りって楽しい」ということに尽きる。楽しむためには安全は担保されなければならないし、個人が楽しむことができる山とは、なにも有名どころでなくとも、ふだん行ける山だとしても、季節やスタイル、目的を変えれば、一生かかっても登りきれないほど無限大にあるということへの気づきである。

奈良からのメールでうれしかったこと

奈良からのメールでうれしかったことは、山の魅力をひとに伝えるツールとして『山歩みち』を選んでくれたということである。「無料だから」という点が大きかったと思うが、『山歩みち』を通じて広く山の魅力に気づいてくれるひとがひとりでもいれば、それはとてもうれしいことだし、編集者冥利に尽きるというものだろう。

なにを作るのか

制作者には「個性を主張し、読者を常にリードしていきたいタイプ」(ライターっぽいひと)「個性を発見、新しい世界観を提案していきたいタイプ」(編集っぽいひと)などのタイプがあるが、「仕組みを作り、そこから育つものを支援するタイプ」などもあるように思う。なにかを押しつけることも誘導もすることなく、個人が自分自身の山登りを見つけ、それを楽しんでゆく。そんな仕組みを『山歩みち』で作りたい。おそらくそれが『山歩みち』で課せられた編集長としての役割であり、そこには、私という個人(個性)など一切必要とされていない。

2020年は創刊10年目

こんなことをふと考えたのも、2020年で『山歩みち』は創刊丸10年の節目、ということも関係しているからだと思う。このタイミングで、奈良からのメール。創刊当初から考えていたことを、今もなお、ちゃんと考えているのか。誰というわけではないが、そう問われたような気がしてならない。2020年以降もブレることなく、ひとつずつ積み上げていきたいと思う。



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