「覚える」ではない「できるようになる」
今日は「できるようになる」について考えたいと思います。
ただ「覚える」ではない「できるようになる」とはどうゆうことでしょう?
どうゆうときに「できるようになった」と感じるのでしょうか?
『ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか』で、為末大さんはこう書いています。
テスト勉強を思い出してみても、繰り返し書いて「よし覚えた!」と思った部分が本番のテストで少し問われ方が変わったりすると、まったく答えられなくなってしまったことがあります。
もうひとつ「できるようになる」で思い出すのは、高校の時のゴルフの授業のことです。
器械体操をやっていたおかげか、同じ動きを繰り返して正確にボールを打つことがとてもよくできたので、指導してくれていた先生から「すぐにプロになれるよ!」と褒められたことがあります。それで気をよくして、叔父さんに打ちっぱなしに連れて行ってもらって練習していると、叔父さんの友達のゴルフ上手なおじさんからも「いいね!すぐにプロになれるよ」と褒めてもらいました。
今思うと、若い子がゴルフを続けてくれることを期待して、おだててくれてたのかなとおも思うんですが、練習では同じフォームで同じ軌道のボールを打ち出すことはとても得意だったことを覚えています。
しかし、コースに出てみると散々でした。整った人工芝のシートはどこにもないし、なんなら長いラフでボールが見えないこともある。砂の中から打つこともあります。足の立つ場所もまっすぐとは限らない。
練習場という整った環境でいつも同じ条件でボールを打つことはできても、ゴルフ場といういつもとは違う環境においてはボールを打つことさえできない。
練習場でボールを打つことはできていたけれども、ゴルフをできるようにはなっていなかったんです。今思い返してみると、この体験はまさに「できるようになる」とはどうゆうことかについて考えさせられたできごとでした。
練習はとても大切なんだけれども、いろんな環境で試してみる、あるいは失敗してみることで、違う条件でできない自分を知る。そこから調整して、異なる条件でも同じ力を発揮できることが「できるようになる」なんですね。
僕の本心としては、じっくり練習したいんです。これは僕の思考のクセだと思います。同じ条件で何度も繰り返してできるようになった気になる。本当ならばこれをやっていたい。ただ仕事をしていればそうも言ってられない。同じ環境、同じ条件でいっつも同じことをしていればいい仕事は多くはないはずです。
そして、今やボールを打った瞬間にカップやグリーンの位置が変わってしまうかもしれない世の中です。練習とゴルフコースとで環境が違うだけでなく、ゴルフ場自体も変化して行っている。練習しておいたものがそのまま発揮できる条件はますます少ないのだとしたら、なるべく多く練習をしておこうではなく、早く本番を経験して失敗しながらさまざまな条件で使えるものにしていくことが求められるんじゃないかなと思います。
ただ、じっくり練習できるものもやっておきたいな〜
今日の考えるを終わります。
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