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贈る言葉について考える

今日は大学の学位記授与式でした。

多くの人に対して、励まそうと言葉をかけるって本当に難しいですね。

なんかいい話をしよう。納得してもらえる話をしよう。希望に満ちた話をしようなんて色々考えてしまうんです。そして、何かいい話をした過去のことを思い返したりして、つい「正解」を求めてしまう自分がいます。

でもよく考えてみると、こういった意図を持ちすぎた話をされると妙にしらけますよね。

まぁ聞いている相手がどう感じているかの本当のところはわからないので、もしかしたら感動してくれているかもしれないんですけど。

言葉に意図を込めすぎると、時として相手にとって自然ではなく、作為的に感じられてしまう。作為的でなく自然な感じのバランスを取るのって難しいです。
でもそう言った場で、「言葉」をつかわずに誰かを励ますってのもむずかしいですから、やはり言葉を伝えることってとっても大切で価値のあることだとは思います。

話さなきゃいけない時の言葉を選ぶ時にぼくが意識しているのは、自分の経験や感情を直接的に押し付けるのではなく、相手が自分ごととして自ら進む道を見つけられるような言葉を選びたいなということです。

あと大切だなと思うのは、やはり「聴く」ことですね。

卒業式のような節目の日には、特に言葉一つ一つに意味が込められがちですが、そのような時こそ、しっかりと相手の話をよく聴くことが重要だと思います。その人の感情や希望に寄り添うことが何かを語るよりも効果的な励ましになるかもしれません。

今日も卒業していく学生たちやご家族のお話をたくさん聴くことができて、僕が幸せな気分になることができて、希望を持つことできました。

言葉での励ますことに少しの苦手意識と疑問を感じていたのですが、この記事を書いていてやはり「聴く」がいいなと思えました。

でもみんなの前に立って「聴く」をするのはどうしたらいいかな?次のイベントまでに考えてみます。


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