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【ココ塾】#6 さよなら、戦車

 こども発達支援教室「ココ塾」蒲田校のオープンから、丸半年が経過しました。
 おかげさまで定員のご利用枠もいっぱいになり、毎日たくさんの子どもたちが元気に通ってくれていることに感謝の気持ちでいっぱいです。送迎をしてくださる保護者さまも、いつもありがとうございます。先生たちも、それぞれのキャリアや強みを発揮して、一人ひとりのお子さまたちに必要な支援は何かを常に考えてオーダーメイドの授業を組み立ててくれています。本当にありがたいことです。
 
 さて、「ココ塾」には、自閉症スペクトラムと診断されている私の三男(年長児)も利用させていただいているのですが、開設当初は自分しかいなかった事業所に、一人、また一人とお友達が増えていく環境変化がとても興味深い様子。生意気に先輩風を吹かす日もあれば、「これは僕のおもちゃだー!」と縄張り意識をむき出しにすることもあり、その一つひとつのやりとりも彼にとっては有意義なSST(ソーシャル・スキル・トレーニング:Social Skills Training)そのものとなっています。
 
 三男は、とりわけ作業療法士の先生が大好きです。現在は赤ちゃんが産まれたばかりで育休中のため、しばらくは会うことができませんが、「ぼくが小学生になったら帰ってくるんだよね」と復帰を心待ちにしている様子。それほど大好きで、人物像の記憶もしっかりと保持していられるのには、はっきりとした理由があります。作業療法士の先生が、子どもが抱える困難さを理解して環境調整ができるプロフェッショナルだからです。(そのうえ、可愛くて、優しくて、いつも大きな声で笑っている、私から見ても天使のような職員です。)
 
 新奇不安が強く、感覚過敏のある三男は、できたばかりの事業所にもすぐには慣れることができませんでした。事業所にはSteinway & Sons のグランドピアノがあり、海外で心理学と音楽を学んだ経験豊富な心理士が、本物の音色で音楽療法を行ってくれるのですが、ピアノを奏でると両手で耳を押さえて大暴れ&逃走してしまいます。その様子を見た作業療法士の先生は、事業所の環境に慣れるために、彼だけの秘密基地を作ることを提案。三男が大好きな「戦車」を段ボールで作り、ピアノを使った活動や、初めて経験する活動で不安が強いときには、段ボール戦車の中に入り安心できる状態で活動に取り組むことに挑戦しました。
 大好きな先生と一緒につくった段ボール戦車は、三男にとっては「宝物」。思うようにならない時には、その気持ちを戦車にぶつけて壊してしまうこともありましたが、気持ちが落ち着くと「戦車に謝りたい」「戦車を直したい」と言えるなど、「秘密基地」あるいは「相棒」としての役割をずっと果たしてくれていました。
 

三男が作った段ボール戦車


 しかしながら、時の経過とともに三男も事業所や活動に慣れることができ、戦車の出番は次第に減っていきました。教室の端っこに置かれたまま月日が過ぎ、私自身も他の職員と一緒に「あの戦車はもういらないかもね~」などと話すようになっていたのです。それは大人から見れば、期待通りの結果だったのかもしれません。
 
 後日、念のため私は三男に、「戦車はもういらないんじゃない?」と聞いてみました。すると三男は、「あれはピアノを聴くときに使う大事なもの!」「先生(作業療法士のこと)の赤ちゃんをまだ乗せてあげてないから捨てちゃダメ!」と強く言い、戦車の出番そのものは減っていても、彼の中での位置づけは何も変わっていないことを確認。そのため、戦車ももうしばらくは置いておくしかないか、と思っていたのですが-。
ある日突然、職員から、「〇〇くんの戦車は片づけました!」と報告を受けるに至ったのです。
 
 「・・・」と言葉をなくした私。どういう経緯で片づけることにしたのかを確認すると、「金谷さんが〝もういらないかな~”と言っていたのをみんなが聞いていたので、片づけました」「前日に他の男の子が戦車を見つけて気持ちが盛り上がりすぎたので、早く片付けた方がいいかと思って…」とのこと。職員なりに、精一杯考えての行動だったことが伺えます。
 
 一番悪いのは、三男の気持ちを聞いておきながら職員に共有していなかった私です。しかし、「そうは言ってもね…」と職員に伝えたい思いも込み上げます。
 
 第一に、私が「いらないかも」と言っていた情報だけで片づけてしまったことに対して。私は経営者であり母ですので、職員には忖度をさせてしまったのかもしれませんが、療育を行ううえで一番大切なのは「子どもの気持ち」です。それは親の立場が何であろうと関係ありません。子どもの気持ちを確認することをすっ飛ばして、大人が大人の価値観で判断を下すことは、療育の中では決してあってはならないと思います。だからこそ、捨てる前にひとこと、本人の気持ちを再確認してほしかったと思いました。
 
 第二に、「他の子が戦車を見つけて気持ちが盛り上がりすぎた」ことに対して。興味のあるものを目に見えるところに置かないということは、視覚優位なお子さまを支援するうえでは鉄則です。しかし、何度も同じ部屋で支援を受けていたこのお子さまが、その日気分が盛り上がりすぎたというのは、当然のことですが戦車だけの問題ではありません。その日のコンディション、職員の対応、他の活動との兼ね合いなど、あらゆる理由が考えられます。それらを振り返らずに戦車だけのせいにしていても、根本的な課題を解決していないのでは、また次も同じことが繰り返されるのです。
それに、「戦車があったから捨てればいい」という考えのみに解決方法を委ねた場合、それでは紙で同じことが起きたときは紙を全て捨てればいいのでしょうか。鉛筆で同じことが起きたときは、鉛筆を全て捨てればいいのでしょうか。紙も鉛筆もない状態で、就学準備と言えるのでしょうか。
「気になるものは捨てればいい」ということを、大人の都合のいいように解釈してはいけないのです。0か100かではなく、落としどころを見つけるのが療育だからです。
 
 戦車を捨ててしまったことを伝えると、「まだ先生の赤ちゃん乗せてなかったのに!」と一旦は激怒するものの、「ま、また作るからいいよ」と言ってくれた三男。今のところ、実際に作ろうとする様子はありません。見えなくなったことで執着を手放せたのかと思えば、こうした出来事も本人の学びの一つになったのかもしれませんが、子どもの価値観を第一に考えることを、あらためてこれからも大事にしていかなければいけないと感じた一件でした。