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自分の機嫌は自分で取れ。

「死ね。って思った。」
突然何を言い出すのかと思えば、嗚呼、そういうことか。
あなたは今、ものすごくイライラしていて、言葉にできない感情を体内に留めておくことができなかったわけだ。

あなたは今、私に向かってそういったよね。
もし、私が何かに悩み、生きるのに疲れ、人生を諦めようとしていた人間だったとしたら、どうする?
その一言が、本当に死のきっかけになるかもしれなかったとは、思わなかった?
言葉に出してしまう前に、本当に言っていい言葉か、ほんの一瞬でも考えなかった?

相手がどんな状況で生きているかも知らずに、意図的に悪意のある言葉を投げかける人ほど、しょうもない人間はいない。
自分で処理しきれない感情を何とかしようとして、目の前の人間に悪態をつくことでしか解決できない人間ほど愚かな人間はいない。

「今、『死ね。』って思った」
半分理性があるような言い方だったからこそ、私はあなたを信頼できなくなってしまった。
言っていい言葉ではないとわかっていて、それでも結局そういったのなら、
それはあなたが私に対し、少し傷つく言葉を言っても許してもえる相手だと、鷹を括って見下していた証拠だからだ。

その一言で、私はあなたと関係を切ることにした。
正直、死ねといわれてその言葉に傷つくほどやわではないし、死のうなんて1ミリも思わないけど、
「嗚呼、あなたは今、自分のどうにもできない感情を私を罵ることで清算したのか」と思うと、一瞬にしてあなたへの人間的魅力と友達として付き合っていく必要性をなくしてしまった。同等の関係ではなく、私を下に見いてたとわかった瞬間、あなたを人として信頼できなくなってしまった。
あなたはきっと、私以外にもそうするんだろうな、と思ったから。

きっと、あなたは気づいていないだろう。
なぜ自分が拒まれてしまったのか。それに、きっと気にもしていないだろう。

数ヶ月経っても、当時と同じく怒りや悲しみなどの感情は一つもないけれど、ただ繰り返し思うのは、
「自分の機嫌は自分で取れ。」ということ。
人間だから機嫌が悪い時あるし、どうにもできないモヤモヤを抱えることもある。
でも、人に当たっていい理由にはならない。
親しいからと、何でもアリな関係は、本当の友達ではない。
それが人間関係の正義とも思っていないけど、少なくとも私はそう思う。

20代最後に、私が人間関係について学んだ大きな出来事だった。


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