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初日に息子がみせた生きる力。グリーンスクール日記12日目

バリ島のグリーンスクールという学校に子どもを通わせたくて、赤ちゃん連れでバリに移住をした。

グリーンスクールとはどんな学校なのか?
英語の話せない小学1年生の息子にどんな変化が起きるのか?
赤ちゃん連れの母子移住はどんな生活なのか?

この冒険をいつか老後にゆっくり振り返れるよう、日記を綴ることにする。でも、欲を言えば、いつか海外の学校にこどもを、と考えてるママさんパパさんの背中を少しでも押すものになれば、とも思っている。

これは、わたしのサスティナブルな仲間探しの冒険の始まりでもあるのだ。

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学校が始まって12日目。
今日は、遡ること2週間前のオリエンテーション(入学式みたいなもの)のときのことを書く。

今年度、グリーンスクールには約150人の新入生がやってきた。昨年度末で170人くらいが辞めたので、20人弱ほど生徒数は減っている。

聞いた話だが、学校側は一昨年多めに生徒を入学させたようだ。アグン山が噴火したら学校をやめる生徒がたくさんいると見込んでいたらしい。

しかし、アグン山が噴火しても生徒は想定よりもまったくやめなかった。なので、キャパオーバーの状態は続いていて、学校側は人数を減らしたがっている。

火山を脅威とは思わない家族が多いと聞いて、ホッとした。わたしも軽井沢の浅間山や鹿児島の桜島が大好きだ。大学のときにはハワイ島のハレアカラ山で研究をした。赤いマグマや黒い溶岩は、地球からの熱くて激しいラブレターだと思っている。

そんなグリーンスクールの新入生と家族たちがスムーズに生活をスタートできるよう、新学期の前日に開催されるのがオリエンテーションだ。

在校生のバリ舞踊を鑑賞したり、校長の話を聞いたり、校歌を合唱したり。不思議なことに、初めて聞く校歌なのに、全員が校歌を歌っている。英語を話せない息子も大声で歌って踊っている。

きっと、誰でも楽しめるように作曲されているんだろう。歓迎されていることを感じることができて、心が踊った。

オリエンテーションでは諸々手続きを済ますことができる。緊急連絡先を知らせたり、銀行口座を作ったり、保険に入ったり。学校でセレモニーのときに着るバリの正装も買えた。

ランチタイムを挟んで、最後は待ちに待ったクラス見学だ。担任の先生や同級生との初の顔あわせである。

6歳の息子はグレード1に入学する。15人のクラスが2つ。日本人は、息子ともう一人、幼稚園から通う男の子がいる。

芝生と砂利道を抜けて、教室に向かうと、グレード1のお庭と校舎が見えてきた。壁のない教室だ。

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息子は、珍しくわたしの手をぎゅっと握る。日本語が通じない場所に行くことに対して、日本ではあまり不安を口にしたことはなかった。通じないの嫌だなぁ〜くらいだった。

でも、学校となると別なのだろう。息子は日本で4ヶ月間公立の小学校に通った。自分の言葉が通じない友達と仲良くできるだろうか。自分の居場所はあるのだろうか。わたしは笑顔で息子の手を握り返す。

教室に入ると、優しそうな先生たちが迎えてくれた。名前は?と聞かれて、リオ。と答える。じゃあ、こっち来て絵でも描かない?と誘われて、息子は先生についていった。もう今日は100点満点だ。

しばらくして、息子の様子を見にいった。すると、まだなにかを一心不乱に描いている。何を?と思って手元を見たら、なんと、彼はひたすら数字を書いていた。

わたしはそれを見て、はっとした。息子はアピールをしているのだ。自分は算数が得意な人間なんだと、はじめての教室で。全身全霊で。

その姿を見て、涙がでそうになった。大丈夫。彼なら大丈夫。生きていく力を身につけていける。

思い返せば、日本を出るとき、息子とじっくり好きなことについて話し合った。算数と昆虫採集と自然科学。これが彼の好きなこと。そして、2歳から始めたバイオリンとサッカーをやめることにしたのもこのタイミングだ。

お稽古を続けて欲しい親に気を遣い、サッカーもバイオリンも、嫌だ、辞めたいとはあまり言わなかった。でも、ゆっくりじっくり話を聞くにつれて、本当はやりたくない、やめたい。と懇願するようになった。

幼児教育に躍起になって、わたしがやらせたいこと、やってほしいことを一方的に押し付けてきた代償だ。バリ島ではお稽古はなにもせず、息子のやりたいを積み上げよう。そう決めてわたしはこっちに来た。

わたしにとってこの息子との話し合いは、バリ島でのお稽古を決めるという事務的なものだったが、息子にとっては自分のアイデンティティーを確認する大事な時間だったようだ。

息子ともっともっと話しをしよう。事務的な確認ではなく、雑談とふざけあいと相談をたくさんしよう。今、彼にとって日本語が通じる友達はわたしだけなのだから。