見出し画像

Non-Self Compassionワークショップ参加レポート〜「セルフ・コンパッション」の「セルフ」とは何?なぜ入れる必要があったか?(前半)〜

タイトルだけで参加決定!「Non-Self Compassion Workshop」

突然ですが、セルフ・コンパッションの「セルフ」って、気になりません?モヤモヤするのは私だけでしょうか?
「セルフ」ってわざわざつけると、自分に注目しすぎてエゴを強化してしまわない?「私がこんなにがんばっている」「私は可哀そう、よしよし」って自分に注目することが、根本的な問題の解決にはならないのでは?
そんな折、クリス・ガーマー博士(心理学)と仏教学者のアンドリュー・オレンズキー博士によるオンラインワークショップ「Non-Self Compassion Workshop」があると知り、このタイトルだけでジャケ買いのようにポチったわけです。果たして彼らは私のモヤモヤを晴らしてくれるでしょうか。

画面向かって左がクリス・ガーマーChris Germer心理学博士。クリスティン・ネフ博士と共にMSC(Mindful Self-Compassion)プログラムを創立。右がアンドリュー・オレンズキーAndrew Olendzki仏教学博士。マインドフルネスと仏教心理学にも精通し著書多数。
実は長年の仏教仲間だそう。ペアルックなお二人なんだか尊い😊

2回に分けて次の流れで3時間のワークショップで学んだことを皆様にシェアします。今回は下記の1.-3.まで、次のnoteで4. と5.を。

  1. 初期仏教におけるセルフ・コンパッション

  2. そもそも自己(Self)って何?

  3. 自己(Self)が私たちの人生をこじらせる

  4. その解決法としての四無量心

  5. マインドフルネスと四無量心からのSelf-Compassion

1. 初期仏教におけるセルフ・コンパッション

仏教の様々な宗派で取り入れられている慈悲(コンパッション)の瞑想は、伝統的にはまず自分→親しい他者→ニュートラルな他者→苦手な他者→生きとし生けるもの全て、といった順で幸せと安らぎ、痛みや苦しみの軽減を願います。
ということは、やっぱり自分へのコンパッションを大切にしていた?と思いきや、この瞑想を最初に記載したのが5世紀のブッダゴーサという研究者で、ブッダ自らではありません。
ブッダゴーサの影響で「自らを慈しむ人は他者も慈しむ」という考えが広がった可能性はあるのですが、初期仏教では実はコンパッションの対象については「ありとあらゆる方向にあるすべての命」といった表現にとどまり、コンパッションの対象として自己(Self)は明言されていないことがわかっているのです。

2.そもそも自己(Self)って何?

それでは仏教における自己ってなんなんでしょう。
オレンズキー博士の発表をまとめると次のようなものでした。ちとムズカシイ。。。

  • 自己とは仮想であり概念であり、確固たる実体ではない

  • 自己とは瞬間瞬間に動いている、言ってみれば"Selfing”(「私が私する」)という作用、動詞であり、名詞ではない

  • 自己とは実は苦しみの根源ともなり得る

博士は「自己」を唄に例えて「唄は、一つ一つの音(音質、音程など)という物理現象が時間と共に重ねられて、唄という認識(概念)が発生するが、実体はない。一つ一つの音や音符は存在するといえるが、それは唄ではない。自己も同じで、一つ一つの音のように瞬間瞬間の思考・感情・身体感覚があるのみでそれらは自己ではない。それらが集積されて、自己という認識(概念)が発生する。」と。
難解な仏教の概念ですが、これはかなり分かりやすいと思ったのでした。(仮想通貨も類似点が多いですね。)
じゃあなんで「自己」という概念が生まれたかというと、なるほどーと思ったのが、橘玲氏の著書『シンプルで合理的な人生設計』にある次の説明。「反省や学習、あるいは希望には、過去から未来へと一貫する『主体(わたし)』が必要だ。このようにして、より効率的なシミュレーションのために『わたし(自己意識)』が進化した」と述べており、便宜上脳が必要としたからであり、ここでも実体ではないと言っているのです。

3.自己(Self)が私たちの人生をこじらせる

その時々に湧くはかない幻影のような「わたし」という概念を、「これがわたし、過去も、今も、これからも、わたし」と実体として頑なに同一視すると、仏教では次のように苦しみを生むとされます。
「わたし」が心地よいので、もっとそれが欲しい=執着
「わたし」が不快なので、もうそれはいやだ=嫌悪
でも、ここにある「わたし」の執着を満足させ嫌悪をなくそうとすると、いろいろこじらせるわけです。快適な生活、快適な人間関係、そんなのって続くわけがないし、どうしても避けがたい辛いことは必ずあるし、いろいろなものを手に入れようとお金を稼いでも自分を磨いても、きりがない。。。
「わたし」を実物の一貫した存在と思い込み、それを中心に据えることで、執着と嫌悪という方向のズレたしかもパワフルなモチベーションに振り回されることになってしまう。こうして人生はこじれていくのだと。

おやおや、セルフ・コンパッションのセルフって、曲者だったの?
しかも、MSC(マインドフル セルフ・コンパッション)を立ち上げたガーマー博士もクリスティン・ネフ博士も、長年テーラワーダ仏教を実践しているのに、わざわざ「セルフ」という言葉を彼らの活動名に明言しているのは、どういうわけ?
謎は深まるばかりですが、長くなったのでこの先は次のnoteで、
4. その解決法としての四無量心
5. Wisdom, Compassion, MSC(Mindful Self-Compassion)
をシェアさせていただきます。
おつきあいいただき、ありがとうございました!!
木蔵ぼくらシャフェ君子

PS. 以下に7−9月のイベント・出版物などお知らせさせていただきます。
必要とされる方に届きますように!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?