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アラカンのつぶやき

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心に浮かぶ由無しごとなど書き綴ってます。
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#アラカンのつぶやき

やっぱりキレイなものがスキ💛

さすがに寒くなってきたので、羽根布団を出しました。 広げてみて改めて思ったのは、このお布団の側生地がとってもきれいだ😍ということ。 でも使うときにはカバー掛けてしまうから隠れちゃうわけで…… いやいや、それもったいないでしょ!と今更ながらに思うのです。 でもどうする? カバーなしではお布団自体が汚れてしまいます。 そこで突然、思い出しました (^o^) キラ~ン☆彡 実家ではずっとお布団生活だったわたしが、ベッド生活を覚えたのはスペインにいた時のこと。 そしてあちらでは

ストレッチと血管と健康寿命~QOLを意識して

ストレッチと血管と健康寿命いったいなんのこと?と、思われた方もいるでしょうか(^^;)   はい、わたしもつい先日まで、この3つを関連づけて考えたことがありませんでした。   わたしはあいにくと高齢者と暮らした経験がなく、身近で親しく接することもないので、肉体が老化することに関して具体的には理解できていない部分がかなりあります。   つまりは、自分の肉体を通して、自分が年齢相応に体験している以上のことは何も知らない、と言っていいかもしれません。 ・ ・ ・ 血管の老化が生

言葉にも公私のけじめがあって

服装に普段着と外出着があるように、言葉にも公私の区別があること、この頃忘れられているのかも。 家族や友人と話すモードと、会社や公共の場で話すモード。 仲間内では普通でも他所では使わない言葉もありますよね。 業界用語とか、仲間言葉とか、同じグループの所属であることを確かめあったり、強化したりするような言葉。 それは敬語表現以前の部分なのよね。 逆に、機械的にマニュアル化された不自然な敬語が使われることも多い、というか、もうほとんどそれが標準化してたりして……。   日本

「土用」を侮ってはダメだわねぇ、と思った話

「土用」と言われると、すぐに思い出すのは「土用丑の日のウナギ」ですよね。あの時だけは日本全国津々浦々の日本人が土用を意識する(笑) あれは夏土用の中の特定の一日の話。 土用は18日間あります。季節の変わり目の期間のことです。 夏の終わりから立秋までが「夏土用」。 秋の終わりから立冬までが「秋土用」。 今年の立冬は11月7日なので、実は今、まさに秋土用の真っ最中なのです。   身体の調子で季節に気づいた  週末に、なんか身体が重いな、ヤケに眠いなと思って、暦を確認した

サイバー空間に棲息するからといって実体化してないわけじゃない~ある物書きのつぶやき

言葉を書く。 紙と言う物質があり、インクと言う物質があって、肉体を動かし、脳内に蠢く概念をコトバとして書き記す。 これはこれは立派な「具現化」行為。 でも――書き記す場がサイバー空間になったとたんに、実体が薄れてしまう。それは仕方がないことなのだろうとは思う。 ディスプレイ上に表示される文字(という画像)は、言ってみれば幻影のようなもの。 そこにあるように見えても、実体はない。 紙に書いたものなら確かな手触りがあり、重さがあり、厚みがある。 経年劣化して色も変化する

インプットに集中した後に時々、なぜか訳もなくイライラすることがある。 たぶん脳が飽きて退屈して、遊びたがっているのだろうなあと思う。 なので、そういう時にはシンプルなアウトプットをする。 たとえば簡単な料理を一品作るとか。 脳は何かを作るのが大好き。 美味しい食べ物も大好き。

noteさん、これ前からありましたっけ?

noteになにか書き込もうと思って【投稿】ボタンをポチッとしたら、こんな表示が! あれれ、前からこれ出てましたっけ? 「連続投稿の継続」のデータ。 わたしが、おバカで見落としていた? いやいや、そんなわけないよね。 だって、投稿のメニューと記事一覧があって、それをよく使っているもん。 この表示は、投稿メニューのすぐ下、記事一覧の上に出る。 それならどうやっても目に入るはず(^^;) ということは―― これは新しい仕様だと考えてよいのかしら。 noteさん、どうなの

気ままな会話で脳をリフレッシュ!

昨日、用事があって外出した流れで、馴染みの音楽バーに顔を出してきました。 個人がやっている小さなお店です。 6~7人でカウンターは一杯になるぐらいの、程よい空間。 常連客同士は顔見知り。名前(呼び名)も知っています。 たまたま行き会えば、「久しぶり」「どうしてる」なんて、気さくな声を掛け合う雰囲気です。 言ってみれば、大学の趣味サークルの部室みたい。 年齢も職業も、住んでいる地域も違うけれど、馴染みのバーという空間を通して出会う仲間。 大人になると、どうしても仕事がら

8月15日だから、もう一度「国」の意味を考えてみた

おはようございます。 お盆で終戦記念日の8月15日。 東京はとにかく暑いです(^^;) 77年前のあの日も晴れて暑い日だったそうですね。 昭和天皇の玉音放送が流れて、日本国民に無条件降伏が知らされた日。 あの体験を私たちは二度とふたたび味わってはいけないと、強く思います。 もちろん私は戦争も敗戦も、リアルでは体験していません。 すべて過去の記録から知ったことです。 両親は栃木の農家の子供で、年上のお兄さんたちはみな徴兵されてアジア各地で兵隊さんをさせられました。 伯父さ

夏休みだけど、生きることに”お休み”はないよね、というお話

世間的には夏休みなのでしょうかね。 もちろんお仕事によってでしょうけれど。 例えば―― 家事とか家族の世話に”休み”はなし。 お母さん業は年中無休、24時間フルタイム。 家や家族に関する仕事は、それで何か金銭的な報酬が得られるわけではないので、今の経済システムの中では「仕事」と思われていない部分がいまだにあるなと感じます。 なんだか不自然な価値観です。 家事仕事は、生きることと深く結びついている行為です。 住まいを安全に清潔に保ち、健康と活動の土台になる食事を調える。

機械的な作業についてはコスパや効率を重視するけど、対人の行動や活動は、目的というか欲しい未来像を最優先する。そこの判断にコスパと効率を組み込んでしまうと必ず失敗する(と言う経験を何度もしてきたのよ)

生命多様性を実感してみた

夏が苦手です。子供の頃から、ずっと。 寒いのはそれなりに対応できるのですが、暑いのはムリ(-_-;) わたしが生まれたお正月明けの日は東京には珍しい大雪だったそうです。 (後年、母がそう言っていたのを調べてみたら、確かに誕生日の前日、東京で大雪の記録がありました) まあ、きっとそのせいだと思っておくことにしています。 寒いだけでウツになる、という人もいます。 だから逆に「夏は暑さで気が滅入る」という人間が一人ぐらいいてもいいかなあ、なんてね(^^;) 十人十色。 顔

人は誰でも必ず死ぬ~それを忘れずに今を生きることで人生はきっと満たされます

1年前の今日、7月16日。 思いもしない情報がSNSで飛び込んできました。 それは予想もしない、突然の訃報。 わたしが瞑想指導をじっくりと習った師匠でした。 元気とエネルギーが服を着て歩いているような男でした。 前日、新しいプロジェクトを始めると、嬉しそうに書いていたのに。 働き盛りの40代。持病もなかったはずです。 文字通りの、突然死でした。 寿命と言うものがあります。 それはホントに人それぞれ。 長ければそれでいいわけではない。 短いから殊更不幸だというものでも

いま、私たち一人一人が、生きる意味を問われているんじゃないだろうか…

声高に語られる見解が正しいわけではない。 大勢の賛同を得たものが正しいとは限らない。 表面だけを見ていては分からないことがある。 視野を広げ、視界を高くし、あるいは違う立ち位置から見直す。 一つの物事に顔が一つとは限らない。 そしてどんなものにも絶対の正解はない。 そのことを常に意識の土台に据えて置く。 そして、自分の目で見て、自分の耳で聞いて 自分の頭で精一杯に考える。 何度でも、視点を変えて、立ち位置を変えて 複数の角度から観察し、推測する。 考えて、考えて、