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その「好き」は本物か
僕は昔、ミュージカル俳優として舞台に立っていた。会社員だった29歳のころ、オーディションを受け、転身した。それまで舞台経験がほとんどなく、歌や踊りのスキルもなく、いわば「おもしろ枠」での採用だった。
入団してみたら、プロの世界は過酷で、当然だが求められるレベルも高い。いちばん想像と違ったのは、「自分を表現できる」と思っていたのに、「自分を表現する、などとゆめゆめ思うな。欲が出たとたんに芝居がダメになる。役者は装置だ。台本に書かれたこと、演出家の意図を忠実に伝えることだけを考えろ」と言われたこと。
これも、少し考えれば当然のことなのだ。だが、外側から見ていただけではわからなかった。求められるのは、自由な感性よりも、芝居、歌、踊りのスキル。求められることを、忠実に再現するのが、俳優。あれ?自分は俳優に憧れていたのであって、(この劇団での)俳優の仕事はそれほど好きではないのかも?そう思い始めた。
ロングランの作品に出る機会に恵まれた。計350回ほど出たが、100ステージを超えたあたりからだんだんと飽きが来てしまった。舞台演劇は一定期間以上、上演して利益が出るビジネスモデル。仕事にするには長期公演が前提だ。
だが自分にはそれがしんどかった。山のようにある課題に毎日新鮮な気持ちで取り組まねばならない、頭ではわかっていたのだが、気持ちはなかなか奮い立たない。病んで辞める俳優も何人もいた。「好き」と「続けられる」もまた、違うのだ。
本当に好きじゃないから、続けられないのか、あるいは、「好き」の熱量が足りないからか。
退団後も舞台に立ったが、根っこの部分はあまり変わらなかったように今は思う。
今は研修やファシリテーション、MCをやっている。俳優を経験したからこそ、「自分は、決められた言葉ではなく、自分の感性でひらめいた最適な言葉を即興的に投げかけることが好きなのだ」ということがはっきりと意識できた。ある程度の自由度を与えられたMCは最高だ。好きだし、得意だし、ワクワクする。
「憧れ」と「好き」と「続けられる」とは違う。それがわかった今は、好きかな?と思ったらなるべくやってみるようにしている。違ったらまた別のことをやればいい。そろそろ人生も終盤に近いので、躊躇しているヒマはない。
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