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バンドマンフリーターで時給1230円だった僕が、放送作家を経てフリーランスとして仕事ができるようになった理由

仲良しの林知佳ちゃんが先日、こんなnoteを書きまして。

記事の中で知佳ちゃんが「10年で経験したこと」を箇条書きで記していて、なるほどこれは面白いと思い、私も思い出せる範囲でやってみることにしました。

知佳ちゃんが時給1400円の派遣OLという出発点だったので、私はフリーターで時給1230円の居酒屋バイトをしていた頃を出発点に。

時給1230円、バンド掛け持ち暮らしだった頃の僕

当時を振り返ると、バンドを掛け持ちしていて、東京は新宿西口駅近くの商業施設「パレットビル」の8階にあった日本海庄やというチェーン居酒屋でホールのアルバイトで生計を立てていました。調べたら2023年1月で閉店との情報が。寂しい。

居酒屋バイトは高校2年生(1995年)から初めて、放送作家になる前年(2005年)まで。ホールの接客も厨房の調理も一通りできていたので、ちょっとしたバイトリーダー的な役割も担っていて、大学生バイトの指導役みたいなこともしていた記憶が蘇ります。

営業時間は午前11時半から翌朝5時、シフト制で毎月ごとに希望するシフトを入れて働いていました。働くときはガッツリ働き、バンドの練習やライブがあるときはシフトを少なめに入れる、もしくは深夜0時から朝5時まで入るなどスキマ時間を使って働くスタイル。

20代半ばからは中野駅と東中野駅の中間くらいの築20年ちょっと、家賃8万円の1DKマンションに住んでいました。てか、今住んでいる福岡のマンションより家賃1万円高いやん。福岡の物価安すぎる。。。

だから、総武線の始発に乗って帰ることもしばしば。朝の始発電車に乗ると、いろんな人間がいて観察していると面白かった。私と同じように深夜の仕事をしていたであろう人やキャバ嬢の姉ちゃん、グースカいびきかいて寝ているスーツ姿のおっさん、大体酒臭いのが都心駅の始発電車。これもなかなか、今では体験できないなぁ。

25歳を過ぎて、一緒にバイトをしていた学生が就職をしてスーツ姿でバイト先のお店に客として「凱旋」したり、役者やらミュージシャンの卵だったバイト仲間が「やっぱ夢だけ追っていてもね…」と田舎に帰ったり、就職しちゃったり。

自分的には18歳から持っていたエネルギーをそのままに「うりゃー進むのだ」と音楽の道をひた走っていたのだけど、周りの同世代の環境の変化の心が動いたんです。

「あれ、このまま30歳になったらヤバいのかも…」と。

時給1230円でボーナスもつかず働いていて、20万から25万程度の収入はあったので、すぐに食いっぱぐれることはないけど、30歳ということを考えたときにバンドという3〜4人組で売れていくのは結構無理ゲーなんじゃないかと思い始めたのが2004年、26歳の時です。

正直、ベーシストとしての腕は(クセはあったけど)まあまああったので、プロベーシストという選択肢も考えました。でも、当時のスタジオミュージシャンでのベーシストは名だたる方ばかりで、ここに割って入るのはさらに年数を要しそうな気がしたので、この道は歩みませんでした。

この当時は、実力=プロだと思う気持ちが強くて、プロって人間関係のつながりも大切にするという当たり前の話はさらに10年以上たってから気づくことになりますw

18年で経験したこと

ここからが本題です。26歳だった木村青年がおっさんになった18年間で経験したことを箇条書きにしてみました。

・NSCに入学。1年通って卒業(40万円)
・中野から埼玉県朝霞市に引っ越し(その後、8年くらい埼玉県民)
・放送作家事務所に入る
・個人事業主としての活動を開始
・最初の仕事は番組のリサーチ→使えなくて3ヶ月でクビになる
・テレビ局の報道スタッフになる→半年って言われたのに13年続いた。
・クイズ番組の問題作成
・ラジオの生放送番組を担当 トータル10年
・埼玉から築地→勝どきに引っ越す(本当は月島に住みたかった。石田衣良の小説4TEENの影響w)
・東京から福岡に移住
・42年間黒髪だったのに突然金髪にする
・ライターインタビュアーとして400〜500人取材
・PR戦略プランナーになった。というか名乗り始めた。
・オンライサロンを半年ほどやった(日本語講座)
・大学生とか高校生に講演したり講座をしたりしている
・福岡のウェブメディアで連載を持った
・福岡の番組でコメンテーターデビューした
・東京の飲食店のPRを担当

・ファッションセンスが爆上がりした
・バンジージャンプを飛んだ
・モテたくて、ナンパ師のモテ教材を買った(30代前半)
・10年くらい付き合った人と別れた
・20代の頃よりモテている(いまもモテたくてしょうがないw)
・心理学と哲学を勉強して人生を楽しむコツをつかんだ
・SNSでの発信(始まりはgooブログ)を2003年から続けている(いわゆるSNS疲れは人生で一度もない)

思い出せる限りで書いてみると、いろんな経験を積んでいますね。ただ、いわゆる日本人の王道幸せパターンの経験は積んでいないなと。

●年交際した人と20代後半で結婚→子どもが生まれて念願のマイホームにマイカー購入(ローンたくさん組んじゃう)→主任から課長に的な人生は全く歩んでないけど、別にそんな人生を歩みたいとは1ナノミリも思わない。

行動の源泉はいくつかあるんですけど、最近感じた源泉が「バカだと思われたくない」という感情。これに尽きるのかなと。

僕は行動できない人にありがちな「不安」とか「怖い」の感情が基本的にほとんどないんです。何とかなるし、何とかしてきたという自信があるので。特にテレビやラジオの生放送なんて毎日が〆切みたいなものなので、やらなないと成立しない。できませんでしたなんて言おうもんならソッコーでクビ切りにあう立場なので、東京にいた頃はそれが当たり前で仕事ってそんなものだと思っていました。

でも、周りを見ると、どうも違ったようで、業界を離れてその現実をきちんと知るのに、1年以上かかりました。いまはようやく、自分の世間的に見た自分の立ち位置を把握できるようになりました。これはいろんな人に会って話を聞いたおかげです。

コンフォートゾーンからとっと抜け出しましょ

結論として、「行動する」という行為は自らが追い込まれ、食いっぱぐれるかそうでないかの瀬戸際になって初めて火がつくんだなと。なので、自らをドMになるかのように追い込みましょう。

コンフォートゾーンにいても、あなたは何者にもなれませんことよ。

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