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(レビュー)ウクライナ問題の本質

本稿を書いているのは2月8日だが、現時点で東ウクライナとの国境地域及びベラルーシ国内に展開しているロシア軍は約85BTG大隊(Battalion Tactical Group、略称BTG)を超える規模に達し、ロシア連邦軍が所有する陸軍兵力の約半分に達する膨大な規模に膨れ上がっている。

それに加えて、ロシア海軍バルチック艦隊の揚陸艦を含む主力部隊が8日〜11日にかけてボスポラス海峡を通過して黒海に入る見通しだ。このロシア海軍の黒海への展開規模は、ソ連崩壊後最大であり、この主力艦船部隊がウクライナ沖合に到着した時点で、ロシア軍のウクライナ侵攻の戦闘配置が完了すると考えてよいだろう(筆者は侵攻の事態が起きてほしくないと強く願っている。)

一方でフランス・マクロン大統領は、7日にモスクワを、8日にはウクライナの首都キエフを訪問し、ロシア・プーチン大統領とウクライナ・ゼレンスキー大統領の間の仲介役として非常に活発な動きを見せている。

今から8年前の2014年にロシア軍はウクライナに侵攻し、その結果クリミアの併合を宣言し、ロシアとその同盟国を除く国際社会は承認していないにもかかわらず、実行支配し現在に至っている。しかし、同時期に侵攻した東ウクライナのドンバス地域では、ウクライナ政府軍がロシア軍が後ろ盾となった親ロシア派に対する激しい防御戦を展開し、クリミアのようなロシア側の完全占拠を許さなかった。

その結果ドンンバスでは、2014年9月のミンスク合意、2015年2月のミンスク2合意という当事者間の停戦と安定化に関する合意だけが調印された。しかし、こうした停戦合意の存在にもかかわらず、ロシア側はその後もドンバス地域への軍事支援を執拗に継続し、ウクライナ政府軍とドンバス親露派勢力の間の戦闘は今日に至るまで継続しているのが実態だ。

すでに8年にもわたり継続しているこの紛争が勃発する原因となったのが、ウクライナにおける親欧米政権の成立と、それがもたらしたドンバスに隣接するクリミアに存在するロシア海軍セヴァストポリ基地(軍港)に対するロシアの安全保障上の脅威である。

ソ連崩壊後、ロシアは1991年に独立したウクライナとソ連軍の黒海艦隊の拠点であったセヴァストポリ海軍基地の地位についての協議を重ね、1997年にウクライナとの間で租借して継続使用することで合意した。独立後のウクライナは、欧米とロシアの双方との友好関係を維持する中立路線を歩むかに見え、軍港は租借の形態でもロシアにとって安全保障上の問題とはならなかった。

ところが、2004年にウクライナで欧米型の民主化路線を目指すユーシェンコ氏を推すオレンジ革命が勃発し、その結果ウクライナはそれまでの中立路線から、NATOとEU加盟を目指す方向に急速に舵を切った。新たに成立したユーシェンコ政権が主張し始めたのが、ロシアに対するクリミアからの将来的な黒海艦隊の撤退要求とセヴァストポリ軍港の租借期間の2017年以降の延長拒否であり、それはロシアに対してウクライナとの間で潜在的に安全保障上の大きな脅威が存在していることを知らしめることとなった。

一方ロシア国内では、2期目に入ったプーチン大統領のもと経済が力強い成長を遂げ、政治的には大統領に対する国民からの高い人気を基盤に、中央集権的な体制化を進め、ヨーロッパとは異なる方向性を志向する姿勢を急速に強めていた。

しかし、こうしたロシア国内の状況とは裏腹に、旧ソ連圏の東欧諸国は次々にロシアから離れ、NATOとEUへの加盟の方向へ突き進んでいった。早くも1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟したのを皮切りに、2004年にはルーマニア、ブルガリア、スロバキア、バルト3国が、NATO加盟を果たした。また、EUへは2004年にチェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、バルト3国が、2007年にはブルガリア、ルーマニアが加盟を果たしている。

東欧地域を取り巻く状況がこのように急変する中で、ヨーロッパとは異なる勢力としての新たなロシア国家像の確立を目指すプーチン大統領は、ロシアが目指す方向性を欧米諸国に明示し、ロシアの安全保障にとり脅威となるNATOの拡大を止めるよう警告を発する必要に迫られた。その場となったのが、2007年2月のミュンヘン欧州安全保障会議(die 2007 Münchner Sicherheitskonferenz)の席上でのプーチン大統領のキーノートスピーチだった。

欧米主要国の首脳と安全保障の関係者が集うこの賢人会議の場で、プーチン大統領は、アメリカの一方向的な対外政策とNATOの拡大がロシアの安全保障にとり大きな脅威になっていると痛烈な非難を初めて公の場で展開した。プーチン大統領がエリツィン大統領の後継者として、それまでと同様に開放路線を進むものと考え、将来的に欧米の一員に組み込む地ならしのためにG8メンバーにも受け入れていた欧米各国は、プーチン大統領が目指すロシアが実は全く別のものであるということを知ることになる。

そして、その後2008年に起きたグルジア危機が、ロシアとアメリカの亀裂を決定的なものにした。黒海沿岸のグルジアはソ連崩壊により分離独立していたが、その領内に残された紛争地域南オセチアの保護の名目で駐留していたロシア軍と、実質的にアメリカが後ろ盾となっていたグルジア政府が交戦状態になり、反撃に出たロシア軍がグルジア領内に大規模に侵攻する全面戦争に発展したのだ。

ロシアとグルジアはお互いに相手が先に戦闘を仕掛けたと非難し合い、最終的には当時EU理事会議長国を務めていたフランスの仲介で停戦に至ったが、このグルジア危機は拡大するNATOとロシアの安全保障が深刻な対立を生む事態を白日のもとにさらすこととなった。

ブッシュ(子)政権の後、2009年に就任したオバマ大統領は、ロシアとの関係を修復すべく、ロシアがNATO理事会に参加する協議の場を設けるなど新たな対露融和外交を進めたが、2014年に勃発したウクライナ危機がロシアとアメリカとの亀裂を再び深刻化させることになる。

ウクライナでは、ユーシェンコ大統領がアメリカの後ろ盾のもと親欧米政権を樹立していたが、政権運営の失敗により自滅し、その後2010年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が就任した。ロシアへの接近を強めたヤヌコーヴィチ政権は、それまでウクライナが進めてきたEU加盟に向けた手続きを2013年11月に突然破棄した。これに触発されて2014年に入ると、親欧米路線の抑圧に反発する大規模な市民の抗議活動が広がり、その結果ヤヌコーヴィチ大統領はロシアへの亡命を余儀なくされ、再び親欧米派がウクライナにおける主導権を握ることになったのだ。

このウクライナにおける一連の親露派失脚と親欧米派の巻き返し劇が、ロシア軍のクリミア海軍基地の存続を再度脅かす危険性を秘め、安全保障上の決定的な脅威となることを察知したロシアは、素早い行動に出た。2014年2月から3月にかけてセヴァストポリ海軍基地があるクリミアにはロシア系住民保護の名目で、隣接し同様にロシア系住民が集中するドンバスには親露派勢力を後押しする為に、一気に両地域にロシア軍を展開させたのだ。

もともとロシア海軍が駐留してロシアにとり地の利があるクリミアは、ほぼ無血に近い形で迅速にロシア軍が占拠するに至った。クリミアの併合を宣言したロシアは、G8への参加資格を剥奪され、NATO理事会との窓口からも事実上締め出され、アメリカとNATOはロシア封じ込めに転じることになる。

ドンバス地域については、ウクライナ政府軍が激しく応戦し、親露派による完全占拠を許さず、停戦とその後の地域安定化に関する合意が取り交わされたのは、すでに述べた通りだ。そして、取り交わされた合意であるミンスク2合意は、停戦を急ぐことだけに主眼が置かれたことと、その後の安定化プロセスに関してはロシア側の意向が有利に反映された内容であったことから、ウクライナ政府側もその後は積極的に推進しようとはせず、頓挫したままの状態が続いている。

親露派失脚後のウクライナでは親欧米派の巻き返しにより、ポロシェンコ政権が誕生し、その後2019年にやはり親欧米派のゼレンスキー政権が誕生して今日に至っている。対露強硬姿勢を貫きアメリカからの強い支持を受け、ドンバスとクリミアの奪回を推し進めようとしたポロシェンコ政権に対して、現職のゼレンスキー氏はロシアとの対話による緊張の緩和を主張してウクライナ国民の幅広い支持を受け大統領に当選した経緯がある。

一見すると、ポロシェンコ政権の方がロシアにとり脅威であったかのように見えるが、実は現ゼレンスキー政権の方がはるかに脅威が大きいとロシア側は判断しているのではないかと筆者は考えている。ウクライナ東部出身のゼレンスキー大統領は、自身の母語もロシア語でありロシア語圏が集中するウクライナ東部において圧倒的な人気を誇ってきた。その上、政界進出前はコメディアンとして全国的に幅広い人気を博してきたので、ウクライナ西部でも同様に高い支持を受けてきた。

したがってゼレンスキー大統領は、ウクライナ語圏地域だけを支持基盤としていた前任者のポロシェンコ氏とは異なり、ウクライナ語圏とロシア語圏の双方から強い支持を受けることに成功しており、ロシア語圏地域だけををウクライナから切り取って分離させることを狙ったこれまでのロシア側がとってきた策が簡単には通用しない状態にある。

このことを裏付けるかのように、ゼレンスキー大統領の就任後、ウクライナ側の対話の求めに対してロシア側はあたかも逃げるかのような姿勢を貫いている。そして、ロシア側はウクライナがドンバスの親露勢力代表者達と対話することを求めている。これに対して、ウクライナ政府はそうしたドンバスの親露勢力が正当な地域代表者ではないとしてこれを拒絶している。

ドンバス地域では、実は2014年の紛争勃発時から行政・軍事・警察組織にロシアの軍と情報機関の関係者が送り込まれており、事実上ロシアの直轄地として運営されているのが実態だ。さらに近年は、ウクライナ政府軍に対する挑発的戦闘行為を担う目的で、ロシア傭兵が投入されている。この傭兵部隊は、シリア紛争に投入されたのと同じアルゼンチン登記のワグナー社が派遣しているもので、ロシア政府が公式には自分達とは無関係と常に主張する部隊だ。

ゼレンスキー大統領のドンバス親露勢力代表者が正当な地域代表者ではないとする姿勢から、ゼレンスキー大統領側がこうしたドンバスの実情とロシアとの効果的な対話方法についてすでに熟知していると見るべきだろう。そして、昨年春からのウクライナ国境へのロシア軍の大規模な展開は、手の内を見透かされたロシア側が追い込まれてとり始めた手段ではないか、そのように筆者は考えている。

つまり、ドンバスをも含むウクライナ東部での人気も高いゼレンスキー大統領が本当に対話を通じて緊張緩和を目指すと、ドンバスは最終的にウクライナ側に戻ってしまうとロシア側が危惧している可能性が高い。その場合にロシアが次に恐れるのは、クリミアもウクライナに戻り、その結果クリミアのロシア海軍の拠点セヴァストポリ基地の存続が再び脅威にさらされる事態であろう。

このように見ていくと、ウクライナ問題の本質とは、ソ連崩壊後の東欧圏が雪崩を打つようにロシアから離れEUとNATO加盟の方向に走ったことと、ヨーロッパとは異なる新たな勢力としての国家像を構築するプーチン政権下のロシアが抱える主に黒海沿岸地域をめぐる安全保障上の問題とが激突してもたらされたものといえる。

プーチン大統領がNATOの不拡大を求める中で、特に強調している地域がウクライナに加えてグルジアも含んでいるということが、そのようなロシア側の懸念を暗示している。グルジアはウクライナと同様に黒海沿岸に面し、ロシアの東側に位置する。仮にウクライナとグルジアが将来NATOへの加盟を果たした場合は、黒海沿岸においてロシアは安全保障的に西側のウクライナと東側のグルジアのはさみ打ちの状態に陥るという問題を抱えている。

ロシア内陸中心部に直接つながる黒海沿岸地域は、ロシア本土の安全保障上の要であるだけではなく、黒海からボスポラス海峡を通じてつながる地中海に沿って、シリアを中心とする中東及びリビアを中心とする北アフリカに軍事展開を行っているロシアにとり、戦略的にも重要な拠点でもある。

したがって、ウクライナ問題解決のためにロシア側と協議していくためには、こうした黒海沿岸とクリミアのセヴァストポリ海軍基地を取り巻く安全保障環境をロシア側と合意していく必要があるだろう。むしろ、こうした安全保障上の問題でロシアとの間で納得出来る結論に達することができれば、ドンバスの紛争は即時に収束できるのではないか、そのように筆者は考える。

そして、ロシアとウクライナ、アメリカ及びNATOの間を取り持つのには優れた仲介役が必要だろう。安全保障と領土が関わる問題については、当事国の政治家同士だけの協議に委ねると、国内世論を考慮した強いポジションからの主張の衝突に終始しがちだからだ。

今回フランス・マクロン大統領がEU理事会議長国の立場として行う仲介がうまく進展すれば、それはヨーロッパ外交史上の大きな金字塔となるだろう。特に、連邦議会が極度に内向きな傾向を帯びている現在のアメリカが、ヨーロッパにおいて積極的な外交・安全保障上の関わりに躊躇を見せる中、このようなEUが主導するヨーロッパ域内外の外交・安全保障上の動きが今後より重みを増すと思われるからだ。そのように筆者は考えている。

(Text written by Kimihiko Adachi)

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