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社会は冷たい

夏の終わり、もう、なかなか会えなくなるであろう知人に、「無理は言いません、もし、お時間あるならば、公園でお話しながら一杯いかがですか?」と誘いの連絡をしたら、是非とも、よろしくお願いいたします、と直ぐに返信があった。

同じ職場に出勤していた彼は、その日「具合が悪いから今日は行きたくない」とメールで連絡してきた。約束の数時間前の出来事。具合が悪そうには見えなかった。

「私とプライベートで会いたくないんだな」と一瞬で察した。

随分世話をして、今後の将来への手助けをしていた最中だったから、全て余計なお世話で、相手は迷惑だと無意識に考えていたに違いない。違う、と否定されても、行動に潜在意識が出てしまい、弁解の余地は無い。しかし、嫌なら、初めから約束しないで欲しかった、、、。守れない約束はしてはならないのだ。

その夜「申し訳ありません、いつか必ずやお礼を、、、」とメールがきたが、私の心は既に冷めていた。

「今日」の約束が守れない人間に、「次」の約束をされても信用は、無い。それが現実だ。

それに、当日ドタキャンなんて、相手を下にみている、馬鹿にしているから出来る所業である。

これが、森山大道との約束なら、彼は血を吐いてでも駆けつけたであろう。

全く、口だけの経験不足な若者がする事であり、私も内省した。なめられたものだな、、、。

ビジネスなら即アウト

そして、私は彼と絶交した。

二つ理由があった。

一つは、単純に腹が立った。大人気ないと言われても困る。私は真剣に彼の写真活動を支援すべく、魂を燃やして取り組んでいたのだ。それは、尊い時間であり、彼の作品は売れたし、新聞に記事が載り、沢山の方が彼の作品に触れる事が出来た。それは、私にとってもかけがえがない喜びと経験になった。共に一つの個展を作り出した仲間に裏切られたら、真剣に怒らない方が無礼であり、人間的でない。だから、腹が立ち、真剣に怒った。そして、その後、猛烈な悲しさに襲われた。私はとどのつまり、悲しさを誤魔化すために怒っていたのだった。

もう一つは、彼の未熟さを叩き直すべく、叱りたいと考えたからである。写真家として活動する際に、企業との契約などもあると思うが、その際に、相手が嫌いだからドタキャンする、とか、大事な日に標準を合わせて体調を整えられないなんて、致命的なのである。

チャンスは、一度きり。

それを逃したら、もう後はない。社会は厳しい。私なんか、ハチミツくらいに甘いとおもう。

社会は失敗したら、怒りさえしない。無視して、相手にしないだけだ。はじかれるだけ。


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たった、1本のビールをお世話になった人と飲む。

その約束をドタキャンした事により、彼は後悔しているのだろうか。

後悔して欲しい。

そして、約束はドタキャンしない。チャンスは一度きり。メールでは補えない信頼がある。人を見下さない、腹の底から敬意を払う。守れない約束はしない。人に本気で向き合わないとわからない事が沢山あるのだ、という事を胸に刻み、いつか木村伊兵衛賞を獲得し、世界に名を轟かす写真家になる事を影ながら祈る。


くたばるなよ。若者。


k.

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