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スラムダンク時代の「神奈川県バスケシーン」~モデル高校編

映画「THE FIRST SLAM DUNK」の公開からはや1年。同じ映画を2回以上観るのが初めてだった私が「THE FIRST SLAM DUNK」に関しては9回も観ることになった。いやぁ~本当に良かった「THE FIRST SLAM DUNK」。


ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!

多くの人が語っているように、これまでのスポーツアニメの常識を超越し、リアルにバスケの試合を体験したような高揚感に包まれる。

高校バスケを引退して35年・・53歳のジジイがあの頃の胸の高鳴りを思い出してしまったよ。スラムダンクに登場するプレイヤーたちとはレベルが違うけれども、夢中で駆け抜けた高校バスケ。同じ神奈川の地でダムダムしていた青春の日々。そう、私はスラムダンク世代である

オンタイムで漫画やアニメに夢中になったいわゆる「スラダン世代」ということではなく、スラムダンクの舞台設定になったと思われる80年代後半の神奈川県でリアルにバスケ部だった世代ということ。

「THE FIRST SLAM DUNK」を観て久しぶりに高校時代の胸の高鳴りを思い出した私は、ふとその当時――スラムダンクの舞台となったであろう1980年代後半から90年代初頭あたりの神奈川バスケシーン――を書きとどめておきたい衝動に駆られた。単なるジジイの思い出語りではあるが、よろしければおつきあいいただきたい。


○振り返りその1 翔陽はガチ松陽


1991年頃だったろうか、北斗の拳でラオウが昇天して以後ジャンプから離れていた私は、立ち寄った本屋で久しぶりに週刊少年ジャンプを手に取り、どうやら大人気らしい「スラムダンク」なる漫画を見て驚愕した。

「松陽・・・これって松陽じゃん!?」

そう、藤真健司率いる神奈川県屈指の強豪の翔陽高校を見てのことである。

湘北はベスト4にはまだ早い!!

当時、神奈川県の高校でバスケットボールをやっていた人間はだれしもスラムダンクで描かれている舞台になんとも強烈な既視感を抱いたと思われるが、なかでも「翔陽高校」は別格だった。

同じく神奈川の強豪として登場する海南大付属高校が相模工業大学大付属(現・湘南工科大学付属)だということもすぐにわかったが、こちらは一足先にDEAR BOYSにて湘南大相模高校としてモチーフにされていたのでインパクト面ではやや弱く「まあ、神奈川の強豪校を出すなら相工(そうこう)モデルだよな」といった感じ。
ちなみに、海南大付属湘南工科大学付属湘南大相模相模工業大学付属で、ときおり「あれ?どれが本当の名称だっけ?」となることがある。

一方で、翔陽のモデルだと思われる(まあ、ほぼ間違いないが)神奈川県立松陽高等学校は、「そこをピックアップするのか」といった驚きがあった。
確かに80年代、相工と松陽は互いにしのぎを削る神奈川男子バスケの2強でインターハイ常連校。スラムダンクの設定どおりである。

強豪校らしく部員もたくさんおり、ベンチ外の部員が客席から「いけいけ松陽、おせおせ松陽」の大声援を飛ばすのも漫画といっしょ(ペットボトルはつかっていなかったけど)。
もちろん全ていっしょというわけではなく、異なる部分も多い。特に大きく違うのは、藤真が兼任監督をしなければならなかった翔陽とは異なり、松陽には県下で名の知れた名監督がいたということだ。

もし、藤真の翔陽に阿部監督がいたなら、インターハイにコマを進めたのは海南と翔陽だったかもしれない。

それにしても校名はもちろんのこと、相工(海南)とのライバル関係も含めて翔陽はまんま松陽で、当時の私は作者が神奈川県出身だと確信し「どの高校出身よ?!」とプロフィールを調べたものであった。鹿児島県立大口高等学校だった。

鹿児島出身の井上先生がここまで詳細に「80年代後半から90年代初頭の神奈川県バスケシーン」を描けたということは、実際に試合会場に足を運ぶなどしてかなり綿密に取材したのだろう。


○振り返りその2 神奈川男子歴代最強チーム


1990年から連載がはじまったスラムダンク。井上先生が構想を練るにあたり試合会場に取材に訪れるとしたら、その前年の1989年というのが一番信憑性があるのではなかろうか? 

湘北のサクセスストーリーを描くには強力なライバルが必要で、あくまでも私の想像だが、井上先生は「神奈川ナンバー1の常勝チーム」を湘北のライバルとして登場させることは最初から構想にあったと思う。
では、当時の神奈川ナンバー1はどんなチームだったのか?

1989年の神奈川男子バスケシーン、誰もが認める神奈川ナンバー1は、3年の赤穂真、2年の南山真沖田眞といったスタープレイヤーがインターハイ・ウインターカップともに全国ベスト4へと導いた相模工業大学付属高等学校である。

私はこのチームが「常勝・海南」のモデル校であると思っているのだがいかがだろう?

あの文字が見えねえか?海南のプレイヤーなら甘ったれたことを言うな

そしてこの1989年の相工が神奈川歴代最強チームじゃないかと。もちろん今の若いコたちの方が圧倒的にスキルは高いと思うので単純比較はできないけれど、全国大会の実績や、赤穂、南山、沖田のその後の日本バスケシーンでの活躍度を考えるとけっこう妥当かなと。

赤穂と沖田は、スラムダンクのキャラクターのモデルになっているともいわれており、赤穂は「赤木剛憲」のモデル、沖田は「藤真健司」のモデルではないか?といった考察をネットで見かける。
これは、うーんどうだろう? ありそうだしそうでもなさそうだし。まあそもそもキャラクターはいろいろな要素の複合なのだろうから、「この人」とピンポイントで断定することはできないよな。長くなってしまうので、このあたりの考察はまた別の機会に。

ちなみに、個人的には海南の「牧紳一」を構成するモデルの一人は、「佐古賢一」だと思ってる。彼は北陸高校だけど中学は神奈川県だしね。


○振り返りその3  母校は登場したのか?!


「翔陽は松陽だな」とか「海南は相工だろ」とか、スラムダンクに登場する神奈川県のバスケットボールエッセンスを必死に探していたかつての私は、ふと

「もしかしたら自分の高校も作品内に登場しているのでは?」

と考え、第79話に描かれた神奈川県予選のトーナメント表から、母校の痕跡をくいいるように探したことがある。トーナメント表がこれ ↓ 
漫画を元に作表してみた。

モブ高校ぜんぶテキトー(笑)


しょせんモブ高校はモブ高校。ぜんぜん神奈川県の実在高校に寄せられていない。湘北が対戦した三浦台、津久武あたりがかすかに地名をかすっている程度で、もちろん私の母校の影も形もない。少しばかり期待した私はかなり残念な気持ちになったことを今でも覚えている。
ちなみに、結構有名な小ネタとして、トーナメントの中でダウンタウンの二人とウッチャンナンチャンの二人がそれぞれ対戦しているので、暇な人は探してみてください。

ただ、このトーナメント表も実は結構リアルで、4ブロックそれぞれにスーパーシードがあって、スーパーシードは一つ勝てば決勝リーグにコマを進められたのは当時の実際の神奈川県大会同様(今もかな?)で、スラムダンクは本当に丁寧な取材のもと描かれた作品なんだなぁといまさらながらに関心した次第である。









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