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チンプラ

1月に初めて短編の小説を書いてみた。もちろん世の中にある小説たちの足元にも及ばない駄文だが、自分の中では一握りの自信とある程度の達成感があった。褒めてくれる人もいた。少し小っ恥ずかしい思いがあったのだが、素直に嬉しかった。自分の中で、「評価されてないのは知られてないだけだ。」なんてさえ思ってしまった。これは小説を書いたことに限らずだ。「金も何もなかったけど20代なんて根拠のない自信だけはあったよね」なんて、成功した誰かが何かのインタビューで言っていたのと、今の自分を勝手に重ね合わせるようにしていた。


ある日、友達と鍋をしていた。プチっと鍋という鍋のスープポーションが4つ入った便利なやつだ。以前プチっと鍋をした際に4つ全部使い、結構スープが余ったという感覚があり、2人前分だったので、2つポーションを入れて具材を煮込んでいた。食べ頃になり、楽しい雰囲気でいざ実食という場面で、「なんか味薄いな」と友達が言った。僕は咄嗟に、「そうか?こんなもんやろ」と言った。

たしかに美味しいのだが、以前4つ使ったときよりも、薄くは感じた。だが、僕は頑なに「2つでもそんな変わらんくない?」と続けた。

今思えば、「そう?ほなもう2つ入れよか」と言って、素直に2つ追加すればいいのだ。だが、僕は「2つでも全然イケる」と対抗した。

変に対抗してしまったために、友人は「うん、まあいけるけどもな、うん、」とマロニーと共に思考を咀嚼して、マロニーとともに自身の思いを飲み込んだ。

「あと2つ入れたいと言いたいけど、言うほどでもないな」という吹き出しが目に見えた。


無言の中、ただただ2つのポーションが決まりが悪そうに佇んでいた。

サブ組のポーションたちは「俺らはアップできてますけど」と言いたげだったが、言うほどでもないので、気持ち悪そうに居座っていた。

楽しい鍋の場は一瞬にして変な空気に変わった。僕の変な意地で場を凍らしてしまった。



強火で加熱していたはずなのにね。



うん、



ね。



は?



結局、後に2つ追加することになるのだが、一度抵抗したがために、僕が"折れて渋々入れた感じ"になり、友達が"我儘を聞いてもらった"という構図になってしまった。


僕が素直に2つ追加してさえいれば、このなんとも言えぬ気持ち悪い空気になることはなかったはずだ。


今回も、「2つでもいける」と言いながら、頭の中では「別に入れたらええやん」と思っていた。


だが僕は、2つのポーションで鍋を開始してしまった手前、味が薄いと言われたときに、「鍋の先行きも見通せない出来ない奴」と思われているようで、それが認められなかったのである。

「鍋もろくに作られへんのか」と思われるのも嫌であり、「突然起きた問題にもフレキシブルに対応できへんのか」と思われるのも嫌なので、引っ込みがつかず「2個でイケる」という一本綱で事を治めるしかなかった。

要するに、出来ない奴と思われたくないプライドが自分の中にあったのだ。


自分はこのような"別にええねんけど、まあ、言うほどでもないな事案"に対して、強気に熱を帯びて、無駄な問答に持ち込んでしまう節が度々ある。


チンケなプライドである。
まじチンケ。所謂チンプラ。


このチンプラが先行したために、友達に何も言わせない状況に持ち込み、知らないうちに可愛い自分を守るようにバリアを張っていたのだ。


こういった事が起こる要因であるチンプラの生い立ちは、恐らく"特に大失敗した経験がない人生"を歩んできたからであろう。

学生生活でも、"ある程度なんでも卒なくこなす奴"として生きてきた。

もしかしたらその頃から言わせないようにしてきたのかもしれないと思うとゾッとする。


こういった高慢さ、いや、先天性のチンプラ、いや、ナチュラルボーン尖りはすぐさま破壊しなければいけない。


そうしなければ、恥が増えていくだけである。


このナチュラルボーン尖り、通称"ナチュトガ"やチンケなプライド、通称"チンプラ"は、「なんかクール」とか「落ち着いてるよな」といった、パーソナルイメージを無意識に作り上げてしまっていた。

そんなことはないのだ。


善意の塊である点字ブロックにはよく躓くし、物事の説明は頭に入ってこないし、バイトのレジでさえ緊張してしまう。

プラスからのマイナスのギャップほど損なものはない。自分は3学期にモテるタイプになりたかったのだ。その頃には素質がバレてバレンタインは貰えない人生だった。

愛嬌がない分、先輩にも可愛がられたことはない。

自分が可愛いと信じて止まないのかもしれない。

自分が自分で可愛いと思う分、側から見ると可愛げがないのだ。



素直に、"てへぺろ"ができればどんなに楽だろうか。



「評価されていないのは、知られてないだけだ」なんて思っていた自分もまさにその典型である。


高慢な姿勢は破壊するに越したことはない。


ただ、出来る出来ないに関わらず、根拠のない自信は持ち合わせていたい。痛みを知ってもだ。


これからはポーション3個ぐらいでいこう。


高慢は破壊して、維持するのだ。








20年後の俺、クイックジャパンにて

「20代はなにかしら世間に対して、人に対してもかな、常に怒りは抱えてましたね。笑
それをエネルギーに変えていたというか。自分が表現するものにそれも落とし込んでたと思いますね。あの頃は金も地位も何もないけど、ただ根拠のない自信や、怒りが原動力になってた。ただただ遠回りでしたね。笑
あの頃の自分に言いたいです。そんなに怒んなくていいぞーって。笑」


このままいくと、キモい40代になりそうです!!

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