笑わないあの子

小学校何年生だっただろうか。"お楽しみ会"という毎学期末に開催される催し物があった。毎月初めに開催される"席替え"と同等の、小学生が狂喜乱舞するイベントだ。この会では主に1ヶ月前あたりから出し物を決める。例えば、手品を披露するグループもあれば、楽器演奏をするグループもある。当時流行っていたORANGE RANGEをカバーするグループもあれば、クラスのお調子者たちは新喜劇のような寸劇を披露する。各々がクリエイティブに行動し、見ている者たちに喜んでもらおうと計画を立てる。皆、「しけんのは嫌や」(※しける=しらける)「スベるのだけは避けよう」などと、この頃からお笑い表現やお笑いリテラシーを獲得していると考えると、関西の根強いお笑い文化には恐れ慄く。

ただ、それだと引っ込み思案な子供たち、特に一部の女子なんかは、なかなか行動を起こすことができない。そんな当時、一度だけ"クラス全員で変顔大会"が催されたのだ。「引っ込み思案な子でも変顔ぐらいはできるやろ」と、意地でも笑いへの強制参加を辞さない当時の担任の姿勢。僕の隣にいた女子は「攻めるのは怖いから、守りは固めていこう」と、なぜか大会への参加に前のめりであった。

僕はお調子者メンバーの部類に属していたので、「優勝しか見えてない」と変顔名門校の雰囲気を漂わせていた。小学生男児といえば、変顔。変顔を制すものは学校をも制す勢いであった。逆に言えば、変顔しか笑いの取り方がわからなかった。そんな最強のリーサルウェポンを奪われるくらいならば、楽しく学校生活なんて過ごすことができなかった。

 トーナメント形式で大会の火蓋が切って落とされた。大会が進むにつれて、勝ち残っていくお調子者のメンバーたち。日々鍛え上げた変顔で、にらめっこを難なくクリアしていく。そんな血の気にまみれた男子たちを物ともせず勝ち上がっていた1人の女子がいた。その女子とは、隣で「守りは固めていこう」と言っていた女子であった。

なんと彼女は、"真顔"だけでトーナメントを勝ち上がっていたのだ。自ら顔を崩す行為が恥ずかしいのか、はたまた己の顔面のデフォルトがもうすでに変顔であると認識しているのか、清々しいまでに守備的な戦術をとって勝ち上がっていたのだ。

敗戦した男たちに話を聞くと、「何しても無反応やったから、なんかもう、笑ってもうたわ」と、自分の実力の限界を突きつけられた結果、悲しくなって笑ってしまったという。なんて無慈悲な女なんだ。対戦相手の男どもは、一切笑わない相手に対して、次々と匙を投げていった。まるで、ナンパに失敗した男たちの背中を見ているようだった。これは変顔が面白いかどうかではない、いかに強い気持ちで挑めるかどうかの戦いだったのだ。


 そのまま彼女は真顔だけで決勝まで勝ち上がってみせた。とんだ大波乱である。そんな決勝の対戦相手は僕だ。僕は僕で、様々なパターンを駆使して決勝までなんとか勝ち上がった。思い返せば後にも先にも、この"クラス全員変顔大会"でしか、決勝と名のつく舞台には立っていない。

荒れた状態ながら、決勝が始まる。対戦時間は3分。僕は立ち上がりから流れるように様々な変顔を繰り出して見せた。果敢に攻めるのだが、向こうは全く笑わない。1分半を過ぎた頃から、変顔のパターンも底をつき、同じ変顔を繰り返した。周りからは「それさっきも見たわ」「リプレイ?」「再放送かよ」と思われながらも、一心不乱に変顔を打ち続けた。「攻めに転じない女の姿勢を批判せえよ」と思いながら笑かそうとする僕と、まるで合気道のような捌き方で笑わない女。勝負は残り30秒のところ、僕は万策尽きて、とうとう手を幅広く使って見せたり肩を動かしたりして、大きな動きで笑いを取ろうとした。虫っぽい動きやデューク更家ばりのポーズなど、愚鈍な仕草や流行りの動きを取り入れることにより、浅はかな目の前の笑いを取りにいこうとした。もう変顔どうこうではない。

勝ちたい一心だった。なによりも結果だった。

周りから「安易やな」「そこ手出したか」と言われようとも、とにかくこの女を笑かしてやりたかったのだ。それでも女は笑わない。心が折れそうになった。経験上、恐らくあれが初めての挫折であろう。お調子者として無双状態にあった僕にとって、こんなに笑わない奴は初めてだった。心が折れ、僕の手、いや顔が止まりかけたその時だ。

彼女は急に、歯茎を見せてきたのだ。

散々真顔を貫いてきた彼女が残り数秒のところで歯茎をチラ見せしてきたのだ。変顔ともいえない、ただただ歯茎をチラッと見せる行為。いやなにそれ。強烈なカウンターパンチ、いやカウンター歯茎。散々技を出させた後、勝負を終わらせるように歯茎をチラ見せしてきたのだ。絶対王者の風格。小手先の笑いに走った僕を嘲笑うかのごとくチラ見せした歯茎。初めて見せつけられた女の子の歯茎に、僕はついに笑ってしまった。

彼女は、抜群の戦闘力を持つ百戦錬磨の達人のように、指一本で相手を捻じ伏せる仙人のように、圧倒的な戦い方で僕を退けた。

自分の実力が全くもって通用しなかったこと。そして今までやってきたことが、全て無駄であったのだと、この大会で思い知らされることになった。あの歯茎チラ見せには全く歯が立たなかった。

彼女は「めっちゃ笑いそうになったで!」とアフターフォローをしてきたのだが、そんな言葉などいらなかった。彼女は歯茎をチラ見せした真意を全く教えてくれなかった。なぜあそこで"歯茎をちょっと見せる"という発想に至ったのか。あれはゲームプランとしてデザインしていた形だったのか。あのタイミングをただただ狙っていたのか。それとも強者の余裕だったのか。僕には全く見当もつかなかった。彼女の変顔プレイヤーとしてのポテンシャル。そして、底知れぬ変顔バリエーションの片鱗。チラ見せ歯茎は氷山の一角だったのか。彼女にとって、僕のようなレベルの人間には分からないということであろうか。発想力の差に愕然とした。そして、シンプルなフォローの声をかけられるほど屈辱的なものはない。築き上げてきたプライドはもうズタズタである。小学生男児の必死な変顔の猛攻を歯茎のチラ見せで平伏す。センスの差を見せつけられたのだ。「惜しかったな〜」「めちゃくちゃ押してたで!」とみんなは労いの言葉をかけてくれたのだが、誰にも話しかけて欲しくはなかった。圧倒的な変顔センスの差に平伏すしかなかった。自分の稚拙さに腹が立った。教室を飛び出して、僕は廊下の窓から空を見上げた。


「次は笑かしたる」


あの日から、僕はみんなの、そしてあの子の笑顔を見るために"笑いを取る"と決意した。

そんな笑わないあの子の真顔を、僕はもう覚えていない。

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