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U-25

「笑いの金メダルって終盤100万円ピッタリにする企画と節約レシピの紹介で生き抜いてたな」なんて思い出す今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで各方面から微賛の小雨ということで、今回もつらつらと書いていこうと思う。

もっと更新頻度を上げれば、否定の声も挙がるほど認知されたりもするのかな、なんて薄紅色ほどの淡い期待を抱きながら書き始めている。

最近、「U-25」という表記をよく目にする。25歳以下であれば、割引が適用されるというあれだ。現在25歳の僕は、一応これに該当するわけだが、この"25"という数字の基準が"若い"からなのか、はたまた"キリがいい"や"割りやすい"からなのか、どういった理由で設けられているのかはわからない。僕は"若いから"という理由だと頑なに信じて、このプランの恩恵を受けまくっている。
自分的には、もうすでにオーバーエイジ枠として世の中に出ているつもりではあったが、社会が「まだまだヤング」と言ってくれているようで嬉しかったりする。

とは言っても、「U-25」のラストイヤーである。社会から、「そろそろ本腰入れて大人やりや」と、圧を感じている。

思い描いていた25歳と違うかどうかと問われれば、言わずもがなYESではない。しかし、生まれてこの方"今を生き抜いてきた"系人間で、確固たるプランニングもなく25歳を迎えたのでNOとも言えない。まあ10代の頃は25歳にはバイトなんてしていないと思っていたので、その点は大幅な誤算である。

自分はどんな人生を送ってきたのかななんて思い始める。簡単に大きそうな出来事をまとめてみた。

15歳 高校入学

16歳 高校生活

17歳 受験勉強

18歳〜21歳 大学生活

22歳 NSC入学

23歳〜25歳 バイト時々芸人


思っている以上に終わっていた。びっくりした。ギュッとすれば3年。スカスカの10年。3、4年を一気にまとめられることってあんの?履歴書にも書けないほどの10年である。

「思い出は枚挙に遑がないのだが、何か大きい出来事と言われれば、まあそんなにないわな」と自分に言い聞かせ落ち着いた。いや、まあ細かく言えばそこまで希薄ではないのだが。うん、なめんな


この10年の積み重ねを見れば、この25歳の現状にも合点がいく。

常に、点と点は線になってしまうものだ。

高校を卒業したときに、自分がツイートした内容を思い出した。

「今は過去になるけれど、今は未来の過程でもある。長く短い3年。けれど、永遠に刻まれる3年。」

18歳の自分は、なんかほざいていた。しかし、18歳の自分に嫉妬する自分もいた。

「体言止めを駆使しているあたり、受験勉強の成果をアピールしつつ、知的で大人な一面を垣間見せよんな」と呟き、すぐさまアカウントを消して、僕は過去を切り捨てた。


10年以上前に、テレビで嵐の相葉くんが25歳の誕生日を祝われているのを思い出した。相葉くんが六本木でシャンパンを開けている間に、僕は大阪の片隅で、コンビニのカレーに惣菜の唐揚げを乗せて、「CoCo壱より安い」と言いながら25歳の瞬間を過ごしたのだ。食べ終わった後に「こいつぁ発明だぁ」とも言った。一応芸能の端くれに生きるものとして、これほどの差を感じることはそうない。

相葉くんの25歳までの10年間はどんなものだったのだろう。きっとものすごい経験の積み重ねだったのだろう。


比較対象が強大すぎるが、このままいくと僕は、”つまらない大人”に限りなく近づいてしまう。


U-25のラストイヤー。25の自分は古くなっていくが、25の自分は未来の一部になる。僕は25歳に決心して、今日もコンビニのカレーを食べるのだ。


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