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マニフェスト

「なんで今回の支店表彰が僕じゃなくて本田さんなんですか!!」

私はほとんど怒鳴っていた。

それくらい勢いよく、上長である近野課長に当然の疑問をぶつけた。

「なに?松岡、支店表彰狙ってたの?」

「違います。僕が取れるか取れないかでなく本田さんが支店表彰っておかしいじゃないですか」

「なんで?」

「だって本田さん、別支店ですよ」


そう。本田は一年以上前に別支店へと異動している。

にもかかわらず近野は本田を今年も推薦し、2年連続の支店表彰を本田は受賞することとなった。


「たしかにお前があげた数字はでかいよ。その核となった案件も超大型だよ。でもそれは全部お前の力じゃないよね?」

「はい。今この支店に残っている皆さんのおかげです」

「そう。そしてその超大型案件を受注できたのは前任の本田の培った信頼があるからだ」

「僕と現在の客先担当者が一番最初に始めた仕事は、めちゃくちゃだった本田時代の書類関係、業務スキーム、体制の整理でしたが。それをフラットにできたから現在に至るはずです」


たしかに本田はイケイケだった。

入社4年目の26歳の彼女は毎年かなりの営業成績をあげてきた。数字だけでみれば若手のエース、いや社内全体でのエースと言っても遜色なかった。

そして1年目から教育係として彼女を育てた近野は、彼女の活躍を誇り、また、明らかに彼女のバックアップに力を入れていた。


だが彼女の物件を引き継いでわかったのだが、彼女のやってきた内容はあまりにもひどかった。

客先担当者が某大手宗教団体に所属していたため、彼女は休日のほとんどをその団体の集会にあて、平日は平日で客先担当者のプライベートな買い物の為に運転手をやっていた。

反面業務はひどく、行政への必要提出書類は何も出していなかったし、これまで稼いだ大金は客先も下請け会社も含めて全て正当性も中身もない超
概算金額で受発注が取り交わされていた。

彼女が作成した営業計画書には全く計画性がなく、本来の優先順位を度外視してとにかく高額案件から着手していっているため、当の現場は焼け野原だった。


『ここの客はとにかく機嫌をとってください。そうすればバンバン稼げますよ』

ある日そういう彼女に私は「そんな仕事のしかた、しちゃダメです」と苦言を呈した。説教に近かったのかもしれない。

すると翌日私は近野に呼び出され

「お前の考え方はゆとりだ。営業っていうのは客の靴を舐めてなんぼだ。その覚悟を持て。嫌でも耐えろ」

と激昂された。


サービスレベルの均一化こそ営業の仕事だと私は反論したが、その全てがゆとり的発想であると切り捨てられたのだ。


実際客先担当者は本田から私に担当変更になり、露骨に嫌悪感を示し、最終的には口をきかずに「松岡は話にならないから近野を出せ」とクレームを何度もいれてきた。

その度近野は私を連れずに謝罪に出かけ、客先の機嫌をとっていたそうだ。

この関連案件は全て近野が口出しをし、私はただその事務処理をする不遇が続いた。


しかし今年に入り、その客先担当者が異動となった。

それに伴い、客先は客先で新担当が配置され、そのタイミングで突然近野は「もうそろそろ松岡ひとりで大丈夫だろ」と口出しをやめた。


それは客先新担当にとっても、自身の前任、近野、本田、下請業者がズブズブであったことが明白であった。

それに伴う彼の苦難と腐りきっていた私のわずかに残っていた怒りは呼応し、私達は全てを一からやり直すこととなり、その結果として私は単月で売上約1500万円の超大型案件を受注し、単月で完了させる場外ホームランを放つこととなった。


これを受けての支店表彰。

支店内で最優秀と判断された者一名だけが受けれる表彰。

この不況下で課としてまだ8ヶ月を残しながら目標数字をほぼ達成させた近野課長の推薦は…

本田だったのだ。

「少なくとも今回の件、本田さんの活躍も助力も一切ありませんでした。別で何か表彰に値する活躍があったんですか?」

「逆にお前は今回完璧だったのか。そんなことないだろ」

「はい」

「たとえば業者のハンドリング、オペレーション、全然できてなかっただろ」

「そこですか?」

「業者が泣きついてきたのを知ってるか?松岡さん全然話と違う要求をするって。これじゃあこの金額じゃできないって。それを頭下げて当初の金額でやってもらえるように調整したのは、俺と本田だぞ」

「それはその業者使う予定なかったのに近野課長が直前で無理矢理捩じ込んできたからじゃないですか!!!!!」

「結局使うことにしたのはお前の判断だろ」

「話決まってたところに勝手に別会社使うからって断りの電話したからでしょう。それで時間なくてそこ使ったんです」

近野は直前になり以前から本田や近野自身が懇意にしている業者を使うように指示してきた。

私は私で別業者に手配をかけており、あらためてその紹介業者を過去の本田関連の経緯から信用できないと伝え断った。

すると近野は「好き嫌いで仕事するな」と私を一喝し、とりあえず見積はださせるからそれで判断してくれと言った。


かくしてあがってきた見積は、私が手配していた業者よりも120万円も高かった。


内訳もめちゃくちゃだった。不要な項目ばかりなだけでなく"なにかあったときのために 80万円"という項目もあった。


私はすぐに電話をし、見積を出すなら調査に行け、調査に行く時間がないならこの仕事やらせてくださいと言うなと激怒した。当たり前だ。もう一社が100万円でやるといっているのにこいつらは220万円かかると言う。この開きで精査されていないほうを信じるわけがない。


しかし翌日、近野は私に「正式にこっちを使うことにする。いいな?」と私に言った。

なぜですか?と当然の疑問を呈する私に返ってきたのは「トップダウンだからだ」だけだった。

「もう一社には俺から断りの電話いれておいた。どうする?この会社でやるか?」

「いやもう…それしかないんですよね?」

「まあ結果的には。仕方ないことだ」

「あ、じゃあもういいです。好きにしてください」

こうしてわけのわからない圧力に私は屈し、適正価格100万円の仕事を250万円で近野癒着業者に流すこととなった。

「何があるかわかんねえからふかせるだけふかしとけ」という指示でさらに30万円上乗せとなったのだ。


そんな会社をまともに扱えるわけがない。

そして現在、近野はそれを私の不徳とし、結果として無事に完了できたのは本田のおかげだとしている。

「あまりにも…あまりにもひどいです。損していると感じます。ありえない」

「わかる。わかるよ?俺も担当やってたから。色んな理不尽がある」

「いや理不尽もクソも味方に背中を刺されてるんです。それを理不尽と言うであれば間違いなく理不尽ではありますが」


「なあちょっと…」


近野は声を顰め、私を手招きした。

「会社としてな、女性役員の輩出がマストであり急務なんだ。本田はその最有力なんだよ。本田を役員にしなくちゃならないんだよ。わかるか」

「はぁ」

「だから今回は本田でいく。二年連続支店表彰は偉業なんだよ。だから頼む」

「いや事情は事情ですけど、僕はどうなるんですか?手柄横取りどころか僕のミスがあってそれをあのバカ女がフォローしたって報告になるわけですよね?」

「そこは悪いように報告しないから」

「ならその旨を僕にメールしてください。エビデンスがないと信用できません。その約束が守れなかった場合、僕は内部調査室に全部報告します」

「わかった」

数分後、今回の表彰に関して松岡についての内容は一切言及しない、というメールがきた。

それはそれでなんだか違う内容な気もするが、私は呆れ果て、疲れ果てており、もうそれでかまわないとした。

「承知しました」

私がそう言うと近野は周りにきこえるように大声で言った。

「また次、同じような結果が出せれば、必ずお前を推薦するから!頑張れ!」

それを上回るくらい大声で私は言う。

「いや!!!!一生要らないです!!!!」


慌てた近野はすぐに話題を変えた。

「何かやってほしいことはあるか?表彰にはできないけど、何か」


「いっっっかいも褒められてないので今回。せめて"これはデカイ案件だ"くらいはリアクションしてほしかったです」


「いやまあよくやったよ」

「あざまーす」


「よし。今週あたり飲みに行くか?」

「いや、緊急事態宣言下なので行かないです」

「あけたら行くか?」

「はーい」

もう私は、全ての感情を失っていた。

どうだってよかった。

どこまでも続く暗闇を、ただただボーっと眺めていた。


『松岡さんの大型案件、ちゃんと全部書類関係の処理終わりましたよ。これで完了です』

書庫で報告書を整理する私に、総務の井元さんは優しく話しかけてくれた。

「ありがとうございます。井元さんもすみません。ギリギリまでバタバタしてしまい申し訳ありませんでした」

『大丈夫ですよ。全然問題ないです』

そう言うと井元さんは、少し下を見て目を合わせないようにしながら私に続けたのだ。


『あの、良かったですね。大型案件の受注と完了。すごいです。おめでとうございます』


彼女がそう発した瞬間に、私を覆っていた黒く重たい暗闇が、透明になり、光輝いた。

何か自分の知らない身体の部分が、縦に飛び跳ねるのを確かに実感できた。

涙が出そうになった。

大人の男が泣くなんてカッコ悪い。

だから絶対泣くつもりはなかったが、涙腺は揺れていた。


「井元さん、飲みに行きませんか?」

『え、緊急事態宣言中ですよ?』

「そうですよね」

『明けたら行きましょう。一回松岡さんとカラオケに行ってみたいです』

「僕音痴ですよ」

『私もです』

「あの井元さん、一か八か言ってもいいですか?」

『何をですか?』

「僕結構本当に井元さんが好きです」

『ええ…ちょ…ええ…場所…』

「すみません。溢れました」

『…』

「ちなみにいまいまでいくと、"イチ"ですか?"バチ"ですか?」

『うーん…バチですね』

「バチかー」

『はい。ちなみにイチが何で、バチが何にあたるんですか?』

「いや僕に訊かれても」

『ええ…』

「とりあえずニュートラルに戻していただけますか?」

『わかりました』

「あの、ダメもとでお願いしてもいいですか?」

『なんですか?』

「このこと、誰にも言わないでもらっていいですか?」

『…』

「…」

『…わかりました』


あ、これ言うな。

これ言うわみんなに多分。


あー会社辞めてえ…

というよりは早急に辞めなければ会社。


「なんかもうダメですね僕。手首切ります」

『ええ!いやでも手首は残しておいたほうが…』


そういうことじゃねえよ…
天然かよ…


やばいなーマジで好きだ。どうすんのこれ。


何ごともそうだ。

ドン底にいても、天辺にいても、やるべきことは同じだ。

自分のやれることから、少しずつやっていこう。


何かが変わる。
これがきっかけなのかもしれない。


私は帰宅するその足で書店へと急いだ。

そして"カッコイイ身体になるトレーニング"という本を購入した。


まずは…糖質制限だな!


蓋をしていた筈の鼓動が、たしかに揺れた。

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