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よければ一緒に

少し前のことだが、名アーティストたるKanさんが亡くなった。

それが私にはあまりにもショックで、しばらくまともに生活することが嫌になってしまうほどだった。


私が人生で初めて買ったCDはポルノグラフィティのアポロであり、初めて親に買ってほしいとねだって買ってもらった曲は玉置浩二の田園だったわけだが、この歌はめちゃくちゃ最高だと初めて感じた曲も明確に覚えていて、それがKanさんの愛は勝つである。

故に思い入れは強い。


そしてap bank フェスで、桜井和寿と共に歌ったand I love youを聴いたとき、そのあまりの凄さと素晴らしさで全身に鳥肌が立った。


音楽にあまり興味の無い人からすれば、轢き逃げ犯のFUJIWARA藤本の悪意ある「一発屋」という表現がドンピシャなのかもしれないが、少しでもKanさんを知れば、いかに才能に溢れていてヒットメーカーで後進の育成にも力を注いでいて…全員から敬意を持たれ、慕われていたことがすぐにわかるだろう。


人生では仕事で辛い時とプライベートで辛い時、それぞれ違うしんどさを味わう機会がある。


私にとって後者を迎えた場合、Kanさんの"よければ一緒に"が耳元で流れ、いつも支えてくれていた。


時には旅などに出かけて刺激うけたい
どこか遠いよその国ならば期待も大
だけどひとりで旅立つのが心細いなら
よければ一緒に
そのほうが楽しい

航って巡って迷って困って
出会って助かってどうにか帰って来る

ぼくの人生この先どんなふうに変わるんだろう
君の人生この先どんなふうになってくんだろう
正直言えばそこんとこ見届けたいんだよ
よければ一緒に
そのほうが楽しい



まだまだKanさんのいる世界に、一緒にいたかったですよ。










『一緒に行ってほしいところがあるの』

エステオーナーはそう言うのでそれを承諾したところ、連れていかれたのは日本有数の名庭園である小石川後楽園だった。

『なんかたまにはちゃんと太陽の光を浴びなきゃいけないと思って。だから一緒に散歩ようと思ったの』

「あー…いいですね」


私はこの日、スパラクーアで岩盤浴をし、お酒を飲んだり古式マッサージを受けたりしようと当初誘われていた。

もちろん、スパラクーアが終わったあとは当然ながらラブホテルに行き、ホテル備え付けのメス牛のコスプレを楽しもうと猛っていた。

にも関わらずその前に行きたいところがと言われ、まあ10分〜20分程度で買い物かなんかするんだろうくらいに考えて承諾したところ、もう40分も松の木を見続けている。


『あー、私この松の木、永遠と見てられるわ』


「そうですね」


んなわけねーだろ。3分で飽きるわ…


もともと私はこういう庭園はもちろん、例えばアンコールワットやサグラダファミリアを見させられても10分で飽きてしまう。

それなのにせせらぎの綺麗な川や立派な松の木、ゆるやかに泳ぐ鴨を見たところで心が踊るわけがない。

だが先々のメス牛のことを考えるといまは耐えるしかない。


『次は稲田観に行こう』


稲田…稲みんの…いやしんど…


こうして私は正味2時間半も、このあまりにも美しい庭園を散歩することとなった。



帰り際、グッズ売場を見ていこうとエステオーナーが言うので、もう心底うんざりしていたが「えー、俺衝動買いしちゃうかもなー!」と忖度をした。

しばらく梅味の甘酒のペットボトルを眺めていると、隣でエステオーナーが『これすっごいいいなあ』と呟く。

見るとそれは都内の有名庭園の風景をまとめた2024年のカレンダーだった。


何度も何度も彼女は『いいなあ』と呟きながらカレンダーのページを捲っては戻し、捲っては戻した。

「…買ってあげましょうか?」

そう言うと彼女は目を輝かせながら私を見て、『え!?いいの!?』と喜んだ。


エステオーナーなのだから、私よりもお金は持っているはずだし、そもそもたかだか1500円のカレンダーくらい簡単に買えるだろうに、彼女はこれを買ってもらえることを大層喜んでいるようだった。


『ありがとう。大切にするね』

「めぐみさん、僕もう空腹が…」

『ごめんごめん、岩盤浴いこ』


こうして15時になり、ようやくスパリゾートへ向かうことになったのだった。








目の前にはベトナム料理が並べられている。

時刻はすでに16時半。

私たちはスパ内にあるベトナム料理屋で昼食をとっていたはずなのだが、1時間半経過してもまだこの店から出られない。


『あの子は自分の思い通りにならないとどうしても気に入らないんだよ』


エステオーナーの愚痴が止まらないのだ。

数年前から彼女が地域のバレーボール倶楽部に入ったことを私は知っていたが、現在チーム内の人間関係は最悪らしい。


というのも監督が地域外から有力選手を招聘することに力を入れ出したようで、その煽りで古くから所属する地元選手達が試合に出れなくなってしまったそうだ。

これによりチームか"勝つためには仕方ない派"と"いや地元チームなんだから地元メンバー優先しろよ派"で完全に二分化されてしまい、エステオーナーはどちらの派閥に所属すべきか迷っているという。


『チームの古株が私を議題に出すの。"めぐみが頑張ってるのに試合に出れないのはおかしい"って。"出れなくてどう思う?"って。だから"まあ私も下手なんで仕方ない部分もあるかなと思います"って答えたら、"そうじゃないでしょ"って。私が悔しい、納得いかないって言わないことで機嫌悪くなっちゃったんだよ』


正直、どうでも良い。

言えることはひとつだけで、それは登場人物全員チームスポーツに向いてないということだ。


だがそんなこと言えるわけがない。

こっちはやりたくて仕方ないんだから。

適当に相槌を打っていると彼女は続けた。


『それでね、頼みたいことがあって』

「いいですよ。なんですか」


『実はその人、ちょっとヤバくて』

「どうやばいんです?」

『このあいだ私コロナにかかったんだけどね、いきなり家のドアに大量のコンビニの食料がビニル袋に入ってかけられてたの』

「え、こわ」

『そう、怖いでしょ?だからすぐ捨てて何も考えないようにしてたら、そのバレーの人が私にLINEで"なんであなたのために差し入れしたのにありがとうもないの?"って。それでいまも怒ってる』


「それやばいですよ。ストーカーじゃないですか…」

『さっきも"普通連絡くらいするんじゃないの?"ってきてた。何してるの?って言われたから疲れて寝てますって言ったんだけど信じてもらえない感じ』

「え…それで僕に頼みたいことって言うのは?」

『あのね、そういうことやめてくれって伝えてくれない?電話でいいから』

「ぼ、僕がですか?」

『そう。男の人が言うしかないと思う』

「いや、あんた誰ってなりません?」

『うん。だから彼氏ってことで』

「いやいや、相手の方はめぐみさん結婚してるの知ってるんですよね?」

『大丈夫だよ。セカパ、セカパ』


まさかのここでセカンドパートナー。

やはりセカパなんかつくる人間は頭がバグっている。


『どう?お願いできる?』



くっそ…

性欲…何回俺を苦しめるんだ。

性欲のせいで狂った決断をいままでもしてきたがこれはロクなことにならないぞ。

ただそれでも性欲…くっそ…性欲め。


私は完全に正常な判断ができなくなっていた。


「あの、そろそろ岩盤浴行きません?もう18時…」

『そうだね。ごめんごめん』

「ここの代金は俺払いますから」

『ええ。いいよ。さっきもカレンダー買ってもらったし』


「いやいいですよ」


代金6700円分を私のロックナンバーへ全部付けるように店員へお願いをし、一息ついて私は続けた。



「さっきの話」

『うん。どう?』

「さすがに無理です。ごめんなさい」







彼女は露骨にガッカリしていた。

それもあって口数は減り、ただでさえあまり会話をできない岩盤浴は、もう気持ち良いとか眠いとかではなく、、、シンプルに気まずかった。


こうして私たちは岩盤浴を終え、もう一度スパで汗を流し、21時過ぎに退館した。


「あの…この後は」

『ごめんね。明日も早いから今日は帰るね』


ノーSEX確定…。

公園散歩とベトナム料理屋が長いからだよ。こうなるのわかってたわくっそ。


けれども私はここで思い出したように彼女に告げた。

「送りますから俺。危ないでしょ?」


それをきいて彼女は少しだけ嬉しそうにしたが、すぐに首を振って

『ありがとう。でも大丈夫だよ。さすがにそんなヤバいことにはならないよ』

と言った。


「めぐみさんは本気で言ってるのかネタで言ってるのかわからないことがたまにあります。僕はそれをすごく魅力に感じます。ただそれが、その人にとってはマイナスなのかもしれません」


『やっぱりそうかな?私のせいだよね』


「嘘です。そんなわけないでしょ。その女は病気ですよ。200%その病気女が悪い。だからとにかく、気をつけてください」


『意外とどんな言葉よりも嬉しいかも。カレンダーのお礼するね』


そう言って彼女はタクシーに乗り込み帰っていった。



まあ大袈裟かもしれない。

だが事件性はあるな、と正直思った。



生きていると、自分がどう対処すればいいのかわからないくらい、凶悪な存在と相見える瞬間がある。


以前私が揉めた相手は、私が「いや法律でダメでしょそんなの」と切り捨てると「それは法律が間違ってるんだよ」と激しく反論した。

どうしてそんな思考になってしまうのだろうか。


自分の気に入らない答えで怒ってストーカーする相手も、私をセカンドパートナーだとそのストーカーに紹介しようとするエステオーナーも…っていうか自分から離婚すると大騒ぎして私はセカンドパートナーがいると言ってホストに金を貢ぐYouTuberも全員が全員イカレてる。


京アニ事件のあの犯人なんて、最たる例だ。


なんでそんなことになってしまうのか。



そして私も紛れもなくイカれている。

わかってはいるのだが、多分相手からすれば話にならない。

全員が全員、病気だ。




落ち込むことが多い。

そこに加えて、親しい人や憧れの人の死が続いていく。


その都度思うことは、いまの年齢から考えて、これから先の人生は失うことばかりだということだ。


だがしかし、それは同時に、私は1人ではないということだ。


だいぶ恵まれている。



予報どおりに夕立パラパラ降りだしても

予想どおりに傘の備えなどぼくにはない

仕方ないからとりあえずここで雨やどり

よければ一緒に

そのほうが

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