コミュニケーションの豊かさ

コミュニケーションに用いられる能力は2種類。発信能力と受信能力だ。
口論はこれらの不足によって起きる。つまり、発信能力の不足ゆえの、誤った伝え方。と、受信能力の不足ゆえの、誤った受け取り方。

これらの能力が完全になることはありえない。
もし完璧に伝えたいことを伝えられるとしたら、それは自問自答していることになる。なぜなら、受け取り方には個人の人生経験なども含まれるからだ。たとえば、綺麗な海と聞いて思い浮かべるのが、イタリア人なら地中海、日本人なら日本海や太平洋、といったように。
そして、もし完璧に相手の伝えたいことを受け取れるなら、やはりそれも、自問自答ということになってしまう。

人間に違いがある以上、発信能力と受信能力か完全になることはありえない。しかし、私はむしろ、完全になってはならないと思う。

もし桜を見たときに1種類の受け取り方しかできないのなら、そこから発信される詩も短歌も1種類になると思う。

伝達と受信、個人と個人、その間にある違いが新たなものを生み出す。
人から人へ感染するウイルスはその度に変化する。情報も同じだ。

コミュニケーションの不完全さ、それが却ってコミュニケーションを豊かにし、分かり合えないもどかしさと、分かり合えたときの喜びをもたらすのではないかなと思う。

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