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風が吹き、猫が身体の中に入る

 2021年冬、「せっかくやってるし」と、義務的な思いでМ‐1グランプリを見た。6017組が出たらしく、これがぜんぶコンビだとしても×2で12034人が参加していたことになる。そのうちの10組だけが、決勝戦に出る。

 トップバッターは点数の基準になるため低く点数を付けられがちだが、それでもトップバッターとして歴代最高の点数を取っていた。すごい。でも別の意味ですごいやつがその次に来た。ランジャタイだ。

 真っ赤な靴を履いた真っ黒なこけしみたいな、昭和の名優感ある顔立ちの男と、スニーカー黒ズボン白無地ティーシャツ、ラフすぎる身なりの男の二人。黒こけしは全身がこわばっている感じだが、ラフ男の方はこれから銭湯に行くような緩さで首をひねり肩を回していた。

 芸人なら誰しもそこに立ちたいと思う舞台の奥、2人は昇る床にいた。SEが鳴ると、床がせり上がり、きらびやかなセットへ姿を現す。そこから黒こけしは一歩一歩を踏みしめて客席への階段を降り、ラフ男はやはり気楽に怠そうに近づく。そして名乗るのだ。「どうも~ランジャタイです」、と。

 そっからはもうめちゃくちゃ。風がものすっごく強いとき、引き戸をガラガラと開けると、風に乗って猫が来る。猫は身体の中に入ると、ラフ男にマイケル・ジャクソンのスリラーをやらせたり、将棋をしたりする。最後はもう一匹の猫が入って、両手に駒を持たせ、「ダブル将棋ロボ」にさせてしまうのだ。「ダブル将棋ロボだああああああ!!!」これで終わり。

 意味が分からなかった! 僕がお笑い初心者ってことは関係なくて、審査員たちも頭を抱えていたし、最下位だった。M‐1の出場者数を考えれば10位でもすごいのだが、たいていの人は決勝しか見ないから、その年のM‐1の再開はその年の一番つまらないやつと見なされる、とは本人の言。最高のトップバッターの後に、最悪の狂人が2人。M‐1決勝戦というチャンスをゴミにしていた。

 面白すぎるだろ! なんなんだこいつら! 僕はランジャタイにハマった。決勝戦を、VTRフリから審査まで、何回も何回も見たし、YouTubeで他のネタの動画を見まくったし、インタビュー記事なんかもよく読んだ。僕がランジャタイにハマった理由は2つだと思う。一つ目は、単にネタとの相性が良かった。定石を知らないから拒否反応が起きなかった。二つ目は、僕は物事を俯瞰して見たがるのだけど、やっぱりこいつらはどう考えてもどうかしている。もう訳が分からなくて最後には面白さしか残らなかった。

 今はランジャタイのラジオを聴いたり、エッセイを読んだり、ランジャタイに似た芸人を探したり、ファンとして楽しみ続けている。ここからが本題なのだけど、ラフ男、国崎和也さんが、「10代からの文章レッスン」という、いろいろな人の書き方を集めた本に一本記事を書いていた。ここでもやはり二番手だったのだが、はっきり言ってなにも反省していなかった。

 「スーパースター」というタイトルのその記事は「君たちは幸せ者だね。僕は、君たちの信じる努力や根性では到達できないところにいるよ。そんな僕の話が聞けるんだ」と、自画自賛から始まる。そして、10代向けというタイトルなんか無視して、9歳にアドバイスを始める。と、思ったらそれも一瞬で、一歳にアドバイスをする。「離乳食とかいやだよなあ、すき焼きとかかつ丼とか食いたいよなあ」。そして、好きな動物を、見開きの2ページを使って紹介する。

        で 犬
        す

 
 猫でもないんかい! で、やっと本題に入るのだが、「文字があまり好きではありません」「書いて何になるの? 良いねとか、ふ~んとか、考える人や、賛やら否やら、そんな連中がいるだけ!」「テレパシーとかあったら楽だよなあ」と、いつものようにめちゃくちゃだ。そして自分語りを始める。

 中学時代の友人と会った。十数年ぶりに、十数年前のように遊んだ。昔話に花を咲かせて、最高の時間だった。でも彼にはいろいろあって、人と会うのが難しいようになっちゃったらしい。帰り際、「もう会えない」と言われた。僕はなにも返せなかった。子供のように気楽ではないし、大人じゃ真面目すぎる。思いが溢れて、「元気でね」、それしか言えなかった。

 君ならどうする? 僕はテレパシーがあったらいいなと思う。言語を超えるなにかがあるんだ。君たちは文が好きかもしれないが、僕は嫌いで、「訳の分からない面白さにこそ、答えがあるは思う」。そう締めくくっていた。

 その通りだった。僕にも創作論があって、分からないしつまらないものは三流、分かるから面白いものは二流、分からないけど面白いものは一流、そう思い、そう書いてきた。僕は、分かる・分からないを、文学という楽しい場所に持ち込みたくない。それは人を選別してしまうから。

 分からんけど面白い! そういったものは絶対にある。そうじゃなきゃ小説は二周目からじゃないと面白くないし、トムとジェリーは流行らない。もちろん言葉の理解度とか、目の見えない人の存在とか、そういう障害があることを否定しない。

 でも絶対にあるんだ。分からないもの、実際には分かっていても言葉にできないもの、それに近づくために、書き続けるしかないんだよ。いくら愛していても愛そのものが心の内にしかないから「愛してる」って言ったり花束を贈ったりするように、分からない面白さへ迫るんだ。

 それはきっと、もちろん言語もそうだし、人種や文化、政治や宗教、なにもかも超えられるんじゃないか? もしそうだったらどうする? 世界中の人気者になって、お金持ちになっちゃうかもね。人類を僕のファンにして、世界を一つにするような、そんなものを、いつか書きたいのかもしれない。

 それで「面白くない」と言われたら、僕は大喜び! 読んでもらえたんだから! そういう人にはべつのなにかを勧めよう。ありがたいことに、この世にはそういう分からないものに迫ろうとする人がたくさんいて、面白いものがたくさんある。

 僕は、「桜の木の下の死体がブラジルまで掘り進む話」とか「ドーナツの穴だけを売る店に行って宇宙人に攫われる話」とかを書いて、自分でもおかしいなと思うんだけど、でも面白いと思ってる。君はどう? 面白いと思った? なら僕の作品を読んでくれ! ダメだったら、ランジャタイを見て! 虹の黄昏とか十九人とかも面白いよ! それでもだめなら、君が作りなさい!

 僕の、分からないものを見せてあげる。君の、分からないものも見せてよ。

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