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ディクテーションが要るのは英語じゃなくて、日本語!

 日本の教育界が、英語英語使える英語と血道を上げて幾星霜。入試にスピーキングだのヒヤリングだのを取り入れ、読み書きだけではなく、4技能の強化を図ると頑張っている。しかしなあ、上の学校に行くための試験でそこまで計る? それが使える英語を見ていることになるのかなぁ。まあね、東大の2次の問題など、これを18才やそこらで出来るんだったら、先は明るいだろうよ、とは思います。――いいえ、今回は英語が俎上に置きたいのではない。端っこには載せておくけれど。
 問題は「日本語」である。それも日本語母語話者の、である。私は常々何で日本語のヒヤリングを試験にしないのだろうと思ってきた(国語の試験、というだけでなく)。少し前に、とある高校の校長先生(授業を担当していたのは国語)と話す機会があり、その時にも「是非、高校生に国語のヒヤリング、ディクテーションを課してください」と訴えた。
 コロナ禍も相まって、板書も少なくなり、タブレットやパソコン画面を授業の相棒にしていることが多くなったので、「板書を写す」「ノートを取る」行為も少なくなっているだろう。(事実、今時の生徒・学生は何でも「写メしていいですか」と言ってくる。)しかし「聞いて書き取る」という訓練は、学校教育だけでなく、一生関わる重要事項ではないのか。今般現首相が「人の話を聞く力」を売りにしているが、それとは意味が違うにしても、受験や何やの必要能力を培う上でも、本来開発プライオリティの高い基盤能力のはずだ。多くの場合人の話の音声認識は、聴覚器官が機能している場合において、「言葉をまとめる力」「理解力」の源であり、それを文字に抽出するのは、今流行っている感のある「読解力」と密接につながる。もっと重視されて良いと思うのだが、あまりにも第1言語は聞くことが当たり前すぎるのか。英語だと「聞き取り」を日本人の弱点として強化項目に入れているが、それにはまず日本語だろう? 日本語の耳が出来ていないものを、英語が分かるようになる訳ない。日本語ネイティブで後天的に英語を身につけるなら。
 人の話を聞かない、人を遮って喋る、のような行為が増えているとか。発達障害と紐付けられてよく語られるが、そもそも聞く基礎力が落ちているのではないか。子どもも大人もメモが取れないとも聞く。自分もあまり人の話についてはメモするタイプではないし、一概には言えないが、的確であろうがなかろうが、書いて安心してしまう人もいる。読み返しもしない。それでも、書く行為のみでも記憶の整理になることもあるのかも知れない。
 国語の試験では、長文を要旨にせよ、という設問はスタンダードだ。それを選択肢から取るものも、○○字でまとめろ、というものもある。書かれている文章をサマライズするより、聞いたものを自分の言葉で書く方が高等手段の気がするのだが、脳科学生理学的には違うのかしら。
 正解が色々発生する、点が付けづらい、においては、小論文も同じだ。点になりにくいと敬遠されがちで、勉強しににく不得意と感じる向きが増える。益々文章を書かなくなる。短文はSNSなどで少しは鍛えられているかも知れないけれど。ここに至り、言葉の持ち方の問題になってしまう。一体、視覚言語(文字を含む)と音声言語のバランスと有効性を今後どう考えていくべきか。教育現場に委ねていいことではない。
 先端技術でガジェットも色々と創出され、コミュニケーションが根本的に揺るがしになっている今日この頃。使わない身体機能は退化する。計算機があれば(スマホにすら機能がついている)、計算が速いとか正確とか、あまり誇れない。記憶もクラウドに上げられる。物事をさも知っているふりをしつつ、実は即座に調べられる。個体における知の集積など、どれだけ信頼性があるか分かったものではなくなりそうだ。
 そう、人間は退化していく可能性が高い。身体を脱ぎ捨てつつある。いや、地球のためには、一旦原始に還らないと保たない。太陽が燃え尽きる前に、文明生活は破綻する。――あれ、何だかディストピアSFみたいになってきたぞ。でも、エネルギー問題が人と人の殺し合いになっている以上、現実味がある。今地球上で起こっていることは、はっきりとその様を呈している。ガスを止める、電気を止める、それらの施設を破壊する。人間から近代以降の生活を奪うのは、何と簡単なことか。
 だから、言葉が要る(おっと、戻ってきた)。どんなに分かり合えなくても、それが唯一人間に与えられ、遺された最終手段のはず。人の言いたいことを理解するのに、絶望してはならない。
  頼むよ。

©Anne KITAE





 

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