「君はロックを聞かない」をきいて

 君はロックを聞かないだろうな、と思いながらもロックを聞かせるあなた。かつての私のようで胸が苦しい。彼女を理解したいんじゃなくて、自分をわかってほしいんだね。自分が知っている、自分の大好きな世界を見せることがその手段なんだ。

 でも強引に相手の手を掴んでその世界に引き入れることはできないから「彼女もいいなと思ってくれないかな」「そうすれば僕たちはもっと親しくなれるんじゃないかな」と横目で彼女を見ながらひとりでドキドキしてる。

 結論から言えば、彼女はあなたを好きにはならないと思う。もしもあなたの大好きなロックを聴いて元気を取り戻してくれたとしたら、その持ち前の元気な足取りで「本当に好きな人」のところへ駆けていくと思う。振り返ることなく、一直線に。

 あなたはそんな彼女を追うことができない。声をかけることもできない。彼女の後ろ姿はどんどん小さくなっていき、やがて見えなくなる。あなたの隣には誰も座っていない。そこにいるのはあなただけだ。

 ロックはまだ鳴っている。それは信じられないくらい純粋な恋心や、大人にはわかってもらえそうにないような小さくて重い葛藤を歌い、オンリーワンの嘆きや飛び上がりたいくらいの喜びを表現している。それは今のあなたの心情とこれ以上ないくらいマッチしているから、より一層あなたはロックに傾倒していくだろう。

 でも、そんなあなたもいつかはロックを聴かなくなる。音楽に対する情熱を失い、物置にあるアコースティックギターは埃をかぶる。それどころかその存在すら忘れてしまう。日常というものはギターを弾くには忙しすぎるから。それよりも朝ちゃんと髭を剃ったり、ニュースを流し見する方が優先だ。

 でも、耳を澄ますと聞こえてくる。ちゃんと聴こえてくるんだ。そのときあなたがどこか痛いような懐かしさを覚えるのは、その正体をあなたが知っているからだ。

 私はたぶん流行というものからだいぶ離れていたところにいます。テレビも見ないし新聞も読まないから。1番の理由は興味がないからで、次に疲れるから。会社員になってから少しは触れるようになったけれど、本当は別にどうでもいい。

 ドラマで誰が主演をしようがそんなこととは関係なくたぶん見ないし、音楽も繰り返し聴きたいと思うものだけをiTunesで買うと思う。服なんてもっとその傾向が強くて、流行というものを追ったことがない。それはいつも通り過ぎてから気づくものでした。

 流行に疎いこと。その弊害は「世間話ができない」「頭が古いままになりがち」の2つが大きいと感じています。前者は特に問題ないのですが、後者は困る。だからここ数年は頑張って新しいものを見たり聞いたり読んだりするようにしています。

 新しいものに触れるには体力がいります。慣れ親しんだもの、何も考えなくてもできることをやるのはそんなに疲れない。歯磨きとかと同じ。セミオートです。頭空っぽでできます。

 今の時代、見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞くことができるようになっていると感じています。少なくとも私が学生のときよりは。楽でいいですよね。本当は興味ないのに興味あるフリをしなくても済む。

 ただ、自分が居心地良いと感じる感性だけは大切にしつつ、新しいものに触れていかないと新しい時代を生きていくことができないとも考えています。平均寿命からいえば私の人生はまだしばらく終わりそうもないし、それに「新しいこと」ってしんどいけど楽しいです。

 世の中にはまだまだ問題がたくさんあって、未来が明るいようには感じないです。でも、それでも部分的に言えば良くなっているところもあるんじゃないかと感じました。今回はそんな話をしようと思います。

 あいみょんさんの名前はなんとなく知っていて、ただそれだけでした。作品もちゃんと聴いていなかった。「よくは知らないけど、とにかく流行ってるらしい」くらいにしか思っていなかった。正直に書くと。

 YouTubeに上がっているライブ映像のものを観たのですが、なんというかかっこいいアーティストですね。地に足が着いていて、等身大というには存在感があって、それでいてナチュラルな感じがする。青空の下、草原を歩いている気持ちになる。雨が降っているのをガラス越しに眺めているような気分にもなる。

 会場にいるお客さんもみんな幸せそうで、私もちょっと幸せになった気がして、「ああ、なんかいいなぁ」と思いました。私自身は滅多に行かなくなったけど、ライブ文化ってやっぱり無くなったら困るよな、とも。

 そして、こういうアーティストが若い人に支持されているらしいことを知って「やっぱり世界は(部分的にだけど)良くなっていっているんだ」と感じました。嬉しかったし、その世界のスピードに着いていきたいとも思いました。

 うまく言えないのですが。。。

 なんとなく、彼女が消費されている感じがしなかったんですよね。若さとか性別とかを切り売りしなくても十分ホールは埋まるし、お客さんはみんな幸せに笑ったり泣いたり歌ったりしている。媚びなくても背伸びしなくても、いやむしろそうしないから彼女はかっこよくて美しかった。キラキラしてた。

 そして、そんな彼女が支持されているということが何故か無性に嬉しい。しかも若い男女になんてとってもいいと思う。いや、私自身は特に若くないし、昨日知ったばかりなんですけどね、嬉しいんです。

 新しいことに向き合い続けるのはしんどいです。探したってなかなか見つからないし。もともとが物臭でデジタルに疎い人間だから「もう今のままでいいじゃん、面倒くさいし」とふて寝してしまいそうになるんだけど、そこをもう一度ニョキっと起きて「やるかー」と立ち上がる。

 LINEもTwitterもInstagramもよくわかんないけど、よくわかんないなりに始めてよかった。SNSは怖いところもあるけれど、それでもやっぱりそこには情報がある。努力すればその情報を有効に活用できると思う。努力すれば。

 そうしたらまた素敵な何かに会える気がする。「マリーゴールド」を聴くとそう思います。

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